【若菜下 08】紫の上、出家を望むも源氏、これをさまたげる

姫宮の御事は、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対《たい》の上《うへ》の御勢ひにはえまさりたまはず。年月|経《ふ》るままに、御仲いとうるはしく睦《むつ》びきこえかはしたまひて、いささか飽《あ》かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから、「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行ひをも、となむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつる心地する齢《よはひ》にもなりにけり。さりぬべきさまに思しゆるしてよ」とまめやかに聞こえたまふをりをりあるを、「あるまじくつらき御事なり。みづから深き本意《ほい》あることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある世に変らむ御ありさまのうしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにその事|遂《と》げなん後《のち》に、ともかくも思しなれ」などのみさまたげきこえたまふ。

女御の君、ただ、こなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、御方は隠れ処《が》の御|後見《うしろみ》にて、卑下《ひげ》しものしたまへるしもぞ、なかなか行く先頼もしげにめでたかりける。尼君も、ややもすれば、たへぬよろこびの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭《のご》ひただして、命長き、うれしげなる例《ためし》になりてものしたまふ。

現代語訳

姫宮(女三の宮)の御ことは、帝が御心をとどめてお気遣い申していらっしゃる。姫宮は、世間一般からもひろく大切にされていらっしゃるのだが、対の上(紫の上)の御権勢にはとても勝ることがおできにならない。年月がたつにしたがって、院(源氏)と紫の上との御夫婦仲は、たいそう素晴らしくお互いに睦びあっていらして、少しも不足することなく、隔てを置くこともお見えにならないが、(紫の上)「今はもう、こうしたありきたりの暮らしではなく、ゆっくりと仏事の行いをしようと思います。この世はこのんなものものだと、見てしまった心地がする年齢にもなってしまいました。そのようにお許しくださいまし」と、真剣にお願い申し上げなさる折々があるが、(源氏)「とんでもなく辛い御事です。私自身、出家の願いがりますが、貴女が後に残って寂しい思いをなさるだろう、私と一緒であった時とはどんなに変わったご様子でお暮らしだろうかと、それが心配ですから、出家せずに先延ばしにしているのです。私がついに出家を遂げた後に、どうとでも好きになさればよい」などばかり仰せになって、出家をおしとどめていらっしゃる。

女御の君(明石の女御)は、ただ、こちら(紫の上)を、ほんとうの御親と存じ上げなさって、御方(明石の君)は隠れ処のようなお世話役として、卑下なさっているが、こうなっては、かえって行く先が頼もしいものに感じられて、立派なことであった。尼君も、どうかすれば、抑えきれない喜びの涙が、ともすればたびたび落ちて、目までも拭って、ただれさせるという具合で、長生きすることがいかにも幸福そうな実例となっていらっしゃる。

語句

■御心とどめて 帝は東宮時代に朱雀院から女三の宮の面倒を見ることを依頼された(【若菜上 02】)。 ■おほぞうの 明石の君も前に「おほぞうの住まひ」(【薄雲 19】)と、物思いがちな愛人としての暮らしをそう言った。 ■この世はかばかり 私の人生は今が絶頂で後は下り坂と紫の上は考える。 ■齢 紫の上が源氏より八歳年上とすれば三十八歳。 ■本意あること 源氏は前々から出家の意思を持っていた。 ■ただらして 爛れさせて。

朗読・解説:左大臣光永