【若菜下 14】明石の女御 紫の上、女三の宮の琴を聴くことを希望

女御の君にも、対の上にも、琴《きん》は習はしたてまつりたまはざりければ、このをり、をさをさ耳|馴《な》れぬ手ども弾《ひ》きたまふらんをゆかしと思して、女御も、わざとあり難き御|暇《いとま》を、ただしばし、と聞こえたまひてまかでたまへり。御子|二《ふた》ところおはするを、またもけしきばみたまひて、五月《いつつき》ばかりにぞなりたまへれば、神事《かみわざ》などにことつけておはしますなりけり。十一日過ぐしては、参りたまふべき御|消息《せうそこ》うちしきりあれど、かかるついでにかくおもしろき夜《よる》々の御遊びをうらやましく、などて我に伝へたまはざりけむとつらく思ひきこえたまふ。

冬の夜の月は、人に違《たが》ひてめでたまふ御心なれば、おもしろき夜の雪の光に、をりにあひたる手ども弾きたまひつつ、さぶらふ人々も、すこしこの方にほのめきたるに、御|琴《こと》どもとりどりに弾かせて、遊びなどしたまふ。年の暮れつ方は、対などにはいそがしく、こなたかなたの御営みに、おのづから御覧じ入るる事どもあれば、「春のうららかならむ夕《ゆうべ》などに、いかでこの御|琴《こと》の音聞かむ」とのたまひわたるに、年返りぬ。

現代語訳

女御の君(明石の女御)にも、対の上(紫の上)にも、院(源氏)は、琴をお教えになられたことはなかったので、この折、めったに耳にすることのない数々の曲をお弾きになるのを、聞きたいとお思いになられて、女御も、わざわざ滅多にいただけない御暇を、ほんのしばらくの間、とお願い申し上げなさって、宮中をご退出なさった。御子がお二人いらっしゃる上に、またもご懐妊なさって、五ヶ月ほどになられたので、神事における忌みごとにことよせて、ご退出されたのであった。ご滞在期間も十一日も過ぎては、宮中から参内なさるよう御消息がしきりにあるが、女御の君(明石の女御)は、こういう機会に、こんなに風情のある夜毎の管弦の御遊びをなさることがうらやましく、どうして私にお伝えなさらなかったのかと、院(源氏)を恨みがましくお思い申し上げなさる。

院(源氏)は、冬の夜の月は、人と違って、お愛でなさる御心であるので、風情ある夜の雪の光に、折にかなった曲を何曲かお弾きなさっては、お仕えしている女房たちでも、すこし音楽の方面に心得がある者に、御琴をそれぞれに弾かせて、管弦の遊びなどなさる。年の暮れ方は、東の対(紫の上方)などは忙しく、あちこちのご用事に、おのずから、上(紫の上)御自身が御目をお通しになるべき多くの事務があるので、(紫の上)「春のうららかな夕などに、どうにかしてこの音を聞きたいものです」とずっとおっしゃっているうちに、年が改まった。

語句

■わざとあり難き御暇 明石の女御は帝の寵愛あつく、滅多に里帰りの許可がおりない。 ■御子ニところ 今上帝と女御の間にはすでに一の宮(春宮)と、女一の宮が生まれている。 ■神事などに 神事では妊娠をを穢として忌むので、それを口実に宮中を退出した。 ■十一日 「十一月」とする本もあるが意味が通らない。 ■冬の夜の月は 「冬の夜の月」は「すさまじきもの」の例に挙げられるほど、興ざめなものとされる。しかし源氏はこれに美的価値を見出していた(【朝顔 09】)。 ■をりにあひたる 前に「四季につけて変るべき響き」とあった。 ■さぶらふ人々 女三の宮つきの女房たち。 ■この方 音楽の方面。 ■御琴でも さまざまの種類の弦楽器。 ■春のうららかならむ夕などに… 言葉とはうらはらに、内心に嫉妬を秘めている。

朗読・解説:左大臣光永