【若菜下 20】源氏も加わり、うちとけた演奏となる
女御の君は、箏《さう》の御|琴《こと》をば、上《うへ》に譲りきこえて、寄り臥《ふ》したまひぬれば、あづまを大殿《おとど》の御前《おまへ》にまゐりて、け近き御遊びになりぬ。葛城《かづらき》遊びたまふ。華やかにおもしろし。大殿《おとど》、折り返しうたひたまふ御声たとへむ方なく愛敬《あいぎやう》づきめでたし。月やうやうさし上《あが》がるままに、花の色香《いろか》ももてはやされて、げにいと心にくきほどなり。
箏《さう》の琴《こと》は、女御の御|爪音《つまおと》は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、揺《ゆ》の音《ね》深く、いみじく澄みて聞こえつるを、この御手づかひは、また、さま変りて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬《あいぎやう》づきて、輪《りん》の手など、すべて、さらに、いとかどある御|琴《こと》の音《ね》なり。返《かへ》り声に、みな調べ変りて、律《りち》の掻《か》き合はせども、なつかしくいまめきたるに、琴《きん》は、五箇《ごか》の調べ、あまたの手の中《なか》に、心とどめてかならず弾きたまふべき五六の撥《はち》を、いとおもしろくすまして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく澄みて聞こゆ。春秋よろづの物に通《かよ》へる調べにて、通はしわたしつつ弾きたまふ。心しらひ、教へきこえたまふさま違《たが》へず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく面《おも》だたしく思ひきこえたまふ。
現代語訳
女御の君(明石の女御)は、箏の御琴を、上(紫の上)にお譲り申し上げて、物に寄りかかっていらっしゃったので、上(紫の上)は、和琴を大殿(源氏)の御前にさしあげて、うちとけた管弦の御遊びになった。
葛城をご演奏なさる。華やかに興深い。大殿(源氏)が折り返しお歌いになられる御声はたとえようもなく愛敬があって、すばらしい。月がしだいにさし上がってくるにつれて、花の色や香りも増し加わって、いかにも奥ゆかしいかぎりである。
箏の琴は、女御(明石の女御)の御爪音は、たいそう可愛らしく魅力的で、母君(明石の君)の御ようすが加わって、揺《ゆ》の音が奥ゆかしく、たいそう澄んで聞こえたのだが、この(紫の上の)御手づかいは、それとはまた様子が違っていて、ゆったりと風情があり、聞く人が並々でなく思い、なんとなく心惹かれるまでに魅力的で、輪の手など、すべて、実に、たいそう才気のある御琴の音である。
返り声に、みな調子が変わって、それぞれ律の音で掻き合わせるのは、魅力的で今風に華やかである中に、女三の宮の琴は、五個の調子が、多くの奏法の中で、必ず注意してお弾きにならなくてはいけない五六の撥音を、たいそう風情あるようすに、すましてお弾きになる。少しも不十分なところはなく、とてもよく澄んで聞こえる。春秋のあらゆる風情に通う調子であって、万事調和するようにお弾きになる。その心づかいは、ご自分(源氏)がお教えになられたことと違わず、まことによくわきまえていらっしゃるので、大殿(源氏)は、とても可愛らしく、誇らしげに上(紫の上)のことを思い申される。
語句
■上に 義母である紫の上に。 ■寄り臥したまへば 前に「いとふくらなるほど」(【若菜下 18】)とあった。明石の女御は懐妊七ヶ月である。 ■あづま 東琴=和琴。六弦。紫の上は明石の女御から箏を受け取ったので、今まで演奏していた和琴を源氏に差し上げる。 ■け近き さきほどの女楽のような本格的な演奏でなく。 ■葛城 「葛城《かづらき》の、寺の前なるや、豊浦の寺の、西なるや、榎《え》の葉井に、白璧沈《しらたましづ》くや、真白璧沈くや、おおしとど、おしとど、しかしてば、国ぞ栄えむや、我家《わいへ》らぞ、富《とみ》せむや、おおしとど、としとんど、おおしとんど、としとんど」(催馬楽・葛城)。 ■母君の御けはひ 源氏の指導だけでなく、母明石の君の感じも添えられている。 ■揺の音 左手で弦を押さえて、ゆすって出す音。 ■輪の手 未詳。 ■調べ変わりて 呂から律に調子が変わった。下に「律」とあるので。 ■五個の調べ 古注は掻手《かいで》・片垂《かたたり》・水宇瓶《すいうびょう》・蒼海波《そうがいは》・雁鳴《がんめい》とするが、それぞれの具体的な調子は未詳。 ■五六の撥 未詳。 ■さらにかたほならず 演奏前は女三宮がほんとうにうまく演奏できるか心配だったが、の意をこめる。 ■春秋よろづ物に通へる調べ 前の「四季につけて変るべき響き、空の寒さ温さを調べ出でて」(【若菜下 13】)と通じる。 ■面だたし 女三の宮の琴がここまで上達したのも自分の指導のおかげだという得意げな気持。