【若菜上 25】尼君、明石の女御に昔語りをする 明石の君の動揺 三者、歌を詠み交わす

かの大尼君《おほあまぎみ》も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし、この御ありさまを見たてまつるは夢の心地して、いつしかと参り近づき馴れたてまつる。年ごろ、この母君は、かう添ひさぶらひたまへど、昔の事などまほにしも聞こえ知らせたまはざりけるを、この尼君、よろこびにえたへで参りては、いと涙がちに、古《ふる》めかしき事どもをわななき出でつつ語りきこゆ。はじめつ方は、あやしくむつかしき人かなとうちまぼりたまひしかど、かかる人ありとばかりは、ほの聞きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。生まれたまひしほどのこと、大殿《おとど》の君のかの浦におはしましたりしありさま、「今はとて京へ上りたまひしに、誰《たれ》も誰も心をまどはして、今は限り、かばかりの契りにこそはありけれと嘆きしを、若君のかくひき助けたまへる御|宿世《すくせ》のいみじくかなしきこと」とほろほろと泣けば、げにあはれなりける昔のことを、かく聞かせざらましかばおぼつかなくても過ぎぬべかりけり、と思してうち泣きたまふ。

心の中《うち》には、「わが身は、げにうけばりていみじかるべき際《きは》にはあらざりけるを、対《たい》の上《うへ》の御もてなしに磨《みが》かれて、人の思へるさまなどもかたほにはあらぬなりけり、身をばまたなきものに思ひてこそ、宮仕《みやづかへ》のほどにも、かたへの人々をば思ひ消《け》ち、こよなき心おごりをばしつれ、世人《よひと》は、下《した》に言ひ出づるやうもありつらむかし」など思し知りはてぬ。母君をば、もとより、かくすこしおぼえ下《くだ》れる筋と知りながら、生《む》まれたまひけむほどなどをば、さる世離《よばな》れたる境《さかひ》にてなども知りたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしく、おぼおぼしかりけることなりや。かの入道の、今は、仙人の世にも住まぬやうにてゐたなるを聞きたまふも心苦しくなど、かたがたに思ひ乱れたまひぬ。

いとものあはれにながめておはするに、御方参りたまひて、日中の御|加持《かぢ》に、こなたかなたより参り集《つど》ひ、もの騒がしくののしるに、御前にことに人もさぶらはず、尼君ところ得ていと近くさぶらひたまふ、「あな見苦しや。短き御|几帳《きちやう》ひき寄せてこそさぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづから綻《ほころ》びの隙《ひま》もあらむに。医師《くすし》などやうのさまして。いと盛り過ぎたまへりや」など、なまかたはらいたく思ひたまへり。よしめきそしてふるまふとはおぼゆめれども、もうもうに耳もおぼおぼしかりければ、「ああ」と傾《かたぶ》きてゐたり。さるはいとさ言ふばかりにもあらずかし、六十五六のほどなり。尼姿いとかはらかに、あてなるさまして、目つややかに泣き腫《は》れたるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつぶれて、「古代《こだい》のひが言《こと》どもやはべりつらむ。よくこの世の外《ほか》なるやうなるひがおぼえどもにとりまぜつつ、あやしき昔のことどもも出でまうで来つらむはや。夢の心地こそしはべれ」とうちほほ笑みて見たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、例よりもいたくしづまり、もの思したるさまに見えたまふ。わが子ともおぼえたまはずかたじけなきに、「いとほしきことどもを聞こえたまひて、思し乱るるにや、今はかばかりと御位を極めたまはむ世に、聞こえも知らせむとこそ思へ、口惜しく思し棄つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ」とおぼゆ。

御|加持《かぢ》はててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。尼君は、いとめでたううつくしう見たてまつるままにも、涙はえとどめず。顔は笑みて、口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれてひそみゐたり。あなかたはらいた、と目くはすれど聞きも入れず。

「老の波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまを誰かとがめむ

昔の世にも、かやうなる古人《ふるびと》は、罪ゆるされてなむはべりける」と聞こゆ。御硯なる紙に、

しほたるるあまを波路のしるべにてたづねも見ばや浜のとまやを

御方もえ忍びたまはで、うち泣きたまひぬ。

世をすててあかしの浦にすむ人も心の闇ははるけしもせじ

など聞こえ紛《まぎ》らはしたまふ。別れけむ暁《あかつき》のことも夢の中《うち》に思し出でられぬを、口惜しくもありけるかなと思す。

現代語訳

かの大尼君も、今はけっうな耄碌した人となっていたのだろう。このご出産のごようすを拝見するのは夢のような気持がして、一日も早くと御産が待ち遠しく、女御のおそばに参って、いつもお仕え申し上げている。長年、この母君(明石の君)は、こうして女御のおそばに付き添っていらっしゃるが、昔の事などははっきりとはお知らせ申しあげなさらなかったのだが、この尼君は、よろこびにたえず参上しては、ひどく涙がちに、いろいろと昔の事を、声をふるわしながらお話し申しあげる。女御は、はじめの頃は、「妙に気味の悪い人」と怪訝な御顔をしていらっしゃったが、こういう人がいるとだけは、少しは前から聞いていらしたので、優しくお相手をなさる。女御がお生まれになられた頃のこと、大殿の君(源氏)が、あの明石の浦にいらっしゃった頃のご様子、(尼君)「これが最後と、大殿が京へお上りになられた時、誰も誰も動揺して、今が最後、しょせんこの程度の縁であったのだと嘆いたのですが、若君(姫君=明石の女御)がこうしてお助けになってくださった御宿縁の、たいそう愛しいことで」と、ほろほろと泣くので、「まことにしみじみ心打たれる昔のことを、こうして聞かせてくれなかったら、何も知らないままに過ごしていただろう」と女御はお思いになって、お泣きになる。

心の中では、「わが身は、まことにこの尼君が言うように、わが者顔にふるまって、高い地位にのぼれるような身分ではなかったのに、対の上(紫の上)の御養育を受けて磨かれて、人からもまともに思われるようになったのだった。それなのにわが身を比類ないものと慢心して、宮仕えの間も、傍らの人々を見下して、たいそう増長していたものだ。世間の人は、ひそかに悪く言ってたこともあるだろう」などとすっかりご理解なされた。母君(明石の君)のことを、もともと、このように、すこし世間からの評価が低い筋とは知っていたが、ご自分がお生まれになられた時の様子などを、そこまで世離れした田舎で、などともご存知でなかったのだ。まったく、あまりにおっとりしていらっしゃるせいだろうか。それも考えてみると、おかしなことで、おぼつかない話ではある。かの入道(明石の入道)が、今は、仙人が俗世間を棄てたようにして暮しているというのをお聞きになられるにつけても、気の毒に思いなどして、女御は、あれこれと思い悩んでいらっしゃる。

女御がひどく御心打たれて物思いに沈んでいらっしゃると、明石の御方が参上なさって、日中の御加持に、あちこちから修験者たちが参り集まって、騒がしく大声を上げて祈祷している折のことで、女御の御前にべつだん人もお控えしていないところを、尼君がところ得顔でたいそう近くに控えていらっしゃるのを御覧になって、(明石の君)「なんと見苦しい。低い御几帳をひき寄せて御対面なさればよろしいのに。風などが吹き騒いだら、自然とほころびの隙間から見えてしまうこともあるでしょうに。医師などのように直接御対面なさるなどと。ほんとうにお年をお取りになりすぎました」など、はらはらしていらっしゃる。尼君は十二分に風情をこめて振る舞おうとは思っていらっしゃるようだが、耄碌して耳もおぼつかないので、(尼君)「ああ」と言って首をかしげて座っている。そうはいっても、そんなことを言うほどの御年でもないのである。六十五六ぐらいである。尼姿はまことにさっぱりして、上品な様子で、目がつややかに涙に濡れて、泣き腫れているようすが奇妙で、どうやら昔を思い出しているようすであるから、御方(明石の君)は胸がどきりとして、(明石の君)「昔のいい加減な話でも、いろいろとございましたのでしょうか。現実離れしたうろ覚えな記憶の数々に取り混ぜては、奇妙な昔の思い出話もいろいろと出てまいったのでございましょう。そのころのことは夢のような心地がいたします」と、苦笑して女御を拝見なさると、たいそう艶やかに美しげで、いつもよりもたいそう沈んで、もの思いにふけっていらっしゃるご様子にお見受けされる。わが子とも思われず畏れ多いので、(明石の君)「尼君がいたわしい事をあれこれ申しあげられたので、お思い悩んでいらっしゃるのかしら。いよいよこれが最高という御位をお極めになられる時に、お伝え申し上げようと思っていたのに、ご自分を残念なものにお思いになって諦めてしまうはずはないけれど、やはりお気の毒に、気落ちしていらっしゃるだろう」と思う。

御加持が終わって修験者たちが退出してしまったので、御菓子などを女御のおそば近くに差し上げて、(明石の君)「せめてこれだけでも」と、まことに心苦しげにおすすめ申しあげなさる。尼君は、女御のことを、まことにめでたく、愛しく拝見するにつけても、涙をおしとどめることができない。顔は笑って、口の形などは見苦しく広がっているが、目元のあたりは涙に濡れて、しかめ面になっている。御方(明石の君)は、ああ見苦しいと尼君に目で合図するが、尼君は聞き入れない。

(尼君)「老の波……

(長生きしたかいがあって、こんな素晴らしい場面に立ち会うことができて、涙にくれている尼を、誰もとがめないでしょう)

昔の世でも、このような老人は、罪をゆるされておりました」と申しあげる。御硯の箱の中の紙に、

(明石の女御)しほたるる……

(涙にくれている尼を波路の案内人として、私が生まれた浜の苫屋を訪ねていきたいものです)

御方(明石の君)も、お気持ちを抑えることがおできにならず、お泣きになられた。

(明石の君)世をすてて……

(俗世間を棄てて明石の浦にすんでいる入道も、子孫を思う親の心ばかりは晴れないことでしょう)

などと申しあげて涙をお隠しになる。女御は、入道に別れたという暁のことも夢の中にも思い出せないことを、残念なことだとお思いになる。

語句

■かの大尼君 明石の君の母。六十五、六歳。明石の君が明石から大堰邸に移った時は「思いやり深き人」であり、姫君を紫の上の養育にたくすことを明石の君にすすめた(【薄雲 02】)。明石の女御入内のころは、もう一度女御に逢いたいという執念ばかりの人になっていた(【藤裏葉 09】)。明石の女御とは、源氏が女御を三歳のとき二条院に引き取って(【薄雲 04】)以来、十年ぶりの再会となる。 ■いつしかと 早く出産の日がくればよいと。 ■参り近づき 本来は身分の上から女御に気安く近付くべきではないが、尼君は耄碌してもうそのような判断がつかない。 ■この母君 明石の君。明石の君が女御に付き添うようになったのは昨年の四月。女御入内の時以来(【藤裏葉 09】)。「年ごろ」は大げさ。 ■昔の事 明石における明石一族の暮らし。明石の君は女御がそれを知ることによって自信を失うのではないかと気遣った。 ■うちまぼり 「うちまぼる」は怪訝な表情をする。 ■かかる人 祖父にあたる人。 ■今は、とて京へ上りたまひしに 【明石 18】。 ■若君のかくひき助けたまへる 明石の姫君が誕生したために源氏との縁が続いたこと(【澪標 05】)。 ■げに 尼君の言うとおり。 ■うけばりて 「受け張る」はわが者顔にふるまう。 ■言ひ出づるやう 明石の女御が生まれの卑しさにもかかわらず源氏からの寵愛を笠に着て好き勝手にふるまっているなどと。 ■かの入道 明石の入道。明石の君の父。独り明石の浦にとどまっている(【松風 04】)。 ■ゐたなる 「ゐたるなる」の撥音便無表記。「なる」は伝聞。 ■かたがたに 自分の素性や入道のことなど。 ■日中 一昼夜を晨朝《じんちょう》・日中・日没・初夜・中夜・後夜に六時に分け、それぞれの時間に念仏などの勤行をした。 ■こなたかなたより 修験者たちがほうぼうから加持祈祷を行う修法の壇に参集する。 ■いと近くさぶらひたまふ 尼君は女御と直に顔を合わせている。いかに肉親でも貴人と直接相対することは遠慮すべきこと。 ■御几帳ひき寄せて 女御と直接対面せずに几帳を隔てていてほしいの意。 ■医師などのやうに 医師は病気をみるため貴人と直接対面する。そのように。 ■いとさかり過ぎたまへりや 本当に年を取ったのね、困ったものだわぐらいの意。 ■そして 「過《そ》す」は度を越して行う。 ■もうもうに 「耄々に」。耄碌しているさま。 ■かはらに 「かわらか」はさわやかである。さっぱりしている。 ■あやしく昔思ひ出でたまさま 明石の君は尼君の泣きはらした顔を見て、さては女御に昔のことを話したなと直感し、それがいい加減な取るに足らないデタラメであることを女御に対してとりつくろおうとする。 ■夢の心地こそしはべれ 明石の君は明石の女御に昔のことを知らせたくない。それは女御が自分の卑しい出生を知って自信を失うことを恐れるからである。それで、尼君の語った昔話を、故意にいい加減な取るに足らない話として一笑に付してみせるのである。 ■わが子ともおぼえたまはず 出自の卑しい明石の君は、自分の娘が東宮妃となったことの実感がわかない。 ■いとほしきことども 明石の女御の卑しい出自について。 ■今はかばかりと 明石の君は女御が后の位に立つまで、その卑しい出自については隠しておくつもりだった。自信を失わせないという配慮。 ■心おとり 自分の出自が卑しいことを知って自信喪失するだろうの意。 ■まかなひなし ととのえ差し上げること。 ■こればかりをだに 女御が意気消沈していて食べ物も召し上がらないから。 ■あなかたはらいた 晴れの席で涙を流すのは不吉であるということで明石の君は尼君に目配せするがまるで効き目がない。 ■老の波… 「かひ」に「効」と「貝」を、「あま」に「尼」と「海人」をかける。「波」「かひ」「しほたるる」「あま」は「浦」の縁語。明石の景色からの着想。 ■昔の世にも 「おきなさび人なとがめそかりごろも今日ばかりとぞ鶴《たづ》も鳴くなる」(伊勢物語百十四段、後撰・雑一 在原業平)によるか。 ■しほたるる… 尼君の歌と同じく「あま」に「尼」と「海人」をかける。「浜のとまや」は明石の家。「とまや」は菅や菰で屋根を葺いた粗末な家。 ■世をすてて 明石に独り住む父入道のことを歌う。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■別れけん暁 入道に別れたという暁のこと(【松風 04】)。

朗読・解説:左大臣光永