【若菜下 18】源氏、四人の御方々(女三の宮・明石の女御・紫の上・明石の御方)をそれぞれ花にたとえる

月、心もとなきころなれば、灯籠《とうろ》こなたかなたにかけて、灯《ひ》よきほどにともさせたまへり。宮の御方をのぞきたまへれば、人よりけに小さくうつくしげにて、ただ御衣のみある心地す。にほひやかなる方は後《おく》れて、ただいとあてやかにをかしく、二月の中の十日ばかりの青柳《あをやぎ》の、わづかにしだりはじめたらむ心地して、鶯《うぐひす》の羽風にも乱れぬべくあえかに見えたまふ。桜の細長《ほそなが》に、御髪《みぐし》は左右《ひだりみぎ》よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。

これこそは、限りなき人の御ありさまなめれ、と見ゆるに、女御の君は、同じやうなる御なまめき姿の、いますこしにほひ加はりて、もてなしけはひ心にくく、よしあるさましたまひて、よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりてかたはらに並ぶ花なき朝ぼらけの心地ぞしたまへる。さるは、いとふくらかなるほどになりたまひて、悩ましくおぼえたまひければ、御|琴《こと》も押しやりて、脇息《けふそく》におしかかりたまへり。ささやかになよびかかりたまへるに、御脇息は例のほどなれば、およびたる心地して、ことさらに小さく作らばやと見ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。紅梅の御|衣《ぞ》に、御髪《みぐし》のかかりはらはらときよらにて、灯影《ほかげ》の御姿世になくうつくしげなるに、紫の上は、葡萄染《えびぞめ》にやあらむ、色濃き小袿《こうちき》、薄蘇芳《うすすはう》の細長《ほそなが》に御髪《もぐし》のたまれるほど、こちたくゆるるかに、おほきさなどよきほどに様体《やうだい》あらまほしく、あたりににほひ満ちたる心地して、花といはば桜にたとへても、なほ物よりすぐれたるけはひことにものしたまふ。

かかる御あたりに、明石は気《け》おさるべきを、いとさしもあらず。もてなしなど気色ばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。柳の織物の細長、萌黄《もえぎ》にやあらむ、小袿《こうちき》着て、羅《うすもの》の裳《も》のはかなげなるひきかけて、ことさら卑下《ひげ》したれど、けはひ、思ひなしも心にくく侮《あなづ》らはしからず。高麗《こま》の青地《あをぢ》の錦の端《はし》さしたる褥《しとね》に、まほにもゐで、琵琶《びは》をうち置きて、ただけしきばかり弾きかけて、たをやかにつかひなしたる撥《ばち》のもてなし、音《ね》を聞くよりも、またあり難くなつかしくて、五月《さつき》まつ花橘《はなたちばな》、花も実も具して押し折れるかをりおぼゆ。

これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き見たまふに、大将も、いと内ゆかしくおぼえたまふ。対の上の、見しをりよりも、ねびまさりたまへらむありさまゆかしきに、静心《しづごころ》もなし。宮をば、いますこしの宿世《すくせ》及ばましかば、わがものにても見たてまつりてまし、心のいとぬるきぞ悔《くや》しきや。院はたびたびさやうにおもむけて、後言《しりうごと》にものたまはせけるを、とねたく思へど、すこし心やすき方に見えたまふ御けはひに、侮《あなづ》りきこゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。この御方をば、何ごとも思ひ及ぶべき方なく、け遠くて年ごろ過ぎぬれば、いかでか、ただ、おほかたに、心寄せあるさまをも見えたてまつらんとばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなき心などはさらにものしたまはず、いとよくもてをさめたまへり。

現代語訳

月の出が待ち遠しい時節であるので、燈籠をあちこちにかけて、灯を風情あるていどにお灯しになられた。宮(女三の宮)の御方をお覗きになると、他の人よりまことに小さく可愛らしく、ただ御衣だけがそこにあるような感じがする。美しく色づいているという面では引けを取り、ただまことに気品があり、興深く、二月の二十日ごろの青柳が、すこし枝垂れはじめた感じがして、鶯の羽音にさえも葉がゆれるほど、はかなげにお見えになる。

これこそは最上の部類の人のご様子なのだろう、と見えるが、女御の君(明石の女御)は、同じような優美な御姿に、もう少し美しく色づいたところが加わって、態度や身だしなみが奥ゆかしく、由緒あるようすでいらっしゃり、よく咲きこぼれている藤の花が、夏まで咲き残っていて傍らに並ぶ花もないほどに見事な、早朝の感じがなさる。ところで、ご懐妊のためお腹がまことにふくらんでおられる頃で、ご気分が悪くなられたので、御琴も押しやって、脇息によりかかっていらっしゃる。小柄な御体でなよなよともたれかかっていらっしゃるが、御脇息はふつうの大きさなので、御体に比して余っている気がして、ことさらに小さく作らなければと見えることが、まことに意地らしげでいらっしゃるのだった。紅梅襲の御衣に、御髪がかかってはらはらと美しげで、灯影に照らし出された御姿は世にまたとなく可愛らしげであるが、紫の上は、葡萄染めであろうか、色の濃い小袿、薄蘇芳の細長を着て、そこに御髪がたまっている様子が、ことごとしく、ゆったりして、御体の大きさなどはよい具合に見てくれがよく、あたりに美しい色が満ちているような気がして、花といえば桜にたとえても、それよりもすぐれている様子が格別でいらっしゃる。

こうしたお処で、明石の御方は気おされても当然と思われるのだが、まったくそのようなことはない。身のこなしなど由緒ありげで、見ているほうが気後れするほどで、心の底がはかりがたい様子で、なんとなく気品があり優美に見える。柳の織物の細長に、萌黄であろうか、小袿を着て、それに薄物の裳のさりげなく見えるのをつけて、ことさら卑下しているが、その様子は、気のせいにしても奥ゆかしく、軽く見るようなものとは思われない。

高麗の青地の錦で縁どりをした褥に、本人はまともに座りもしないで膝だけをのせ、琵琶を置いて、ただ申しわけていどに弾きかけて、たおやかに使いこなしている撥の扱いは、音を聞くよりも、また滅多になく心惹かれて、五月まつ花橘を、花も実もいっしょに折り取ったときの香りを思わせる。

大将(夕霧)は、あちらもこちらも、とりすましていらっしゃる御方々の御気配をお聞きになり御覧になるにつけ、
御簾の内がとても見てみたくなられる。対の上(紫の上)が、以前見たときよりも、ご成熟なさっているだろう御姿に心惹かれ、ひどく落ち着かない。宮(女三の宮)をば、もうすこし前世からの御縁が及んでいたら、わがものとしても拝見したのだろう、どうにも押しの弱い、自分の性格が残念なことだ。朱雀院は、たびたびそうなるようにけしかけて、陰でもそうおっしゃっていたのにと、残念に思うが、宮(女三の宮)のすこし軽薄と拝見されるご様子に、お蔑み申し上げるわけではないが、それほど心は動かないのであった。

この御方(紫の上)を、どうやっても思いを遂げようもなく、遠くで長年過ごしてきたので、どうにかして、ただ一般的な意味としてだけでも、好意を寄せていることを、お見せ申し上げたいと、それだけが、残念で嘆かわしいことであった。かといって無理強いをして、あってはならない分不相応な気持などをお持ちになるわけでは、まったくなく、たいそうよくご自重していらっしゃった。

語句

■心もとなきころ 正月二十日ごろは月の出が遅い。 ■御衣のみある心地 女三宮がいかに小柄かを強調。 ■いとあてやか 二品内親王という地位からくる美質。 ■二月の中の十日ばかりの… 『紫式部日記』の小少将の君に類似。「そこはかとなくあてになまめかしう、二月ばかりのしだり柳のさましたり」。 ■わすづかにしだりはじめたらむ心地 三巻本『枕草子』「三月三日は」に柳の芽吹く頃が賞賛されている。 ■鶯の羽音にも乱れぬべく 「白雪ノ花繁クシテ空シク地に撲《お》ツ 緑糸ノ条《えだ》ハ弱クシテ鶯ニ勝《た》ヘズ」(白氏文集六十四・楊柳枝詞)。 ■あえかに 前にも「細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ」(【若菜下 15】)とあった。 ■桜の細長 桜襲は表白、裏紅。青柳との色彩の対比。 ■柳の糸 「青柳」の縁。 ■限りなき 身分が最上位であること。 ■にほひ加わりて 女三の宮の「にほんやかなる方は後れて」との対比。 ■もてなしけはひ 女三の宮については身分の高さという表面的なことを指摘するだけだが、明石の女御については振る舞い、態度というより本質的なことを持ち出して褒める。 ■藤の花 【野分 09】にも明石の女御が藤にたとえられていた。『枕草子』も藤の花を「あてなるもの」「めでたきもの」として挙げる。 ■かたはらに並ぶ花なき 帝の寵愛を一身に集めているさまをも言う。 ■いとふくらかなる 明石の女御は懐妊七ヶ月。十一月に「五月ばかり」(【若菜下 14】)とあった。 ■ささやかに 女三の宮と同じく小柄さを強調。 ■およびたる 体に対して脇息が大きすぎるのである。 ■桜にたとへても かつて夕霧が紫の上を見たときの印象に「気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」(【野分 02】)とあった。 ■心の底ゆかしきさま 心がはかりがたく奥深いこと。 ■あてになまめかしく 賤しい出自とは裏腹に、明石の御方は高貴さをただよわせている。 ■萌黄 薄緑色。 ■裳 裳の着用は女房のあかし。しかも「はかなげなる」なので、目立たないよう着用する。明石の御方の深い気遣いがうかがえる。 ■まほにもゐで 高級な渡来の褥に遠慮している。明石の君の「卑下」の一つ。 ■ただけしきばかり 見事な技量を見せびらかすのではなく、控えめに披露する。明石の御方の深い気遣い。 ■五月まつ花橘 「五月まつ花橘の香をかけば昔の人の袖の香ぞする」(古今・夏 読人しらず)。三巻本『枕草子』には「花のなかよりこがねの玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜におとらず」とある。前の「明石は気おさるべきを、いとさしもあらず」とも重なる。 ■御けはひ 夕霧は御簾の外側で、御方々の気配だけを感じる。 ■見しをり 以前、夕霧が紫の上の姿を垣間見た件(【同上】)。 ■ねびまさりたまへらむ 女盛りでいっそう美しくなっているだろうと想像する。 ■院はたびたびさやうにおもむけて 朱雀院は夕霧を女三の宮の婿にとも考えていた(【若菜上 03】)。 ■すこし心やすき方に 前も夕霧は女三の宮について「をさをさけざやかにもの深くは見えず」(【若菜上 34】)と見ていた。 ■年ごろ過ぎぬれば 野分巻で垣間見て以来。 ■おほかたに 恋愛感情ではなく、義母と息子という関係上の好意として。

朗読・解説:左大臣光永