【若菜下 17】四人の御方々(女三の宮・明石の女御・紫の上・明石の御方)の演奏、それぞれに優美を極める
御|琴《こと》どもの調べどもととのひはてて、掻き合はせたまへるほど、いづれとなき中に、琵琶《びは》はすぐれて上手《じやうず》めき、神さびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞こゆ。和琴《わごん》に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬《あいぎやう》づきたる御|爪音《つまおと》に、掻き返したる音《ね》の、めづらしくいまめきて、さらに、このわざとある上手どもの、おどろおどうしく掻《か》きたてたる調べ調子《てうし》に劣らずにぎははしく、大和琴《やまとごと》にもかかる手ありけり、と聞き驚かる。深き御|労《らう》のほど、あらはに聞こえておもしろきに、大殿《おとど》御心落ちゐて、いとあり難く思ひきこえたまふ。箏《さう》の御琴は、物の隙《ひま》々に、心もとなく漏《も》り出づる物の音《ね》がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。琴《きん》は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよく物に響きあひて、優《いう》になりにける御|琴《こと》の音《ね》かな、と大将聞きたまふ。拍子とりて唱歌《さうが》したまふ。院も、時厚扇《あふぎ》うち鳴らして加へたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかにものものしき気《け》添ひて聞こゆ。大将も、声いとすぐれたまへる人にて、夜の静かになりゆくままに、言ふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。
現代語訳
御方々の御琴の調弦がおわって、ご合奏になられる時、いずれの御方もすばらしい中に、明石の御方の琵琶はたいそう上手めいて、神がかった手使いで、澄みきってみごとに聞こえる。紫の上の和琴に、大将(夕霧)も耳を澄ましていらっしゃると、優しく、親しみ深い御爪音で、掻き返した音色は、珍しく今風で、けして、この技ならこの人という名手たちが、ものものしく掻き立てる曲や調子にも劣らずはなやかで、大和琴にもこうした弾き方があったのだ、と聞いて驚くばかりである。たいそうご練習なさった具合が、はっきり聞こえて興深いので、大殿(源氏)は、ご安心なさって、上(紫の上)のことを、まことに二人とないすばらしい御方だとお思いになる。
明石の女御の箏の御琴は、他の楽器の合間合間に、それとなく漏れ出す性質の音であって、どこまでも可愛らしく、優美に聞こえる。女三の宮の琴は、やはり幼なげな演奏ではあるが、今お習いになっていらっしゃる最中なので、たどたどしくはなく、まことによく他の楽器と響きあって、よくぞここまで優美な音が出るようになった御琴よと、大将(夕霧)はお聞きになっていらっしゃる。
大将(夕霧)が、拍子をとって唱歌なさる。院(源氏)も、時々扇をうち鳴らしてお添えなさる御声が、昔よりもたいそう風情があり、すこし太く、威厳が加わって聞こえる。大将も、声がよい方でいらっしゃるから、夜の静まりゆくにつれて、言いつくすこともできないほど、心惹かれる夜の御遊びである。
語句
■神さびたる 明石の君と住吉の神のつながりが意識された表現。 ■なつかしく愛敬づきたる 紫の上の人柄を特徴づける表現。 ■掻き返したる 「爪音」は左手で、「掻き返し」右手で弾く。 ■大和琴 和琴。前に「跡定まりたることなくて」(【若菜下 16】)と、定まった弾き方がないと指摘されていた。 ■御心落ちゐて 前に「乱るるところもやとなまいとほしく」(【同上】)と源氏が心配しいた。 ■心もとなし 主役級に目立たず、引き立て役に徹するかんじ。 ■うつくしくなまめかしく 演奏の特徴がそのまま明石の女御の人柄をあらわす。 ■ふつつか 太くしっかりしているさま。