【若菜下 09】源氏、住吉に願解きの参詣 きらびやかな道中

住吉《すみよし》の御願《ごぐわん》かつがつはたしたまはむとて、春宮《とうぐう》の女御の御祈りに詣《ま》でたまはむとて、かの箱あけて御覧ずれば、さまざまのいかめしきことども多かり。年ごとの春秋の神楽《かぐら》に、必ず長き世の祈りを加へたる願ども、げにかかる御勢ひならでは、はたしたまふべき事とも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたるおもむきの、才《ざえ》々しくはかばかしく、仏神も聞き入れたまふべき言の葉明らかなり。いかでさる山伏《やまぶし》の聖心《ひじりごころ》に、かかることどもを思ひ寄りけむと、あはれにおほけなくも御覧ず。さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける昔の世の行ひ人にやありけむなど思しめぐらすに、いとど軽々《かるがる》しくも思されざりけり。

このたびは、この心をばあらはしたまはず、ただ、院の御|物詣《ものまうで》でにて出で立ちたまふ。浦伝ひのもの騒がしかりしほど、そこらの御願ども、みなはたし尽くしたまへれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見たまふにつけても、神の御助《おほむたす》けは忘れがたくて、対の上も具しきこえさせたまひて、詣《まう》でさせたまふ、響き世の常ならず。いみじく事どもそぎ棄てて、世のわづらひあるまじくとはぶかせたまへど、限りありければ、めづらかによそほしくなむ。

上達部《かむだちめ》も、大臣|二《ふた》ところをおきたてまつりては、みな仕うまつりたまふ。舞人《まひびと》は、衛府《ゑふ》の次将《すけ》どもの、容貌《かたち》きよげに丈《たけ》だち等《ひと》しきかぎりを選《え》らせたまふ。この選《えら》びに入らぬをば恥に愁《うれ》へ嘆きたるすき者どもありけり。陪従《べいじゆう》も、石清水《いはしみず》、賀茂《かも》の臨時の祭などに召す人々の、道《みち》々のことにすぐれたるかぎりをととのへさせたまへり。加はりたる二人《ふたり》なむ、近衛府《このゑづかさ》の名高きかぎりを召したりける。御神楽《みかぐら》の方には、いと多く仕うまつれり。内裏《うち》、春宮《とうぐう》、院の殿上人、方々に分かれて、心寄せ仕うまつる。数も知らず、いろいろに尽くしたる上達部の御|馬《むま》、鞍《くら》、馬副《むまぞひ》、随身《ずいじん》、小舎人童《こどねりわらは》、次々の舎人《とねり》などまで、ととのへ飾りたる見物またなきさまなり。

女御殿《にようごどの》、対の上は、一つに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗りたまへり。女御の御|乳母《めのと》、心知りにて乗りたり。方々の副車《ひとだまひ》、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束《さうぞく》ありさま言いへばさらなり。さるは、「尼君をば、同じくは、老《おい》の波の皺《しわ》のぶばかりに人めかしくて詣《まう》でさせむ」と、院はのたまひけれど、「このたびは、かくおほかたの響きに、立ちまじらむもかたはらいたし。もし思ふやうならむ世の中を待ち出でたらば」と、御方はしづめたまひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつ物ゆかしがりて、慕ひ参りたまふなりけり。さるべきにて、もとよりかくにほひたまふ御身どもよりも、いみじかりける契りあらはに思ひ知らるる人の御ありさまなり。

現代語訳

院(源氏)は、そろそろ住吉の願ほどきをなさろうとお考えになって、東宮の女御(明石の女御)が御祈りにお参りになるということで、例の箱をあけて御覧になると、さまざまのおごそかな事がたくさん記してあった。毎年の春秋の神楽に、必ず子孫繁栄の祈りを加える願の数々などは、なるほど、今のようなご権勢でなくては、達成なさることがおできになるとも思われなかったことであった。ただ走り書きにしたような筆跡だが、才気があって立派で、仏も神もきっとお聞き入れになられるに違いない文言であることは明らかである。どうしてあのような山伏の、俗世を離れた心に、こうした多くのことを思いついたのだろうかと、感心し、また分不相応なこととも思いながら御覧になる。「しかるべき宿縁があって、一時的にかりそめに身をやつした昔の世の徳の高い修行者ではなかろうか」などとお思いめぐらすにつけ、いよいよ入道を軽く見ることはおできにならないのだった。

今回はこの願文の趣旨を公表なさらず、ただ、院(源氏)の御物詣という名目でご出発なさる。須磨から明石へ浦伝いして騒々しかった時代に、その当時の数々の御願は、みな願ほどきをなさったけれど、その後もこうして世の中に長らえていらして、こうしたいろいろの栄華を御覧になるにつけても、神の御助けは忘れがたくて、対の上(紫の上)もお連れ申し上げになられて、お詣でになられる。その評判は尋常ないさわぎである。たいそう多くの儀式を省略なさって、世間のめいわくにならないようにとお省きなさるが、いくら省くといってもご身分柄、定めがあるので、やはり珍しく仰々しい儀式となるのであった。

上達部も、大臣二人をお除きしては、みなお仕え申し上げていらっしゃる。舞人は、六衛府の次官たちで、容貌が美しく、背丈が同じくらいの者たちをお選びになる。この選びに入らないことを恥として悲しみ嘆く風流人たちもあったのである。楽人も、石清水、賀茂の臨時の祭などに召す人々で、それぞれの道にすぐれている者をおととのえになる。そこに臨時に加えられた二人は、近衛府の名高い者だけを召しているのだった。御神楽のほうには、とても多くの人々がお仕え申し上げている。内裏、東宮、院、それぞれの殿上人が、方々に分かれて、心を寄せてお仕え申し上げる。数も知らず、いろいろに綺羅を尽くしている上達部の御馬、馬鞍、随身、小舎人童《こどねりわらは》、それより身分の低い舎人などまで、ととのえ飾り立てているありさまは、またとない見ものである。

女御殿(明石の女御)と対の上(紫の上)は、一つ同じ車にお乗りになっている。次の御車には、明石の御方と尼君が、内密に乗っていらっしゃる。女御の御乳母が、事情を知っている者として乗っている。方々の従者の車は、上の御方(紫の上)のが五つ、女御殿(明石の女御)のが五つ、明石の君のぶんが三つ、目もまばゆいばかりに飾り立てた装束ありさまは言うまでもない。そういえば、(源氏)「尼君を、どうせなら、老いの波の皺ものびるほどに、立派にお仕立てして参詣させよう」と、院(源氏)はおっしゃっていたが、(明石の君)「こうして世間が騒ぎになっていところに立ち交じるのも居心地が悪うございます。思っていたような世の中が実現するまで生きていらしたら、その時に参詣なさればよろしいのに」と、御方(明石の君)はお引き止めになられたが、尼君は残りの命が心配で、また一方ではとにかく見物がしたくて、あとを慕って参詣なさったのであった。もともとそういう宿運があって、このように華やいでいらっしゃる多くの御方々よりも、奇しき宿縁がかえってはっきりと思い知られる尼君のご様子である。

語句

■住吉の御願 明石の入道の住吉神社への御願(【若菜上 28】)。それが大方かなったので願解きをするのである。 ■春宮の女御 明石の女御は祖父明石の入道の御願を知っているため、今回の願解きに直接加わりたい。 ■かの箱 明石の入道が送り届けてきた箱。住吉の神々への願文が封じ込められていた(【同上】)。 ■げに 入道の考えが今にしてわかるの意。 ■かかる御勢 源氏の権勢下、明石の女御が生んだ子が東宮となったこと。 ■聖 高徳の僧の意だが、それに浮世離れしたイメージが添えられている。 ■しばしかりそめに身をやつしける 入道の手紙の中の「ただわが身は変化のものと思しなして」(【同上】)とも響き合う。 ■いとど軽々しくも… 源氏は入道の不思議なありようが、自分自身とも深く関わっていることを知り、いよいよ入道を軽く見ることができなくなる。 ■この心をばあらはしたまはず 入道の願文の趣旨は普通に理解できることを超えているので、世間には伏せて、ただの物詣のていで出発する。 ■浦伝ひもの騒がしかりしほど 源氏が須磨・明石に謫居していた頃をさす。 ■みなはたし尽くしたまへれども 源氏の願ほどきは帰郷後まもなく行われた(【澪標 12】)。 ■世のわづらひ 貴人の参詣は大変な出費となり世間の人がめいわくする。白河法皇の熊野詣などは有名。 ■限りありければ 准太上天皇である源氏はそれなりの格式を出さなくてはならない。 ■大臣ニところをおきたてまつりては 左大臣・右大臣はこのような場合、都に残るのがふつう。 ■すき者 歌舞の道に熱心な風流人。 ■陪従 賀茂・石清水などの祭りに参加する楽人。 ■加わりたる二人 陪従に臨時に加わった二人。加陪従。 ■御神楽 入道は「年ごとの春秋の神楽に、必ず長き世の祈りを加えたる」願を立てていた。 ■対の上 紫の上が明石の女御と同乗しているのは破格の処遇といえる。 ■御乳母 源氏の依頼で明石に派遣された乳母か(【澪標 06】【同 07】)。 ■副車 人給。女房の車。 ■目もあやに 女房車は簾の下から女房たちの裾や袖が見えて華やかである。 ■さるは 話題の切り替え。 ■老の波 「波」は明石にちなんだか。 ■かくおほかたの響きに 貴人がひしめく中で明石一族の身分の低さが際立つと、女御が気後れするかもしれない。明石の君はそれを心配する。 ■思ふやうならむ世の中を 娘の明石の女御が中宮となり国母となること。明石の君は口を開けば「わが身物の数ならず」というわりには、心の内には大それた野望を抱いている。 ■かつがつ ともかくも。さしあたって。何はさておき。 ■御身ども 紫の上、明石の女御、明石の君などをいう。 ■いみじかりける 紫の上や明石の女御、明石の君ほど尼君は源氏との縁が深くないのにこうして参詣できたのは、奇しき宿縁であるとする。

朗読・解説:左大臣光永