【若菜下 12】源氏、朱雀院と女三の宮の対面のため、御賀を計画

朱雀院の、今は、むげに世近くなりぬる心地してもの心細きを、さらにこの世のことかへりみじと思ひ棄《す》つれど、対面《たいめん》なんいま一たびあらまほしきを、もし恨み残りもこそすれ、ことごとしきさまならで渡りたまふべく聞こえたまひければ、大殿《おとど》も、「げにさるべきことなり。かかる御気色なからむにてだに、進み参りたまふべきを。ましてかう待ちきこえたまひけるが心苦しきこと」と、参りたまふべきこと思しまうく。

「ついでなくすさまじきさまにてやは、這ひ渡りたまふべき、何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべき」と思しめぐらす。このたび足りたまはむ年、若菜など調《てう》じてや、と思して、さまざまの御|法服《ほふぶく》のこと、斎《いもひ》の御設けのしつらひ、何くれと、さまことに変れることどもなれば、人の御心しらひども入りつつ思しめぐらす。

いにしへも、遊びの方に御心とどめさせたまへりしかば、舞人《まひびと》、楽人《がくにん》などを、心ことに定め、すぐれたるかぎりをととのへさせたまふ。右の大殿《おほとの》の御子《みこ》ども二人《ふたり》、大将の御子、典侍腹《ないしのすけばら》の加へて三人、まだ小さき七つより上《かみ》のは、みな殿上《てんじやう》せさせたまふ。兵部卿宮の童孫王《わらはそんのう》、すべてさるべき宮たちの御子ども、家の子の君たち、みな選び出でたまふ。殿上の君たちも、容貌《かたち》よく、同じき舞の姿も心ことなるべきを定めて、あまたの舞の設けをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人《みなひと》心を尽くしたまひてなん。道々の物の師、上手《じやうず》暇《いとま》なきころなり。

現代語訳

朱雀院から、「今は、いよいよ命尽きる日が近くなった気がして、なんとなく心細いので、いっさい俗世のことは省みるまいと決心してはいたが、宮(女三の宮)とはもう一度逢ってみたい、もし逢わずにいると怨みが残るかもしれない。おおげさなさまではなく、宮(女三の宮)がご自分のもとにおいでくださるように」とご連絡してこられたので、大殿(源氏)も、「なるほど、そうすべきことである。本来は、こうしたご意向がなかったとしても、こちらから進んで参上なさるべきなのに。まして院がこうしてお待ち申されているのがお気の毒なことだ」と、朱雀院がおうかがいになられるよう、ご用意をお考えになられる。

(源氏)「きっかけもなく、何の趣向もないままでは、どうしておいでになられようか。どういう趣向で、御覧に入れようか」とお考えめぐらす。今回、院がちょうど五十歳におなりになるに際して、若菜などを調じてはどうか、とお考えつきになられて、さまざまのご法服のことやら、精進物をさしあげる準備やら、何のかのと、ふつうの御賀と勝手が違うことばかりなので、人のご意見などもまじえつつ、ご思案をおめぐらしになる。

朱雀院は、ご在俗の昔も、管弦の遊びの方面にご興味が深くていらしたので、六条院(源氏)は、舞人、楽人などを、格別に心を入れて選定し、すぐれた者ばかりをおそろえになられる。

右大臣(髭黒)の御子たちを二人、大将(夕霧)の御子を、典侍腹のを加えて三人、まだ小さい方々だが七つより上のは、みな童殿上おさせになる。

兵部卿宮の童孫王など、すべてしかるべき宮たちの御子たち、また良家の若君たちを、みなお選び出しなさる。殿上人の若君たちも、容姿がよく、同じ待っている姿も格別であろう者たちを定めて、多くの舞の準備をおさせになる。たいそう華やかな今回の催しであるから、皆人は心をお尽くしになって準備しておられる。それぞれの道の物の師、名人はこのところ暇もなく忙しい。

語句

■むげに世近くなりぬる 死の当来を予感する。 ■怨み残りもこそすれ 現世への執着が残っては往生のさまたげとなるため。 ■このたび足りたまはむ年 朱雀院は来年ちょうど五十歳になる。 ■若菜 朱雀院五十歳の正月に若菜を調じて献上し、長寿を祈ろうというのである。 ■御法服 出家者の衣装。法衣。 ■斎 本来は身と心を清める精進潔斎のこと。ここでは仏事の際の食事のこと。 ■典侍腹の子 夕霧と、惟光の娘・典侍との間にできた子。花散里に養育されている(【若菜下 11】)。 ■まだ小さき七つより上の 夕霧の子でまだ小さいが七つより上の者をみな、童殿上させる。これを機に源氏は孫たちをデビューさせる。 ■童孫王 兵部卿宮の子は桐壺帝の孫なので、孫王という。 ■いみじかるべき 朱雀院はおおげさでないようにというが、六条院主催の朱雀院五十の賀となれば盛大にならざるをえない。

朗読・解説:左大臣光永