【若菜上 28】明石の入道、入山し、最後の文を京へ送る

かの明石にも、かかる御事伝へ聞きて、さる聖心地《ひじりごこち》にもいとうれしくおぼえければ、「今なむこの世の境《さかひ》を心やすく行《ゆ》き離るべき」と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものはみなその寺のことにしおきて、この国の奥の郡《こほり》に人も通ひがたく深き山あるを年ごろも占めおきながら、あしこに籠《こも》りなむ後《のち》また人には見え知らるべきにもあらず、と思ひて、ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今まで長らへけるを、今は、さりともと、仏神《ほとけかみ》を頼み申してなむ移ろひける。

この近き年ごろとなりては、京に、ことなる事ならで、人も通はしたてまつらざりつ。これより下《くだ》したまふ人ばかりにつけてなむ、一行《ひとくだり》にても、尼君にさるべきをりふしのことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文《ふみ》書きて、御方に奉れたまへり。

この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身をかへたるやうに思うたまへなしつつ、させる事なきかぎりは聞こえ承《うけたまは》らず。仮名文《かなぶみ》見たまふるは目の暇《いとま》いりて、念仏も懈怠《けだい》するやうに益《やく》なうてなむ、御消息も奉らぬを。つてに承れば、若君は、春宮《とうぐう》に参りたまひて、男宮生《をとこみやむ》まれたまへるよしをなん、深くよろこび申しはべる。そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏《やまぶし》の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず、過ぎにし方《かた》の年ごろ、心ぎたなく、六時《ろくじ》の勤《つと》めにも、ただ御事を心にかけて、蓮《はちす》の上《うへ》の露の願ひをばさしおきてなむ、念じたてまつりし。わがおもと生まれたまはむとせしその年の二月のその夜の夢に見しやう、みづから須弥《すみ》の山を右の手に捧《ささ》げたり、山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす、みづからは、山の下《しも》の蔭《かげ》に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方《かた》をさして漕《こ》ぎゆく、となむ見はべりし。夢さめて、朝《あした》より、数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむ、と心の中《うち》に思ひはべしを、そのころより孕《はら》まれたまひにしこなた、俗《ぞく》の方《かた》の書《ふみ》を見はべりしにも、また内教《ないけう》の心を尋ぬる中《なか》にも、夢を信ずべきこと多くはべりしかば、賤《いや》しき懐《ふところ》の中《うち》にも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ぼぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道におもむきはべりにし。またこの国のことに沈みはべりて、老の波にさらにたち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべりしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべりしかばなむ、心ひとつに多くの願《ぐわん》を立てはべりし。その返申《かへりまうし》、たひらかに、思ひのごと時に逢《あ》ひたまふ、若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社《みやしろ》をはじめ、はたし申したまへ。さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。このひとつの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、遥《はる》かに西の方《かた》、十万億《じふまんおく》の国隔てたる九品《くぼん》の上《うへ》の望み疑ひなくなりはべりぬれば、今は、ただ、迎ふる蓮《はちす》を待ちはべるほど、その夕《ゆふべ》まで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむまかり入りぬる。

ひかり出でん暁《あかつき》ちかくなりにけり今ぞ見し世のゆめがたりする

とて、月目書きたり。

命《いのち》終はらむ月日もさらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける藤衣《ふぢごろも》にも何かやつれたまふ。ただわが身は変化《へんげ》のものと思しなして、老法師《おいほふし》のためには功徳《くどく》をつくりたまへ。この世のたのしみに添へても、後《のち》の世を忘れたまふな。願ひはべる所にだに至《いた》りはべりなば、必ずまた対面《たいめん》ははべりなむ。娑婆《さば》の外《ほか》の岸に至りて、とくあひ見むとを思せ。

さて、かの社《やしろ》に立て集めたる願文《ぐわんぶみ》どもを、大きなる沈《ぢん》の文箱《ふばこ》に封《ふむ》じ籠《こ》めて奉りたまへり。

尼君には、ことごとにも書かず、ただ、「この月の十四日になむ、草の庵《いほり》まかり離れて深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、熊《くま》、狼《おほかみ》にも施《せ》しはべりなむ。そこにはなほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ。明らかなる所にて、また対面《たいめん》はありなむ」とのみあり。

尼君、この文を見て、かの使の大徳《だいとこ》に問へば、「この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送りに、麓《ふもと》まではさぶらひしかど、みな帰したまひて、僧一人|童《わらは》二人なむ御供にさぶらはせたまふ。今は、と世を背《そむ》きたまひしをりを、悲しきとぢめと思うたまへしかど、残りはべりけり。年ごろ、行ひの暇《ひま》々に寄り臥しながら掻《か》き鳴らしたまひし琴《きん》の御|琴《こと》、琵琶《びは》とり寄せたまひて、かい調べたまひつつ、仏《ほとけ》に罷《まかり》申《まうし》したまひてなん、御堂《みだう》に施入《せにふ》したまひし。さらぬ物どもも、多くは奉りたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なん、親しきかぎりさぶらひける、ほどにつけてみな処分《そうぶん》したまひて、なほし残りをなん、京の御|料《れう》とて送りたてまつりたまへる。今はとてかき籠《こも》り、さる遥《はる》けき山の雲|霞《かすみ》にまじりたまひにし、むなしき御|跡《あと》にとまりて悲しび思ふ人々なむ多くはべる」など、この大徳も、童《わらは》にて京より下りし人の、老法師《おいほふし》になりてとまれる、いとあはれに心細しと思へり。仏の御弟子のさかしき聖《ひじり》だに、鷲《わし》の峰《みね》をばたどたどしからず頼みきこえながら、なほ薪《たきぎ》尽きける夜のまどひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思ひたまへること限りなし。

現代語訳

あの明石でも、こうした都の事情を伝え聞いて、あのような俗世を棄てた法師の気持としても、入道は嬉しく思ったので、

(入道)「今こそこの世の境を安心して離れることができよう」と弟子たちに言って、この海辺の家を寺に造りかえ、周囲の田などのようなものは皆、その寺の所領とすることに定めて、この国の奥の地域に人も通い難く深い山があるのを長年領有しておき、そこに籠もった後は、ふたたび人に見られたり知られたりするまい、と思って、ただいささか気がかりなことが残っていたので、今まで入山するのを長引かせていたのを、今は、入山するにふさわしい時であると、仏神の加護をお頼み申して、山に移るのだった。

ここ数年は、京に、別段の用事がなければ、人も通わし申しあげることはなかった。京からお遣わしになる使者だけに託して、一筆だけでも、尼君にしかるべき折節のことも連絡していたのだ。この世を捨てるにあたって、最後にと、手紙を書いて、御方(明石の君)に差し上げなさる。

(入道)「ここ数年は、同じ俗世の中に生きてはございましたが、いつまでもそうしてはおれまい、このまま別の世界に生まれ変わったように自分のことを思うようになりまして、しかるべき用事でもないかぎりは連絡を取り合ってはきませんでした。仮名文を拝見しますのは時間がかかり、念仏も怠るようで、無益に思われますので、ご連絡も差し上げておりません。人づてにお聞きしたところ、若君(明石の女御)は、東宮后におなりで、男宮がお生まれになったとのことで、深くおよろこび申し上げます。その理由は、私自身はこうしたつまらない山伏の身に、今さらこの世の栄えを思うわけもございませんが、過去長年の間、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ貴女の御ことを心にかけて、極楽往生の願いをさしおいて、お祈り申しあげてまいりました。貴女がお生まれになろうとしていらした、その年の二月のその夜の夢に見たことは、私自身が、須弥山を右手に捧げていると、山の左右から、月日の光が明るくさし出て世を照らすのです。そして私自身は、山の下に隠れて、その光にあたらず、山を広い海に浮かべておいて、小さな舟に乗って、西の方をさして漕いでゆく、と夢に見ました。夢がさめたその朝から、取るに足らないわが身にも将来の望みが出てきたのですが、何事につけて、そんなたいそうな事を期待できようと、心の中に思ってございましたが、その頃、貴女が母君の胎内に宿られました。それ以来、俗世間の書物を読みましても、また経典の意味を調べる中にも、夢を信じるべきことが多くございましたので、賤しい懐の中にも、もったいないことと思って、大事にお育て申しあげてきたのですが、力及ばぬわが身では思案に余りまして、こんな田舎に赴いたのです。またこの国のことにかかずらう身に落ちぶれて、年老いた身でいまさら都には帰るまいと諦めて、この浦に長年住んでおりました間も、貴女さまを頼みに思い申しあげてございましたので、ひそかに多くの願を立てました。そのお礼参りを、無事に果たされるように、貴女さまは、望みどおりの運勢に巡り合われたのです。若君(明石の女御)が国の母となられて、願いが成就なさった時には、住吉の御社をはじめ、あちこちの社に願ほどきをなさってください。今は何一つ疑うことはございません。このひとつの願いが、近いうちに叶うのでございますから、遥かに西の方、十万億土を隔てた極楽の上品上生に往生する望みがかなうことが疑いないこととなりましたので、今は、ただ、弥陀の来迎を待っております間、その夕まで、水草の清らかな山の奥でお勤めをいたしましょうと、山に籠もってしまうところです。

ひかり出でん……

(日の光が出る暁がいよいよ近くなりました。それで今はじめて、かつて見た夢の話をするのです)

とあって、月日を書き記してある。

(入道)私の命が終わろうとする月日も一切お知りになろうとなさいますな。昔から肉親が亡くなった時人が染めることにしている藤衣…喪服に身をやつすこともございますまい。ただ貴女ご自身はこの世のものでない変化の者とお考えになられて、この老法師のためには功徳をお作りください。この世の楽しみに加えても、後の世のことをお忘れになられますな。願っております極楽浄土にさえ往生するに至りましたら、必ずまたお逢いすることはございましょう。この世の外の彼岸に至って、はやく親子の対面をしようとお思いになられませ。

そういって、あの住吉神社に立て集めていた数々の願文を、大きな沈香の文箱に封をして入れて、さしあげなされた。

尼君に対しては、詳しくは書かず、ただ、(入道)「この月の十四日に、草の庵を離れて深い山に入ろうとしております。生きているかいのないわが身を、熊や狼にでも施してやりましょう。あなたはそれでもやはり、思っていたことが叶う御世をお見届けください。極楽浄土で、また逢うことができるでしょう」とだけある。

尼君は、この文を見て、その使いの僧に尋ねると、(僧)「この御文をお書きになられて、三日という日に、あの人跡絶えた峰にお移りになりました。私どもも、その御送りに、麓まではお供いたしましたが、みなお帰しになられて、僧一人童一人を御供にお連れになりました。今が最後と入道がご出家になられた折のことを、最後の悲しみと思ってございましたが、まだ悲しいことは残っていたのでございます。長年、勤行の合間合間に物に寄りかかりながら掻き鳴らしていらした琴の御琴、琵琶をお取り寄せなられて、何度もお弾きになられては、御仏においとま乞いをなさってから、御寺にご奉納なさったのでございます。その他の数々の物も、多くはご御寺に奉納なさって、その残りを、御弟子たち六十人あまりの、親しい者だけ仕えておりましたが、その者たちに、分に応じてみなお分けになられて、それでも残ったのを、京の御方々に差し上げるぶんとしてお送り申しあげなさいました。これが最後と山に籠もり、あの遥かな山の雲にも霞にもお入りになられました、そのご本人がいらっしゃらない御跡に残って、悲しく思う人々が、多くございます」など、この僧も、童として入道に従って京から下ってきた人であるが、老法師になって残っていたのだが、ひどく悲しく心細いと思っている。仏の御弟子のすぐれた僧でさえ、霊鷲山でのご説法をしっかりと頼み申しあげながら、やはり涅槃の夜の悲しみは深かったので、それにもまして尼君が悲しく思われることは限りがない。

語句

■かかる御事 明石の女御に若宮が生まれたこと。 ■さる聖心地 僧侶は肉親のことに心乱されてはならない。 ■この家 明石の浦の邸(【明石 05】)。 ■この国 播磨国。 ■あしこ 「かしこ」に同じ。 ■ただすこしのおぼつかなきこと その内容は、手紙の中にしるす。 ■今は 若宮誕生のことをきき、今は山に籠もってもよいと判断する。 ■これより下したまふ人 源氏が京から明石に下した使者。 ■この年ごろは… 入道は「もし我に後れて、その心ざし遂げず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね」と遺言していた(【若紫 03】)。その内実が以下に示される。 ■仮名文見たまふるは目の暇 細々した仮名文字を読むのは時間がかかる。娘に情がうつって往生の決意がにぶることを入道流に言ったか。 ■懈怠 梵語。怠ける。怠る。 ■山伏の身に 入道は前から自分のことを「山伏」といって卑下していた(【明石 08】)。 ■六時の勤めにも 「昼夜の六時の勤めに、みづからの蓮の上の願ひをばさるものにて、ただこの人を高き本意かなへたまへとなん念じはべる」(【明石 09】)。「若君の御ことをなむ、六時の勤めにもなほ心きたなくうちまぜまべりぬべき」(【松風 04】)。 ■蓮の上の露の願ひ 極楽往生の願い。 ■わがおもと 明石の君。「おもと」は女性に対する親しみをこめた呼び方。 ■その年の 明石の君の年齢は不明。 ■須弥 仏教の世界観で世界の中心にある山。頂上に帝釈天の居城がある。 ■右の手 右は女に関係する。ここでは明石の君。 ■山の左右より 明石の君の娘、明石の女御が中宮になり、孫(若宮)が東宮になることを暗示。 ■山の下の蔭に隠れて 入道は出家隠遁して、中宮や若宮の恩恵に浴しないことを暗示。 ■山をば広き海に浮かべおきて 東宮が即位して天下を治めることを暗示。 ■小さき舟 入道が般若(知恵)の舟に乗って極楽浄土に達することを暗示。 ■さるいかめしきこと 孫は中宮に、曾孫は帝位につくこと。 ■俗の方の書 外典。仏教以外、とくに儒教の書。 ■内教 経典や仏教書。 ■夢を信ずべきこと 仏教説話に夢が現実となった話は多い。 ■力及ばぬ身に 経済力の不足をいう。 ■かかる道に 播磨に下ったこと。京官より地方官のほうが実入りがよい場合が多い。 ■またこの国のことに 【松風 04】。 ■返申 神仏に願立てしてその願が叶ったら、願ほどきをしなければならない。 ■国の母 国母。皇后。 ■住吉の御社 入道はとくに住吉の御社に熱心に願立てしていた(【須磨 20】【明石 09】)。 ■さらに何ごとをかは疑ひはべらむ 夢が正夢となったのだからもう疑うことはないの意。 ■このひとつの願ひ 明石の女御が皇后になるという願い。 ■かなひはべりぬれば 「ぬれば」と完了形になっていることに注意。実現することを確信している。 ■遥かに西の方… 極楽浄土。「是ヨリ西方、十万億ノ仏土ヲ過ギテ、世界アリ、名ヅケテ極楽トイフ」(阿弥陀経)。 ■九品の上 極楽浄土は上品《じょうぼん》・中品・下品の三等があり、それぞれに上生《じょうしょう》・中生・下生があり、九段界に分かれる。 ■迎ふる蓮 聖衆来迎のとき、観世音菩薩が蓮華台を捧げてくるという。 ■水草清き 「とつ国は水草きよみ事しげき都の中はすまずまされり」(玄賓僧都)を引歌として『花鳥余情』はしるす。 ■ひかり出でん 「ひかり出でん暁」は、若宮が即位し、明石の女御が国母となること。 ■月日書きたり 文の結びに日付を書くのだが、ここでは命日を記す意図もある。 ■命終らむ月日も… 以下、追伸。 ■藤衣 喪服。 ■変化 神仏が仮に人の姿をとってこの世にあらわれたもの。 ■功徳 極楽往生ができるための善行。 ■願いはべる所 極楽浄土。 ■必ずまた 明石の君は「変化の者」であるから、必ず極楽浄土にもどるの意。 ■娑婆 衆生がすむ現世。穢土。苦しみに満ちた世界と仏教ではとらえる。 ■願文 願を立てた趣旨を書いた文書。 ■熊狼にも… 「くまのくらといふ山寺に賀縁法師のやどりてはべりけるに、住寺しはべりける法師に、歌よめといひはべりければ/身を捨てて山に入りにし我なれば熊のくらはむこともおぼえず」(拾遺・物名 読人しらず)。 ■待ち出てたまへ 若宮が即位して明石の女御が国母となるのを見届けよの意。 ■明らかなる所 極楽浄土。 ■かの使の大徳 入道よりの使いの僧。 ■なにがし 男子の自称。 ■今は、と世を背きたまひしをり 入道が出家した時。 ■とぢめ 最後。 ■琵琶 入道は琵琶にもっとも執着していた(【明石 08】)。 ■京の御料 京の明石の君や尼君に差し上げる分。 ■むなしき御跡にとまりて 明石の御邸は寺として改築した。弟子たちはここに住む。 ■童にて 入道が京から播磨に下った時、それに従ってきた。 ■鷲の峰 霊鷲山。インドのマガタ国の首府、王舎城の東北にある。釈迦がここで説法し、釈迦入寂後も報身が説法したという。 ■薪尽ける 涅槃の夜のこと。「仏、此ノ夜、滅度シタマフコト、薪尽キテ火ノ滅《き》ユルガ如シ」(法華経・序品)。 ■夜のまどひ 涅槃の時、弟子が動揺したこと。「世尊ノ諸子ハ、仏ガ涅槃ニ入リタマハント聞キテ、各々非悩ヲ懐ク」(法華経・序品)。 ■まして 「仏の御弟子のさかしき聖」よりもいっそう。

朗読・解説:左大臣光永