【若菜上 26】明石の女御、男児を出産

三月《やよひ》の十余日のほどに、たひらかに生まれたまひぬ。かねてはおどろおどろしく思し騒ぎしかど、いたく悩みたまふこともなくて、男御子《をとこみこ》にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿《おとど》も御心落ちゐたまひぬ。

こなたは隠れの方《かた》にて、ただけ近きほどなるに、いかめしき御|産養《うぶやしなひ》などのうちしきり、響きよそほしきありさま、げに「かひある浦」と尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす。対の上も渡りたまへり。白き御|装束《さうぞく》したまひて、人の親めきて若宮をつと抱きゐたまへるさまいとをかし。みづからかかる事知りたまはず、人の上にても見ならひたまはねば、いとめづらかにうつくし、と思ひきこえたまへり。むつかしげにおはするほどを、絶えず抱きとりたまへば、まことの祖母君《おばぎみ》は、ただまかせたてまつりて、御|湯殿《ゆどの》のあつかひなどを仕うまつりたまふ。春宮の宣旨《せんじ》なる典侍《ないしのすけ》ぞ仕うまつる。御|迎湯《むかへゆ》におりたちたまへるもいとあはれに、内々のこともほの知りたるに、すこしかたほならばいとほしからましを、あさましく気《け》高く、げにかかる契りことにものしたまひける人かなと見きこゆ。このほどの儀式などもまねびたてむに、いとさらなりや。

六日《むいか》といふに、例の殿《おとど》に渡りたまひぬ。七日《なぬか》の夜、内裏《うち》よりも御|産養《うぶやしなひ》のことあり。朱雀院の、かく世を棄《す》ておはします御かはりにや、蔵人所《くらうどどころ》より、頭弁《とうのべん》、宣旨《せんじ》承りて、めづらかなるさまに仕うまつれり。禄《ろく》の衣《きぬ》など、また中宮の御方よりも、公事《おほやけごと》にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。次々の親王《みこ》たち、大臣の家々、そのころの営《いとな》みにて、我も我もときよらを尽くして仕うまつりたまふ。

大殿《おとど》の君も、このほどの事どもは、例のやうにもことそがせたまはで、世になく響きこちたきほどに、内《うち》々のなまめかしくこまかなるみやびの、まねび伝ふべきふしは目もとまらずなりにけり。大殿《おとど》の君も、若宮をほどなく抱《いだ》きたてまつりたまひて、「大将のあまた儲《まう》けたなるを、今まで見せぬがうらめしきに、かくらうたき人をぞ得たてまつりたる」と、うつくしみきこえたまふはことわりなりや。

現代語訳

三月の十日すぎに、無事にお産まれになった。前前から、たいそうご心配されて騷いでいらしたが、まったくお苦しみになることもなくて、その上、男児でいらっしゃるので、限りなく嬉しくお思いになられる様子で、大殿(源氏)も、ご安心なさった。

こちらの御殿は隠れのお住まいで、ひどく出入り口が近いと感じられる所であるが、仰々しい御産養などが立て続けに行なわれて、大変な騒ぎのありさまは、なるほど「かひある浦」と尼君のためには見えるけれど、外からは御出産の儀式を何もやっていないように見えるので、東南の町の寝殿にお戻りになろうとする。対の上(紫の上)もこらち(西北の町)においでになられた。白い御装束をお召しになって、人の親のように若宮をしっかりとお抱きになって座っていらっしゃるさまは、とても美しい。上(紫の上)御自身はこうした事はご経験がなく、人の身の上のこととしてもあまりご覧になったことはないので、若宮のことを、ほんとうに珍しく可愛いとお思いになっていらっしゃる。お扱いにくそうでいらっしゃる御体を、しょっちゅう抱き取りなさるので、実の祖母君《おばぎみ》(明石の君)は、一切を上(紫の上)におまかせして、御自身は御湯殿のお世話などをおつとめになっていらっしゃる。東宮の宣旨を受けた典侍《ないしのすけ》が産湯の御役をおつとめする。明石の君が御迎湯として、介添役を熱心におつとめになっておられるのも実に感心されることで、この典侍は、内々の事情もすこしは知っているので、「この御方に少しでも欠点があれば、女御の御ためにはお気の毒だったろうに、驚くほど気品が高く、なるほど、格別にこうしたもともとの運命でいらっしゃった人なのだなとお見受けする。この日の儀式なども、こまごまと書き記すと、まったく今更めいてしまうので、このへんで筆をおく。

六日という日に、例の御殿(東南の寝殿)においでになった。七日の夜、帝からも御産養の贈り物がある。朱雀院が、こうして俗世を棄てていらっしゃる御代わりだろうか、蔵人所から、頭弁《とうのべん》が宣旨を承って、世に例のないほど盛大にお仕え申しあげた。禄として下賜される衣などは、別に中宮(秋好中宮)の御方からも、宮中の公式行事よりも盛大に、仰々しくおさせになる。次々の親王たちや大臣の家々も、その時分はこれにかかりきりで、我も我もと贅沢を尽くしてお仕え申しあげなさる。

大殿の君(源氏)も、今回のさまざまな行事は、いつものように簡素におさせにならず、世にまたとないほど評判を高めたが、それに紛れて、内々のしっとりした細かなる優雅さの、そっくりそのまま伝えるべき筋のことは、人目につかずじまいになってしまったのだった。大臣の君も、若君をすぐにお抱き申されて、(源氏)「大将(夕霧)が多くの子をもうけているというが、今まで見せてくれないことが恨めしかったが、こうして可愛らしい人を手に入れさせていただいたこと」と、愛おしみ申されるのは、もっともなことではある。

語句

■かねてはおどろおどろしく 出産前から加持祈祷などを盛大に行っていた(【若菜上 24】)。出産前後の儀式のもようは『紫式部日記』に詳しい。 ■男御子にさへおはすれば 安産であるだけでなく、その上男御子でもあった。二重によかったの意。参考「御産平安のみならず、皇子にてこそましましけれ」(平家物語・御産)。 ■こなた 明石の君の居所。西北の町。 ■産養 産後、三日・五日・七日・九日に行う祝宴。親類縁者から衣類や食物などが贈られた。 ■げに 尼君が歌に詠んだように。 ■「かひある浦」 前の尼君の歌(【若菜上 25】)。 ■儀式なきやう 西南の町では儀式が目立たない。家の権勢をしめすため盛大にやる必要がある。 ■渡りたまひなむとす 東南の町の寝殿へ。女三の宮の居所と隣り合っている。 ■白き御装束したまひて… 以下、初湯の儀式。『紫式部日記』敦成親王御湯殿の儀に詳しい。 ■かかる事知りたまはず 紫の上にはお産の経験がない。 ■むつかしげに 生まれたばかりの子は首がすわらず取り扱いが難しい。 ■御湯殿のあつかひ 赤子に産湯を使わせる補助役。主役は東宮の宣旨である典侍。その介添役を「迎湯」という。これを明石の君がつとめる。 ■内々のことも 典侍は、明石の君が女御の実の母であることを知っていて。 ■このほどの契り… 草子文。 ■例の御殿 東南の寝殿。前に「儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす」とあった、それを実行したのである。 ■七日の夜 「七日の夜は、おほやけの御産養」(紫式部日記)。朱雀天皇、村上天皇誕生のときも内裏より七日夜の産養を賜わっている。 ■朱雀院 東宮の父。出家の身とはいえ朱雀院が源氏に関係した行事には一貫して冷淡な態度を取ることは注目に値する。 ■蔵人所 校書殿の西廂にあり、書物や衣類、楽器などを管理する。 ■中宮の御方より 秋好中宮は源氏に養育されたことと、女御の裳着で腰結役をつとめた(【梅枝 04】)ことから女御には縁が深い。 ■例にやうにもことそがせたまはで 源氏は自分の四十の賀は簡素に行うよう指示したが、若宮の産養は盛大にやらせた。未来における一門の繁栄に目が向いているのである。 ■内々のなまめかしく… 草子文。 ■大将のあまた儲けたなる 夕霧と雲居雁の結婚は一昨年の四月。ここに「あまた儲けたなる」といっているうちには、藤典侍(惟光の娘)との子もはいっているのだろう。

朗読・解説:左大臣光永