【若菜下 22】源氏、紫の上と語らう わが半生を回想

院は、対へ渡りたまひぬ。上《うへ》は、とまりたまひて、宮に御物語など聞こえたまひて、暁《あかつき》にぞ渡りたまへる。日高うなるまで大殿籠《おほとのごも》れり。「宮の御琴の音《ね》は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞きたまひし」と聞こえたまへば、「はじめつ方、あなたにてほの聞きしはいかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく他事《ことごと》なく教へきこえたまはむには」と答《いら》へきこえたまふ。「さかし。手を取る取る、おぼつかなからぬ物の師なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて暇《いとま》いるわざなれば、教へたてまつらぬを、院にも内裏《うち》にも、琴《きん》はさりとも習はしきこゆらん、とのたまふ、と聞くがいとほしく、さりともさばかりの事をだに、かくとりわきて御|後見《うしろみ》にと預けたまへるしるしには、と思ひ起こしてなむ」など聞こえたまふついでにも、「昔、世づかぬほどをあつかひ思ひしさま、その世には暇《いとま》もありがたくて、心のどかにとりわき教へきこゆることなどもなく、近き世にも、何となく次々紛れつつ過ぐして、聞きあつかはぬ御|琴《こと》の音の、出でばえしたりしも面目《めんぼく》ありて、大将のいたくかたぶき驚きたりし気色も、思ふやうにうれしくこそありしか」など聞こえたまふ。

かやうの筋も、今は、また、おとなおとなしく、宮たちの御あつかひなどとりもちてしたまふさまも、至らぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきことまじらず、あり難き人の御ありさまなれば、いとかく具《ぐ》しぬる人は世に久しからぬ例《ためし》もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ。さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、とりあつめ足らひたることは、まことにたぐひあらじ、とのみ思ひきこえたまへり。今年《ことし》は三十七にぞなりたまふ。

見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、「さるべき御|禱《いのり》など、常よりもとり分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬ事もあらむを、なほ思しめぐらして、大きなる事どももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都《こそうづ》のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」などのたまひ出づ。「みづからは、幼くより、人に異《こと》なるさまにて、ことごとしく生《お》ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方にたぐひ少なくなむありける。されど、また、世にすぐれて悲しき目を見る方も、人にはまさりけりかし。まづは、思ふ人にさまざま後《おく》れ、残りとまれる齢《よはひ》の末にも、飽《あ》かず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの思はしく、心に飽かずおぼゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それにかへてや、思ひしほどよりは、今までも、ながらふるならむとなん、思ひ知らるる。君の御身には、かの一《ひと》ふしの別れより、あなたこなた、もの思ひとて心乱りたまふばかりのことあらじとなん思ふ。后《きさき》といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、みな必ずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。高きまじらひにつけても心乱れ、人に争ふ思ひの絶えぬもやすげなきを、親の窓の内ながら過ぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。その方、人にすぐれたりける宿世《すくせ》とは思し知るや。思ひの外《ほか》に、この宮のかく渡りものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上《うへ》なれば、思し知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞こえたまへば、「のたまふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心にたへぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」とて、残り多げなるけはひ恥づかしげなり。

「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年《ことし》もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御ゆるしあらば」と聞こえたまふ。「それはしも、あるまじきことになむ。さてかけ離れたまひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ思ふさまことなる心のほどを見はてたまへ」とのみ聞こえたまふを、例の、ことと心やましくて、涙ぐみたまへる気色を、いとあはれと見たてまつりたまひて、よろづに聞こえ紛らはしたまふ。

現代語訳

院(源氏)は、東の対(紫の上の居所)においでになった。上(紫の上)は、宮(女三の宮)方にお残りになって、暁にこちらにおいでになられた。お二人は日が高くなるまでお休みになられた。(源氏)「宮(女三の宮)の御琴の音は、たいそうよくなったものだね。どうお聞きになりましたか」と申し上げなさると、(紫の上)「はじめのうちは、あちらの御殿で少し聞いた時はどうだろうかと心配でしたが、その時とは別物のように上達なさいました。無理もございません。こんなふうに他に何もなさらずにお教え申し上げなさるのですから」と答え申し上げなさる。(源氏)「それなのですよ。いちいち手を取って、つきっきりの師匠でしたよ。貴女方に対しても、こうしたことは、面倒で煩雑で時間が必要なことですので、お教え申し上げないのですが、朱雀院も帝も、『宮(女三の宮)に、いくら何でも琴はお教え申し上げているだろう』とおっしゃっている、と聞くのがおいたわしくて、いくらなんでもせめてこの程度の事ぐらいは、こうして院が私をわざわざ御世話役に指定してくださり、宮をお預けになられたことに報いるしるしとして、と決心しましてね」などと申し上げなさるついでにも、(源氏)「昔、まだ若かった頃、幼い貴女を大切に思い養育申し上げたものだが、その頃は暇もめったになく、のんびりと音楽など貴女にことさらお教え申し上げることなどもなく、また近頃も、何となく次々の用事に紛れながら過ごして、私が聞いて指導申し上げていたわけでもない貴女の御琴の音が、今回、とくに際立って見事だったことが、私にはたいそう面目があって、大将(夕霧)が、たいそう耳を疑って驚いていたようすも、私の思いどおりで、うれしいことでしたな」などと申し上げなさる。

上(紫の上)は、こうした音楽の方面でも、今は、また、年配者らしくたいしたもので、宮たちの御世話などをお受け持ちになっていらっしゃるさまも、至らぬところがなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくつたないことは少しもなく、滅多になくすばらしい御人柄であるので、院(源氏)は、「実にここまで備わっている人は、長生きできない例もあるというけれど」と、縁起でもないことまでお考えになられる。さまざまな人のありようをたくさん御覧になってこられただけあって、何から何まで備わっていることは、まことに二人とおるまい、とばかり思い申し上げていらっしゃる。上(紫の上)は、今年は三十七歳におなりである。

ご夫婦として過ごしてこられた年月のことなども、しみじみとお思い出しになられる、そのついでに、(源氏)「しかるべき御祈祷など、例年よりも特別になさって、今年はご謹慎なさってください。私は何かと忙しくしてばかりで、気遣いが至らない事もあるでしょうが、やはり貴女があれこれお考えになって、大きな仏事などをなさるのであれば、私のほうで執り行いましょう。故僧都がいらっしゃらなくなってしまったことが、ひどく残念ですよ。ふつうの仏事をお願いするにしても、まことに立派にしてくださる方でしたのに」などとお話にお出しになる。(源氏)「私自身は、幼いころから、人と違うありようで、仰々しく育てられましたし、現在、世間的な栄華を得ていることも、日々のありようも、過去にこういう者は例が少ないのでございます。しかしまた、並々でなく悲しい目を見ることにおいても、人よりまさっていたようですよ。第一に、私を大事に思ってくれる人に次々と先立たれ、こうして生き残っております晩年にも、物足りなく、悲しいと思うことが多く、情けなく、不適当なことについても、不思議と物思いすることが多く、心に満足できないことが加わっているわが身のまま、年月を過ごしてきましたので、それと引き換えにでしょうか、思っていたよりは、今までも、長生きしているのだろうか、などと、自覚されるのです。

貴女の御身には、あのたった一度の別れのほかは、あれこれ、もの思いといっても、お悩みなさるほどのことはなかろうと確信しています。后といい、ましてそれより身分の劣る人々は、高貴な人といっても、みな必ず心穏やかでない物思いがつきまとっているものです。宮中での交際につけても心乱れ、人々と帝の寵愛を争う思いが絶えないのも穏やかではありませんのに、貴女はこうして親の庇護下のような境遇のまま、お過ごしになっておられる。これほど気楽なことはありません。その点、あなたは人よりすぐれた運命だった、というご自覚がございますか。ただ予想外なことに、この宮(女三の宮)がこうして六条院においでになったことだけは、貴女にとっては何となくおもしろくないことにはちがいないが、それについては、以前より私の貴女に対する愛情がいっそう増していくことを、御みずからの身の上のことですから、あるいはお気づきでいらっしゃらないかもしれませんね。貴女は物の道理もよくわかっていらっしゃるようですから、いくらなんでもそれくらいわかってくださると思いますが」と申し上げなさると、(紫の上)「おっしゃるように、頼りどころもない身にとっては、過分の境遇のようによそ目には見えるでしょうけれど、心に堪えられないもの悲しさばかりがつきまとうのですが、その苦悩だけが、私の祈りのようになって生きる支えとなってきたことです」といって、まだ言い残したことが多そうにしているのは、こちらが気後れしてしまうほどだ。

(紫の上)「まじめなことを申しますと、まことに行く先短い気がしますので、今年もこうして出家もせずに知らぬ顔で過ごすことが、ひどく後ろめたいことに思えます。前々もお願い申し上げた出家の件を、どうか御ゆるしございましたら」と申し上げなさる。(源氏)「それだけは、あってはならぬことですよ。そうして貴女と引き離されて、この世に残されては、私に何の生き甲斐があるでしょう。ただこうやって何となく過ごしている年月ではありますが、明け暮れ貴女と一緒に過ごしていることだけが、何にもましてかけがえの無い喜びに思えるのです。やはり私が貴女を想う格別の気持ちを、最後までお見届けください」とだけ申し上げなさるのだが、例によって、上(紫の上)が、ひたすら辛い思いで、涙ぐんでいらっしゃるようすを、大殿(源氏)は、まことに気の毒と御覧になられて、あれこれと言い紛らわしなさる。

語句

■上は 源氏が東の対に戻った後も紫の上は女三の宮のもとに残り、話し相手となった。 ■うるさく 「うるせし」の転。巧みだ、上手だの意。 ■はじめつ方 女三の宮が源氏の指導で琴の練習をはじめる以前。実際に紫の上がその頃の女三の宮の演奏を聞いた記述はない。 ■いかでかは これほど熱心に教えたのだから上達するのは当然の意。その裏に、自分が源氏から垣間見られないことへの不満がある。 ■さかし 「然かし」。そのとおりだと同意する。 ■手を取る取る 紫の上の嫉妬を知ってか知らずか、源氏はこうしたことを明け広げにいう。 ■これかれ 紫の上や明石の君といった六条院の御方々。 ■院にも内裏にも 朱雀院は「さりとも琴ばかりは弾きとりたまへらむ」と、帝は「げに、さりとも、けはひことらむかし」と言っていた(【若菜下 13】)。以下、女三の宮に対してだけ琴の指導をしたことの言い訳。 ■世づかぬほど 結婚前。 ■あつかひ思ひし 紫の上を大切に世話したという気持ち。 ■聞きあつかはぬ 前の「あつかひ思ひし」と対応。紫の上に対する愛情は真実だが、和琴は熱心に聞いてやることができなかったという弁解。 ■御琴の音 紫の上の演奏する和琴(六弦の東琴)。 ■出ばえしたり 人前でとくに際立って見事だったこと。 ■大将のいたくかたぶき驚きたりし 夕霧は紫の上の和琴について「いとかしこくととのひてこそはべりつれ」と賞賛(【若菜下 19】)。 ■かやうの筋 音楽の方面。 ■おとなおとなしく 年配者らしい才覚があること。 ■宮たちの御あつかひ 紫の上は宮たちの養育に慰めを見出していた(【若菜下 11】)。 ■今年は三十七 源氏との年齢差を八歳とすると、紫の上は三十九歳のはず。筆者の勘違いか。三十七歳は女性の重厄。藤壺宮の三十七歳で崩御している(【薄雲 11】)。 ■今年はつつしみたまへ 重厄の年齢だから。 ■大きなる事ども 規模の大きな仏事。 ■故僧都 紫の上の外祖母の兄。【須磨 12】以来、はじめての記述。死亡したことについては初出。 ■みづからは… 以下、源氏が半生を述懐。 ■今の世のおぼえ 准太上天皇として最高の栄誉を得ていること。 ■思ふ人 夕顔、葵上、藤壺宮、それに母桐壺更衣、外祖父、父桐壺院などもふくむか。 ■あぢきなくさるまじきこと 藤壺への恋慕をいう。これにより源氏には物思いの種が加わる。 ■君の御身 以下、紫の上の境遇にふれる。 ■かの人ふしの別れ 源氏が須磨に下ったこと。 ■后といひ 女性として最高の身分の方でも物思いがつきまとうのに、それに比べて貴女の境遇のなんと恵まれていることかと、話を持っていく。自分に対する非難を前もってふせぐ意図が見える。 ■高きまじらひにつけても心乱れ 女御更衣といった方々が帝の寵愛を競って争うこと。 ■親の窓の内ながら 親同然の源氏の庇護下で過ごしている紫の上の境遇がいかに恵まれているかを強調。 ■その方ね人にすぐれたりける… 嫉妬の方面に紫の上の意識を向けないため、ことさら紫の上の恵まれた境遇を強調する。 ■それにつけては… 女三の宮の降嫁によって源氏の紫の上に対する愛情が以前よりいっそう深まったと。 ■ものはかなき身 もっぱら源氏の寵愛ひとつに支えられている紫の上の立場。以前も紫の上は自身の立場のはかないことを述懐していた(【若菜下 11】)。 ■過ぎにたる 源氏の「人にすぐれたる宿世」に対応。 ■さはみづからの祈りなりける 苦悩こそが自分を祈りのように支えているとする。 ■今年 今年は紫の上の重厄なので源氏は仏事をすすめた。だが紫の上は仏事より出家したい。 ■さきざきも聞こゆること 前々から紫の上は出家したいと源氏に訴えていた(【若菜下 08】)。 ■それはしも 「しも」の強調に注意。源氏の紫の上に対する強い執着。前も紫の上の出家について「あるまじくつらき御事なり」と言っていた(【同上】)。 ■明け暮れの隔てなき 紫の上との、日々の何気ない暮らしこそが愛おしいという気持。 ■涙ぐみたまへる 紫の上は今回も源氏から出家の許可が降りなかったので涙ぐむ。

朗読・解説:左大臣光永