【朝顔 09】雪の夜、源氏と紫の上、女性評をかはす

雪のいたう降り積りたる上に、今も散りつつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕暮に、人の御|容貌《かたち》も光まさりて見ゆ。「時につけても、人の心をうつすめる花紅葉《はなもみぢ》の盛りよりも、冬の夜の澄める月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう色なきものの、身にしみて、この世の外《ほか》のことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも残らぬをりなれ。すさまじき例に言ひおきけむ人の心浅さよ」とて、御簾捲《みすま》き上げさせたまふ。月は隈《くま》なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、しをれたる前栽《せんざい》のかげ心苦しう、遣水もいといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、童《わらは》べおろして、雪まろばしせさせたまふ。をかしげなる姿、頭《かしら》つきども、月に映えて、大きやかに馴れたるが、さまざまの衵《あこめ》乱れ着、帯しどけなき宿直《とのゐ》姿なまめいたるに、こよなうあまれる髪の末、白きにはましてもてはやしたる、いとけざやかなり。ちひさきは童《わらは》げてよろこび走るに、扇なども落して、うちとけ顔をかしげなり。いと多う転《まろ》ばさむとふくつけがれど、えも押し動かさでわぶめり。かたへは東《ひむがし》のつまなどに出でゐて、心もとなげに笑ふ。「ひと年《とせ》、中宮の御前《おまへ》に雪の山作られたりし、世に古りたる事なれど、なほめづらしくもはかなきことをしなしたまへりしかな。何のをりをりにつけても、口惜しう飽かずもあるかな。いとけ遠くもてなしたまひて、くはしき御ありさまを見ならしたてまつりしことはなかりしかど、御まじらひのほどに、うしろやすきものには思したりきかし。うち頼みきこえて、とある事かかるをりにつけて、何ごとも聞こえ通ひしに、もて出でてらうらうじきことも見えたまはざりしかど、言ふかひあり、思ふさまに、はかなき事わざをもしなしたまひしはや。世にまたさばかりのたぐひありなむや。やはらかにおびれたるものから、深うよしづきたるところの、並びなくものしたまひしを、君こそは、さいへど紫のゆゑこよなからずものしたまふめれど、すこしわづらはしき気《け》添ひて、かどかどしさのすすみたまへるや苦しからむ。前斎院《ぜんさいゐん》の御心ばへは、またさまことにぞみゆる。さうざうしきに、何とはなくとも聞こえあはせ、我も心づかひせらるべきあたり、ただこの一《ひと》ところや、世に残りたまへらむ」とのたまふ。

「尚侍《ないしのかみ》こそは、らうらうじくゆゑゆゑしき方は人にまさりたまへれ。浅はかなる筋など、もて離れたまへりける人の御心を、あやしくもありけることどもかな」とのたまへば、「さかし。なまめかしう容貌《かたち》よき女の例には、なほひき出でつべき人ぞかし。さも思ふに、いとほしく悔しきことの多かるかな。まいて、うちあだけすきたる人の、年つもりゆくままに、いかに悔しきこと多からむ。人よりはこよなき静けさと思ひしだに」など、のたまひ出でて、尚侍の君の御ことにも涙すこしは落したまひつ。

「この数にもあらずおとしめたまふ山里の人こそは、身のほどにはややうち過ぎ、ものの心などえつべけれど、人よりことなるべきものなれば、思ひあがれるさまをも見|消《け》ちてれてはべるかな。いふかひなき際《きは》の人はまだ見ず。人は、すぐれたるは難《かた》き世なりや。東《ひむがし》の院にながむる人の心ばへこそ、古《ふ》りがたくらうたけれ。さはたさらにえあらぬものを。さる方につけての心ばせ人にとりつつ見そめしより、同じやうに世をつつましげに思ひて過ぎぬるよ。今、はた、かたみに背くべくもあらず、深うあはれと思ひはべる」など、昔今《むかしいま》の御物語に夜|更《ふ》けゆく。

月いよいよ澄みて、静かにおもしろし。女君、

こほりとぢ石間《いしま》の水はゆきなやみそらすむ月のかげぞながるる

外《と》を見出だして、すこしかたぶきたまへるほど、似るものなくうつくしげなり。髪《かむ》ざし、面様《おもやう》の、恋ひきこゆる人の面影《おもかげ》にふとおぼえて、めでたければ、いささか分くる御心もとりかさねつべし。鴛鴦《をし》のうち鳴きたるに、

かきつめてむかし恋しき雪もよにあはれを添ふる鴛蒼《をし》のうきねか

現代語訳

雪がたいそう降り積もっている上に、今もちらついていて、松と竹の境が趣深く見える夕暮に、源氏の君のお姿もいよいよ光輝いて見える。(源氏)「四季折々につけても、人の心を移すという花や紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄んだ付きに雪が光りあっている空こそ、色はなくても不思議に身にしみて、来世のことまで思いやられ、おもしろさも情け深いこともどこまでもすぐれている折である。興ざめなものの例として言い置いたという人の考えの浅いことよ」といって、御御簾を巻き上げさせなさる。

月は隈なくさし出て、月も雪も、白色一色に見渡される中、雪にしおれた植込みの姿が気の毒に思われ、遣水もひどくむせ返るようにしており、池も氷もなんとも言えず寂しい風情をそそられる感じなので、女童たちを庭におろして、雪転がしをさせなさる。

可愛らしい姿、頭の格好なども月に映えて、背が高く馴れているのが、さまざまの衵を着流して、帯もくつろいだ感じにして宿直姿で艶っぽい上に、裾から長くはみ出している髪の毛の末が、衣の白いのにいっそう見映えがするのは、とても印象的である。小さい女童は子供っぽく喜び走っているうちに、扇なども落として、あけっぴろげに顔を見せているのも、おもしろい感じである。

もっと多く転がそうと欲張っているけれど、押して動かすことができないで残念がっているようだ。また一方は東の対の端などに出て座っていて、じれったそうに笑っている。

(源氏)「先年、中宮(藤壺)の御前で雪の山をお作りになったのは、世間にありふれた事ですが、やはり珍しくちょっとしたことをなさったものですよ。何の折々につけても、宮がお亡くなりになられたことは残念で、寂しいことでありますね。まったく雲の上の御方でしたから、詳しいご様子を日常的に拝見することはなかったですが、宮中でおすごしの間は、私のことを気軽な相手とお思いになってくださっておりました。私のほうもお頼み申しあげて、何かというときには、こうした折につけて、何ごともご相談申しあげておりましたが、表に出して再起をお示しになるようなことはありませんでしたが、ご相談しがいがあり、こちらの思うように、ちょっとした芸事なども、うまくなさったものでした。世間に他にあれほどの方があるでしょうか。物腰やわらかく、おっとりしていらっしゃるが、深い教養も身についていらっしゃるところでは、他に比類ないほどでいらっしゃいましたが、貴女こそは、なんといっても宮(藤壺)のゆかりの方で、宮とひどく違ってはいらっしゃらないようですが、すこし厄介な処があって、とげとげしさが勝っているのがまずい所だと思いますよ。前斎院(朝顔)のご気性は、また別のようすに見えます。物足りない時に、何ということはなくてもお話しあって、私も自然と気遣いしてしまうような御方といえは、ただこのお一方だけが、世に残っていらっしゃるということでしょうか」とおっしゃる。

(紫の上)「尚侍(朧月夜)さまこそは、賢明ですぐれた御人柄ということでは人にまさっていらっしゃいます。浮ついた筋のことなど、見向きもさらなかった御気性でしたのに、不思議に、いろいろな事がありましたよね」とおっしゃると、(源氏)「そうなのです。優美で顔立ちのよい女性の例としては、やはり引き合いに出されてよい御方なのですよ。そう思うにつけても、お気の毒で後悔されることが多かったことですよ。まして、浮気性の人であれば、年月が重なるにつれて、どれほど悔しいことが多いでしょうか。他の人よりはずっと物静かだと思っていた人でさえそうなのですから…」など、お口に出されて、尚侍の君(朧月夜)の御ことにも涙を少しは落とされる。

(源氏)「こうした人数にも入らないと軽く見ていらっしゃる山里の人(明石の君)こそは、身分のわりに少しすぐれており、ものの道理もわきまえているようですが、他の人と同列にすることはやはりできませんので、気位の高いさまを見てもどうとも思いませんね。言っても仕方ないような身分の人とはまだ付き合ったことがないです。世の中に、すぐれている人は、滅多にいないものですね。東の院で物思いしている人(花散里)の気性は、今も昔も変わりがたくいじらしいものです。ああはまた、まったく、できないものですが。そういう面においての気立てのよい人と認めつつ付き合い始めてから、いまも同じように私との仲を遠慮しつつ過ごしてきたのですよ。今ではやはり、お互いに別れられないほど、深く愛しいと思っています」などと、昔今の物語に夜が更けてゆく。

月がいよいよ澄んで、静かで風情がある。女君、

(紫の上)こほりとぢ…

(氷が閉じ込めた石間の水は流れゆくこともできず、空には澄んだ月影が西に流れてゆく…私が身動きできず苦しんでいる一方で、貴方は嘘をついていろいろな女性と交際なさっているので、私は泣けてきます)

外のほうを見て、少し御顔を傾けていらっしゃる御ようすは、他に似るものなく可愛らしい。髪の具合や顔立ちが、お慕い申し上げる人(藤壺)の面影に似ていると、ふと思われて、すばらしくお思いになったので、いささか他の女性たちに分けていらっしゃるご愛情も取り戻されたに違いない。鴛鴦がたまたま鳴いているので、

(源氏)かきつめて…

(あれやこれやが一緒になって、昔が恋しい雪の夜に、いよいよ情味を添える鴛鴦の悲しげな声であるよ)

語句

■時時につけても 「春秋に思ひ乱れて分きかねつ時につけつつうつる心は」(拾遺・雑下 貫之)、「高岳相如が家に冬の夜の月おもしろう侍りける夜まかりて/いざかくてをり明かしてむ冬の月春の花にもおとらざりけり」(拾遺・雑秋 清原元輔、元輔集)。 ■すさまじき例 清少納言『枕草子』を意識したか。 ■御簾捲き上げさせたまふ 「遺愛寺ノ鐘ハ枕ヲ欹《そばだ》テテ聴ク 香炉峰ノ雪ハ簾ヲ撥《かかげ》テ看ル」(白氏文集巻十六・律詩・香炉峰下新卜山居草堂初成偶東壁)。『枕草子』で中宮定子が「香炉峰の雪いかならむ」と問うたのに清少納言が簾をかかげたくだりは有名。 ■ひとつ色に 雪も月も白く輝いている。 ■心苦しう 前栽を擬人化している。 ■むせびて 遣水を擬人化している。 ■雪まろばし 雪を転がして丸い玉を作る遊び。 ■衵 女童の表着。 ■宿直姿 貴人のお側で宿直するときのような、寝乱れたような姿。 ■童げて 「童ぐ」は子供っぽくふるまう。 ■心もとなげに 雪を転がしあぐねているのを見てじれったそうにす。 ■中宮の御前に雪の山作られたりし 物語中にその記述はない。『枕草子』(職の御曹司におはしますころ)の雪山の行事に準拠。 ■くはしき御ありさまを見ならはしたてまつりしことはなかりしかど 源氏は藤壺との関係を紫の上に隠している。 ■御まじらひのほど 藤壺が宮中で他の女御更衣と交わっておられた頃。宮中にいらした頃。出家後は三条の邸に下った。 ■らうらうじきこと 「労々じ」は洗練されていること。もの慣れしていること。才気にたけていること。 ■言ふかいあり 相談のしがいがあり。 ■おびれたる 「おびる」は内気でおっとりしている。 ■よしづきたる 「よしづく」は趣味教養が豊かに身についていること。 ■さいへど 何といっても。 ■紫のゆゑ 「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」(古今六帖五)、「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(古今・雑上 読人しらず)。「むらさきの色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける」(伊勢物語四十一段)。 ■わづらはしき気 紫の上の嫉妬深いところ。 ■尚侍 朧月夜。源氏は彼女との密通をきっかけに、須磨・明石に謫居するはめになった。 ■あやしくもありけることども 源氏と朧月夜の間の恋愛事件をさす。なお朧月夜は「浅はかなる筋」がむしろ大好きな気性である。紫の上は誤解しているか、わざと嫌味で言っているらしい。 ■人よりはこよなき静けさと思ひしだに 下に「後悔が多いのですから」の意を補う。「朧月夜はなるほど貴女が言うように好色な人ではない。まして好色な人ならどれだけ後悔が多いだろう。朧月夜のような物静かな人でさえ後悔が多いのだから」の意。後悔とは朧月夜が朱雀院の中宮になれずに尚侍にとどまったことを言うか。それこそ源氏との密通事件が原因なのだが。源氏は自分の責任について言うのをたくみに避ける。 ■この数にもあらずおとしめたまふ 「おとしめたまふ」の主語が紫の上か明石の君かで文意が異なる。以下、明石の君の動作に敬語がないので、ここは紫の上が主語と見るべきか。以下、源氏の明石の君評は侮蔑的。紫の上を持ち上げるためにあえて明石の君を下げているのだろう。 ■山里の人 明石の君。大堰に住んでいるので。 ■身のほど 明石の君には常に「身のほど」という言葉がつきまとう。源氏もたびたび言うし、明石の君本人も言う。 ■人よりことなるべきものなれば 源氏の他の妻たちと比べると身分が低いのだからの意。 ■思ひあがれるさま 明石の君が気位高くしているようす(【明石 08】【明石 10】)。 ■見消ちて 「見消つ」は見ても価値を認めない。 ■東の院にながむる人 花散里。東の院で(源氏の訪れがないために)物思いに沈んでいる人。花散里が実際に物思いに沈んでいるかはともかく、そう言うことで紫の上に対して「貴女は特別なんですよ」と持ち上げる意図がある。 ■さる方 「ふりがたくらうたき」面。 ■とりつつ 「とる」は認める。 ■こほりとぢ 自身を石間の水に、源氏を月影にたとえる。「ゆ(行)き」に「生き」を、「す(澄)む」に「住む(結婚する)」を、「ながるる」に「泣かるる」を、「そら(空)」に「そらごと(嘘)」をかける。 ■かきつめて 「雪もよに」は「雪もよよに」のことか。「よよ」は液体が流れるさま。「うきね」は「浮き寝」と「憂き音」をかける。

朗読・解説:左大臣光永

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