【若菜下 19】源氏と夕霧、音楽について論ずる

夜|更《ふ》けゆくけはひ冷《ひや》やかなり。臥待《ふしまち》の月はつかにさし出でたる、「心もとなしや、春の朧《おぼろ》月夜よ。秋のあはれ、はた、かうやうなる物の音に、虫の声よりあはせたる、ただならず、こよなく響きそふ心地すかし」とのたまへば、大将の君、「秋の夜の隈《くま》なき月には、よろづのものとどこほりなきに、琴笛の音も明らかに、澄める心地はしはべれど、なほことさらにつくりあはせたるやうなる空のけしき、花の露もいろいろ目移ろひ心散りて、限りこそはべれ。春の空のたどたどしき霞《かすみ》の間《ま》より、朧《おぼろ》なる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音《ね》なども、艶《えん》に澄みのぼりはてずなむ。女は春をあはれぶ、と古き人の言ひおきはべりける、げにさなむはべりける。なつかしくもののととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ」と申したまへば、「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたることを、末の世に下れる人のえ明らめはつまじくこそ。物の調《しら》べ、曲《ごく》のものどもはしも、げに律《りち》をば次のものにしたるは、さもありかし」などのたまひて、「いかに。ただ今、有職《いうそく》のおぼえ高きその人かの人、御前などにて、たびたびこころみさせたまふに、すぐれたるは数少なくなりためるを、その兄《かみ》と思へる上手《じやうず》どもいくばくえまねびとらぬにやあらむ。このかくほのかなる女たちの御中に弾きまぜたらむに、際《きは》離るべくこそおぼえね。年ごろかく埋《むも》れて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりにたるにやあらむ。口惜しうなむ。あやしく、人の才《ざえ》、はかなくとりすることども、もののはえありてまさるところなる。その御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人々、それかれといかにぞ」とのたまへば、大将、「それをなむとり申さむと思ひはべりつれど、明らかならぬ心のままにおよすけてやはと思ひたまふる。上《のぼ》りての世を聞きあはせはべらねばにや、衛門督の和琴《わごん》、兵部卿宮の御琵琶などをこそ、このごろめづらかなる例《ためし》にひき出ではべめれ。げにかたはらなきを、今宵《こよひ》うけたまはる物の音《ね》どもの、みな等しく耳驚きはべるは。なほかくわざともあらぬ御遊びと、かねて思うたまへたゆみける心の騷ぐにやはべらむ、唱歌《さうが》などいと仕うまつりにくくなむ。和琴は、かの大臣《おとど》ばかりこそ、かく、をりにつけてこしらへなびかしたる音《ね》など、心にまかせて掻きたてたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさ際《きは》離れぬものにはべめるを、いとかしこくととのひてこそはべりつれ」と、めできこえたまふ。「いと、さ、ごとごとしき際にはあらぬを、わざとうるはしくもとりなさるるかな」とて、したり顔にほほ笑みたまふ。

「げに、けしうはあらぬ弟子《でし》どもなりかし。琵琶はしも、ここに口入るべきことまじらぬを、さ言へど、物のけはひ異《こと》なるべし。おぼえぬ所にて聞きはじめたりしに、めづらしき物の声《こゑ》かな、となむおぼえしかど、そのをりよりはまたこよなくまさりにたるをや」と、せめてわれ賢《かしこ》にかこちなしたまへば、女房などはすこしつきしろふ。

「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才《ざえ》といふもの、いづれも際《きは》なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく習ひとらんことはいと難《かた》けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片《かた》はしをなだらかにまねび得たらむ人、さる片かどに心をやりてもありぬべきを、琴《きん》なむなほわづらはしく、手触れにくきものはありける。この琴《こと》は、まことに跡《あと》のままに尋ねとりたる昔の人は、天地《あめつち》をなびかし、鬼神《おにがみ》の心をやはらげ、よろづの物の音《ね》のうちに従ひて、悲しび深き者も、よろこびに変り、賤《いや》しく貧しき者も、高き世にあらたまり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。この国に弾き伝ふるはじめつ方まで、深くこのことを心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ごし、身をなきになして、この琴《こと》をまねびとらむとまどひてだに、し得るは難《かた》くなむありける。げに、はた明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲|雷《いかづち》を騒がしたる例《ためし》、上《あが》がりたる世にはありけり。かく限りなきものにて、そのままに習ひとる人のあり難く、世の末なればにや、いづこのそのかみの片はしにかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神《おにがみ》の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありける後《のち》、これを弾く人よからず、とかいふ難《なん》をつけて、うるさきままに、今は、をさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。琴《きん》の音《ね》を離れては、何ごとをか物をととのへ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと、衰《おとろ》ふるさまはやすくなりゆく世の中に、独《ひと》り出で離れて、心を立てて、唐土《もろこし》、高麗《こま》と、この世にまどひ歩《あり》き、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。などか、なのめにて、なほこの道を通《かよ》はし知るばかりの端《はし》をば、 知りおかざらむ。調《しら》べひとつに手を弾き尽くさむことだに、量《はか》りもなき物ななり。いはんや、多くの調べ、わづらはしき曲《ごく》多かるを、心に入りしさかりには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜《ふ》といふものの限りをあまねく見あはせて、後後《のちのち》は師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上《あが》がりての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後《のち》といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかし、と思す。

「この皇子《みこ》たちの御中に、思ふやうに生《お》ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りもとどめたてまつるべき。二の宮、今より気色ありて見えたまふを」などのたまへば、明石の君は、いと面《おも》だたしく、涙ぐみて聞きゐたまへり。

現代語訳

夜が更けていくのが、冷ややかに感じられる。臥待の月がほんのすこし出ているのが、(源氏)「心もとないものだね、春の朧月夜というのは。秋の風情は、また、こうした楽器の音に、虫が声を織り合わせているのが、並々でなく、たいそうすばらしい響きを添える感じがするよ」とおっしゃると、大将の君(夕霧)は、「秋の夜の陰りない月には、万事、楽器の音もとどこおりなく響いて、琴や笛も音もはっきり聞こえ、澄んでいる感じはしますが、やはりことさらに作り合わせたような空のけしきに、花の露もいろいろと目移りして気が散るので、その良さには決まりきったところがございます。春の空のぼうっと霞んだその間から、朧な月の光に、静かに楽器の音を吹き合わせているような風情には、どうでして秋がかないましょうか。秋は笛の音なども、つややかに、澄みのぼり切るものではございません。女は春に風情を感じる、と故人が言い残しましたのは、なるほどその通りでございました。心惹かれ、楽器の音も調和することは、春の夕暮れこそ格別でございます」と申されると、(源氏)「さあ、この議論であるよ。昔から人が判断しかねていたことを、末の世の劣った人が明らかにすることは、とてもできはしまい。楽器の調べや曲については、なるほど貴方がおっしゃる通り、律を二番手としているのだから、その通り、春のほうがよいのでしょう」などおっしゃって、(源氏)「さあどうでしょうか。今の世に、名手のおぼえ高いあの人この人が、帝の御前などで、たびたび演奏をなさる際に、すぐれているのは数少なくなったようで、そのうちの上位者と思える名人たちでさえ、どれほども会得してはいないのではないでしょうか。ここ六条院の、これら、何ということもない女たちの御中に加わって弾いたとしても、それほど優れているだろうとは思いませんね。私は長年隠居して過ごしておりますので、耳などもあまりよく働かなくなくなっているのかもしれません。残念なことで。ここ六条院は、不思議と、人の才覚が、ほんのちょっと取り組んだことでも、よく上達して、人よりすぐれている所なのです。その、帝の御前の管弦の御遊びなどに、一流の演奏者として選ばれる人々の、だれそれと比べて、どうだろうか」とおっしゃると、大将(夕霧)、「そのことを申し上げようと思ってございましたが、よくわきまえぬ者が、さかしらに知ったかぶりをしては、と気が引けてございました。時代をさかのぼって昔の世の名人を聞き合せてはおりませんからでしょうか、衛門督(柏木)の和琴、兵部卿宮の御琵琶などを、近頃の珍しい名手の例に挙げているようです。実際それらは並ぶものない素晴らしさなのですが、今宵うかがいました楽器の音が、それぞれみな等しく耳が驚きましたことといいましては。やはりこのような、かしこまった席ではない御遊びだと、前もってそう思って油断しておりましたので、その心が騒ぐのでございましょうか、唱歌など、ひどくお合わせ申しにくうございました。和琴は、あの大臣だけが、こうして、折につけて創り響かす音など、心のままに掻きたてなさるのは、まことに格別でいらっしゃいます。和琴を際立ったふうに弾くことは普通はできないことのようでございますが、こちら(紫の上の和琴)は、まことに見事に整ってございました」と、おほめになる。(源氏)「まことに、そんな、たいした技量はないのに、ことさらにお褒めになられることですな」と、得意顔で微笑んでいらっしゃる。

(源氏)「おっしゃる通り、悪くはない弟子たちなのですよ。琵琶に関してだけは、私が口出しすることは少しもないのですが、そうは言っても、雰囲気が以前と違ってきたようです。思いもかけぬ所であの琵琶の演奏をはじめて聞いた時に、めずらしい物の音だなと、思いましたが、その折よりはまた一段とよくなっていますよ」と、強引に自分の手柄として話を持っていこうとなさるので、女房などはおかしがって、すこしつつき合っている。

(源氏)「あらゆる芸道は、それぞれの道について習い学んでみると、才覚というものは、どの道についても際限がないことがだんだんわかってきて、自分の気持として満足いくほどどこまでも会得することはとても難しいけれど、その道を深く極めた人が、今の世にはめったにいないので、その片端なりとも無難に会得した人であれば、そのような中途半端な芸に満足していてもよいのだが、琴はそれでもやはり厄介で、うっかり手を出しづらいものであるのですよ。この琴は、ほんとうに定石のままに学びとった昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやわらげ、あらゆる楽器の音がこの琴の音の内に従って、悲しみ深い者も、よろこびに変わり、賤しく貧しい者も、身分高い者にあらたまり、宝にあずかり、世の中から認められる例が多かったのですよ。この国に琴の弾き方が伝えられたはじめのころまでに、深く音楽の道を会得した人が、多くの年を知らぬ国に過ごし、わが身をなきがごとくに顧みず、この琴を会得しようとして諸国をさまよってさえ、それを成し遂げるのは実に難しかったのです。実際、また、はっきりと空の月や星を動かし、季節はずれの霜や雪を降らせ、雲や雷を騒がせた例が、さかのぼった昔には、あったのです。琴はこのように際限なく奥深いものものだから、伝えられたそのままに会得する人は滅多になく、今は末の世だからでしょうか、どこにも昔の片鱗さえ残っておりません。しかし、それでもやはり、例の鬼神どもの耳をひきつけ、感動させたのがそもそもの始まりだったせいでしょうか、中途半端に学んで、思ったように身につかないことがあった後は、これを弾く人には災いがある、とかいう難癖をつけて、面倒なままに、今の世は、ほとんど伝える人がいないとか。ひどく残念なことではありますよ。琴の音以外に、何の楽器を、音を調え知る基準とすればよいのでしょう。ほんとうに、あらゆることがたやすく衰えていく世の中で、独りで俗世間を離れ、高い志を立てて、唐土、高麗と、この世をさまよい歩き、親と子も離れるようなことでは、世の中の除け者になってしまうにちがいありません。とはいえ、どうして並ひととおりには、それでもやはり琴の道を伝え知るだけのせめて一端を、心得ないでよいものでしょうか。ある調子ひとつを弾きこなすことでさえ、量りしれないほど難しいものらしいです。まして、いくつもの調子や、難しい曲も多いのを、私が気を入れ琴を学ぼうと熱心だったころは、世にあるかぎりの、この国に伝わっている譜というものを全部、まんべんなく見比べて、しまいには師とするような人もなくなってしまうほど、愛好し習いましたが、それでもやはり昔の名人には、及びようもありませんね。まして、これから先の将来といっては、伝えられるような子孫もいないのが、ひどく寂しいことで」などとおっしゃると、大将(夕霧)は、なるほどひどく残念で恥ずかしいことだ、とお思いになる。

(源氏)「この皇子たちの御中に、私の願いどおりに成長なさる者がいらっしゃれば、その時に、そもそも私がそれまで長生きできるようであればですが、どれほどでもない私の技量の限りをも、お伝え申し上げるつもりです。二の宮は、今からそうした才能のきざしがお見えになるようですから」などとおっしゃると、明石の君は、たいへん面目が立って、涙ぐんで聞いていらっしゃった。

語句

■夜更けゆくけはひ… 早春の深夜の冷気と月明かり。華麗な女楽の場面から、源氏と夕霧の会話へと、しぜんと場面が切り替わる。 ■臥待の月 十九日の月。臥して待つほど月の出が遅いの意。 ■心もとなし 源氏の台詞を「臥待の月はつかに…」からとする説、「春の朧月夜よ」からとする説も。 ■秋のあはれ 秋の風情が管弦に最適とするのが当時の一般見解だった(【若紫 14】)。 ■春の空のたどたどしき霞より 夕霧の紫の上への感想「春の曙の霞の間より」(【野分 02】)が重なる。夕霧にとって春を評価することは紫の上を評価することにつながる。 ■女は春をあはれぶ 「女ハ陽気ノ春を感ジテ男ヲ思フ、男ハ陰気ノ秋ヲ感ジテ女を思フ」(毛詩注)。 ■げに 春をよしとする夕霧の意見に賛同する。 ■律 呂は春の響き、律は秋の響き。 ■有職のおぼえ高き ここでは演奏の巧みな者。 ■兄 ここでは上級者の意。 ■まねびとらぬ 師匠から技量を会得したこと。 ■ほのかなる女たち 演奏の専門家ではない六条院の御方々のことをいう。 ■際離るべくこそおぼえね 前も「ただ今の物の上手どもこそ、さらにこのわたりの人々の御心しらひどもにまさらね」(【若菜下 15】)とあった。 ■とりする 「とり為」。「とり」は接頭語。行うこと。 ■ひときざみに 一流の者として。 ■およすけて 「およすく」はここではさかしらに批評すること。 ■衛門督の和琴 前太政大臣とその長男柏木は和琴の名手(【若菜上 12】)。 ■兵部卿宮の御琵琶 螢兵部卿宮は薫物合わせの管弦(【梅枝03】)や源氏四十の賀(【若菜上 23】)で琵琶を弾いた。 ■唱歌などいと仕うまつりにくく 前に夕霧は女楽にあわせて唱歌した(【若菜下 17】)。 ■かの大臣 前太政大臣。長男柏木とともに和琴の名手。 ■際離れぬものにはべめるを 夕霧、紫の上を絶賛。 ■弟子ども 前も「明石の君をはなちては、いづれもみな棄てがたき御弟子ども」(【若菜下 16】)とあった。 ■おぼえぬ所 源氏流謫中、明石入道の邸で明石の君を見初める。明石の君の琵琶の演奏場面はこのときないが、以前から琵琶の名手と評判されていた(【若紫 03】)。 ■そのをりよりは 自分の指導によって明石の君もいっそう上達したのだという自負。 ■われ賢に 自分の手柄として。 ■よろづのこと… 以下、芸道についての一般論を展開。 ■琴なむ 芸道全般に関する一般論から、琴についての話に焦点がしぼられていく。 ■天地をなびかし 以下、琴の効用。「琴ハ天地ヲ動カシ、鬼神ヲ感ゼシム」と楽書にあると『花鳥余情』『弄花抄』などが指摘。古今集仮名序、真名序にも同様の文。もとは『詩経』大序の「天地ヲ動カシ鬼神ヲ感ゼシムルハ、詩ヨリ近キハナシ」から。 ■悲しび深き者も… 『宇津保物語』の琴を伝える家系の話をふまえる。 ■この国に弾き伝ふるはじめつ方 『宇津保物語』俊蔭漂流譚を引く。俊蔭が唐土に渡ろうとして南海の波斯《はし》国に漂着してら、琴の名手として帰国するまでを描く。 ■明らかに… 「大殿の上の瓦砕けて花の如く散る」「水無月中の十日のほどに、雪、襖の如く凝りて降る」(『宇津保物語』俊蔭巻)。 ■世の末なればにや 『源氏物語』が書かれた時期は、末法直前とみなされていた。釈迦の入滅後五百年が正しく仏法が行なわれる正法《しょうぼう》時、それから千年が教法は残るが信仰が形骸化する像法《ぞうぼう》時、その後一万年が仏法が衰える末法時とする。 ■今は、をさをさ伝ふる人なしとか 前も「さらにまねぶ人なくなりにたりとか」(【若菜下 15】)。 ■独り出で離れて 『宇津保物語』俊蔭流離譚をふまえる。 ■ひがめる者 除け者。 ■なのめにて ここでは大方の、伝わっていることだけでもの意。「なのめ」はありふれた、平凡なの意。 ■後後は師とすべき人もなくてなむ 源氏の強い自負。話が大きくなりがちな源氏を、夕霧はけして嘲笑したりせず、おおらかに受け止めていることに注目したい。 ■この皇子たち 明石の女御腹の皇子たち。 ■思ふやうに 源氏が思うとおり音楽の才能を持って。 ■その世になむ その皇子が琴を教えられるくらいに成長した時に。 ■二の宮 後の式部卿宮。「三の宮」とする本もある。三の宮は後の匂宮。 ■気色 音楽の才能がありそうなきざし。 ■明石の君は 孫をほめられたことが誇らしい。

朗読・解説:左大臣光永