【若菜上 30】東宮、明石の女御と若君に参るよう促す

宮よりとく参りたまふべきよしのみあれば、「かく思したる、ことわりなり。めづらしき事さへ添ひて、いかに心もとなく思さるらん」と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらん御心づかひしたまふ。御息所《みやすどころ》は、御暇《おほむいとま》の心やすからぬに懲《こ》りたまひて、かかるついでにしばしあらまほしく思したり。ほどなき御身に、さる恐ろしきことをしたまへれば、すこし面痩《おもや》せ細りて、いみじくなまめかしき御さましたまへり。「かく、ためらひ難くおはするほどつくろひたまひてこそは」など、御方などは心苦しがりきこえたまふを、大殿は、「かやうに面痩せて見えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」などのたまふ。

現代語訳

東宮から女御に、早く参上するようにと、しきりにご催促があるので、(紫の上)「東宮がこのようにおぼしめされるのは、当然ですわ。おめでたく若宮がご誕生あそばしたのですから、どんなに待ち遠しいお気持ちでいらっしゃいましょう」と、紫の上もおっしゃって、若宮を人目を避けてお連れ申しあげようと御心遣いをしていらっしゃる。御息所(明石の女御)は、東宮のおそばにいては容易にお暇をいただけないことにお懲りになって、この際、しばらくお里でゆっくりしていたいとお思いでいらっしゃる。年端もいかない御体に、あのような恐ろしいことをご経験なさったので、すこし面やつれなさって、まことに優美な御様子をしてさえいらっしゃる。「まだこんなにもとに戻っていないのですから、ご静養なさってはいかがですか」など、御方(明石の君)などは気の毒がって申しあげなさるが、大殿(源氏)は、「このように面やつれしてお目通りなさるのも、かえって御心を惹かれるにことに違いない」などとおっしゃる。

語句

■めづらしき事 出産。 ■御息所 明石の女御。ここではじめて御息所とよばれる。若宮の母であることによって。 ■御暇の心やすからぬに 明石の女御は六条院でのびのびと育ったので、堅苦しい宮中に戻りたくない(【若菜上 20】)。 ■ほどなき御身 明石の女御十三歳。 ■さる恐ろしきこと 出産。

朗読・解説:左大臣光永