【若菜下 21】女楽終わり、夕霧ら禄を賜り帰る

この君たちのいとうつくしく吹きたてて、切《せち》に心入れたるを、らうたがりたまひて、「ねぶたくなりにたらむに。今宵《こよひ》の遊びは長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを、とどめがたき物の音《ね》どもの、いづれともなきを、聞きわくほどの耳とからぬたどたどしさに、いたく更《ふ》けにけり。心なきわざなりや」とて、笙《さう》の笛吹く君に、土器《かはらけ》さしたまひて、御|衣《ぞ》脱ぎてかづけたまふ。横笛の君には、こなたより、織物の細長に、袴《はかま》などごとごとしからぬさまに、けしきばかりにて、大将の君には、宮の御方より盃《さかづき》さし出でて、宮の御|装束《さうぞく》一|領《くだり》かづけたてまつりたまふを、大殿《おとど》、「あやしや。物の師をこそまづはものめかしたまはめ。愁《うれ》はしきことなり」とのたまふに、宮のおはします御|几帳《きちやう》のそばより御笛を奉る。うち笑ひたまひてとりたまふ。いみじき高麗笛《こまぶえ》なり。すこし吹き鳴らしたまへば、みな立ち出でたまふほどに、大将立ちとまりたまひて、御子の持ちたまへる笛をとりて、いみじくおもしろく吹きたてたまへるが、いとめでたく聞こゆれば、いづれもいづれも、みな、御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御|才《ざえ》のほどあり難く思し知られける。

大将殿は、君たちを御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。道すがら、箏《さう》の琴の変りていみじかりつる音《ね》も耳につきて、恋しくおぼえたまふ。わが北の方は、故大宮の教へきこえたまひしかど、心にもしめたまはざりしほどに別れたてまつりたまひにしかば、ゆるるかにも弾きとりたまはで、男君の御前《おまへ》にては、恥ぢてさらに弾きたまはず、何ごともただおいらかにうちおほどきたるさまして、子どもあつかひを暇《いとま》なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹あしくてもの妬《ねた》みうちしたる、愛敬《あいぎやう》づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。

現代語訳

この君たちがたいそう可愛らしく吹きたてて、たいそう熱心につとめているのを、大殿(源氏)はおいたわりになられて、(源氏)「さぞ眠たくなっていように。今宵の管弦の遊びは長くではなく、ほんのすこしと思っていたのに、途中で止めづらいと思えるほど素晴らしい数々の楽器の音が、いずれが一番とも定めがたいのを、聞き分けるほどの耳がないので、ぐずぐずしているうちに、夜がたいそう更けてしまった。無粋なことではあるよ」といって、笙の笛を吹く君(髭黒の三男)に、盃をおすすめになられて、御衣を脱いで肩にかけておやりになる。横笛の君(夕霧の長男)には、紫の上から、織物の細長に、袴などをおおげさでないように、ただ形だけととのえて差し上げて、大将の君(夕霧)には、宮(女三の宮)の御方から盃を差し出して、宮の御装束を一揃えを肩にかけておやりになると、大殿(源氏)は、「妙なことですね。師匠をこそ第一に立てるべきでしょうに。情けないことだ」とおっしゃるので、宮のいらっしゃる御几帳のそばから、女房が御笛を大殿に差し上げる。大殿はお笑いになって、お取りなさる。見事な高麗笛である。すこし吹き鳴らしなさると、人々はみな立ち上がって退出なさるところだったが、大将(夕霧)はお立ち止まりになって、御子(長男)の持っていらっしゃる笛をとって、たいそう風情ある感じにお吹き立てになる。それがまことに素晴らしく聞こえるので、大殿(源氏)は、誰もかれも、みな、ご自分の演奏の腕をそのまま受け伝えて、たいそう比べようもなく素晴らしいことに、ご自分のご才覚のほどが滅多になくすぐれていることをご実感なさるのだった。

大将殿(夕霧)は、君たちを御車に乗せて、月の澄んでいる中をご退出なさる。道中、箏の琴の、並々でなく見事であった音も耳から離れずに、恋しくお思いになる。わが北の方(雲居雁)は、故大宮が音楽をお教え申し上げなさったけれど、まだ熱心にお習いになられる前に、大宮のもとから離れておしまいになられたので、ゆっくりとも弾き方をお習いにならないままで、男君(夕霧)の御前では、恥ずかしがってまったくお弾きにならない。何ごともただ大らかにのんびりしている様子で、次々とお生まれになる子供たちの世話を、休む暇もなくしていらっしゃるのだから、風流なところがあるようにも思えない。そうはいってもやはり、腹を立てて、嫉妬しているのは、愛敬があって可愛らしいお人柄でいらっしゃるようだ。

語句

■この君たち 髭黒の三男と夕霧の長男。 ■あやしや 源氏の戯れの言葉。 ■みな、御手を離れぬものの伝へ伝へ 源氏は、女たちの演奏の見事さが自分からの伝授によるので、いっそう自分の技量のすぐれていることを実感して大満足である。 ■箏の琴 紫の上が演奏した。 ■故大宮 雲居雁の祖母。前太政大臣の母。 ■別れたてまつり 雲居雁は大宮邸に暮らしていたが、夕霧との仲を前太政大臣(当時内大臣)にとがめられて、引き離されてしまった(【少女 22】)。 ■おほどきたる 「おほどく」はおっとりしている。のんびりしている。

朗読・解説:左大臣光永