【若菜下 10】源氏の住吉参詣 夜通しの管弦の遊び

十月|中《なか》の十日なれば、神の斎垣《いがき》にはふ葛《くず》も色変りて、松の下紅葉《したもみぢ》など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり。ことごとしき高麗《こま》、唐土《もろこし》の楽《がく》よりも、東遊《あづまあそび》の耳馴れたるは、なつかしくおもしろく、波風の声に響きあひて、さる木高《こだか》き松風に吹きたてたる笛の音《ね》も、外《ほか》にて聞く調べには変りて身にしみ、琴《こと》にうち合はせたる拍子《ひやうし》も、鼓《つづみ》を離れてととのへとりたる方、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、所がらはまして聞こえけり。山藍《やまあゐ》に摺《す》れる竹の節《ふし》は松の緑に見えまがひ、かざしの花のいろいろは秋の草に異なるけぢめ分かれで何ごとにも目のみ紛《まが》ひいろふ。求子《もとめご》はつる末に、若やかなる上達部《かむだちめ》は肩ぬぎておりたまふ。にほひもなく黒き袍衣《うへのきぬ》に、蘇芳襲《すはうがさね》の、葡萄染《えびぞめ》の袖をにはかにひき綻《ほころ》ばしたるに、紅《くれなゐ》深き衵《あこめ》の袂《たもと》のうちしぐれたるにけしきばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる荻《をぎ》を高やかにかざして、ただ一《ひと》かへり舞ひて入りぬるは、いとおもしろく飽かずぞありける。

大殿《おとど》、昔のこと思し出でられ、中ごろ沈みたまひし世のありさまも、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語りたまふべき人もなければ、致仕《ちじ》の大臣《おとど》をぞ恋しく思ひきこえたまひける。入りたまひて、二の車にしのびて、

たれかまた心を知りてすみよしの神世を経《へ》たる松にこと問ふ

御|畳紙《たたむがみ》に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れたまひしほど、女御の君のおはせしありさまなど思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世《すくせ》のほどを思ふ。世を背《そむ》きたまひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしと言忌《こといみ》して、

住の江をいけるかひある渚《なぎさ》とは年|経《ふ》るあまも今日や知るらん

おそくは便《びん》なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。

昔こそまづ忘られね住吉の神のしるしを見るにつけても

と独《ひと》りこちけり。

夜一夜《よひとよ》遊び明かしたまふ。二十日《はつか》の月|遥《はる》かに澄みて、海の面《おもて》おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたくおきて、松原も色|紛《まが》ひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさもたち添ひたり。対の上、常の垣根《かきね》の内ながら、時々につけてこそ、興ある朝夕《あさゆふ》の遊びに耳ふり目馴れたまひけれ、御門《みかど》より外《と》の物見《ものみ》をさをさしたまはず、ましてかく都の外《ほか》の歩《あり》きはまだならひたまはねば、めづらしくをかしく思さる。

住の江の松に夜ぶかくおく霜は神のかけたるゆふかづらかも

篁朝臣《たかむらのあそむ》の、「比良《ひら》の山さへ」と言ひける雪の朝《あした》を思しやれば、祭の心うけたまふしるしにやと、いよいよ頼もしくなむ。女御の君、

神人《かみびと》の手にとりもたる榊葉《さかきば》にゆふかけ添ふるふかき夜の霜

中務《なかつかさ》の君、

祝子《はふりこ》がゆふうちまがひおく霜はげにいちじるき神のしるしか

次々、数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。かかるをりふしの歌は、例の上手《じやうず》めきたまふ男たちもなかなか出で消えして、松の千歳《ちとせ》より離れていまめかしきことなければ、うるさくてなむ。ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末《もとすゑ》もたどたどしきまで、酔《ゑ》ひ過ぎにたる神楽《かぐら》おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燎《にわび》も影しめりたるに、なほ「万歳《まざい》、万歳」と榊葉《さかきば》をとり返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや。よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜《ちよ》を一夜《ひとよ》になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波に競ふも口惜しく若き人々思ふ。

松原に、はるばると立てつづけたる御車どもの、風にうちなびく下簾《したすだれ》の隙《ひま》々も、常磐《ときは》の蔭に花の錦《にしき》をひき加へたると見ゆるに、袍衣《うへきのぬ》のいろいろけぢめおきて、をかしき懸盤《かけばん》とりつづきて物まゐりわたすをぞ、下人《しもびと》などは、目につきてめでたしとは思へる。尼君の御前にも、浅香《せんかう》の折敷《をしき》に、青鈍《あをにび》の表《おもて》をりて、精進物《さうじもの》をまゐるとて、「目ざましき女の宿世《すくせ》かな」と、おのがじしはしりうこちけり。

詣《まう》でたまひし道はことごとしくて、わづらはしき神宝《かむだから》さまざまにところせげなりしを、帰さはよろづの逍遥《せうえう》を尽くしたまふ。言ひつづくるも、うるさくむつかしきことどもなれば。かかる御ありさまをも、かの入道の、聞かず見ぬ世にかけ離れたまへるのみなむ飽かざりける。難《かた》きことなりかし、まじらはましも見苦しくや。世の中の人、これを例《ためし》にて、心高くなりぬべきころなめり。よろづの事につけてめであさみ、世の言種《ことぐさ》にて、「明石の尼君」とぞ、幸《さいは》ひ人《びと》に言ひける。かの致仕《ちじ》の大殿の近江《あふみ》の君は、双六《すぐろく》打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ賽《さい》はこひける。

現代語訳

十月のニ十日であるので、神社の垣根に這う葛も色が変わって、松の下紅葉など、風の音にばかり秋を聞くわけではないという風情である。仰々しい高麗や唐土の雅楽よりも、耳馴れた東遊は、親しみ深く興をそそり、波風の音と響き合って、あの、木高い松を鳴らす風にむかって吹き立てている笛の音も、よそで聞く調べとは違って身にしみ、琴に合わせている拍子も、鼓なしで調子をとっている具合が、大げさでないのも、優雅で、すばらしく、おもしろく、このような場所がらでは、いっそう良く聞こえるのだった。

舞楽の人々の着ている山藍で摺った竹の節の模様は、松の緑と見間違えられ、冠にかざす花のさまざまの色は、秋の草と区別がつかず、何事につけても目に干渉してきて、まぎらわしい。「求子《もとめご》」が終わる最後のほうで、若々しい上達部は肩をはだけて庭の上にお降りになる。色つやのない黒い袍衣から、蘇芳襲や、葡萄染の袖を急に引っ張り出して脱いだので、深い紅の袙の袂が、通り雨が降ってほんの気持ていどに濡れているのは、ここが松原であることを忘れて、紅葉が散っているさまを想像させる。

舞人たちが、見映えの多い姿で、誰も彼も、たいそう白く枯れた荻を高々とかざして、ただ一さしだけ舞って戻っててしまうのは、たいそう興深く、もっと見ていたく思われるのだった。

大殿(源氏)は、昔のことをお思い出しになられて、一時落ちぶれていらした、あの当時のようすも、目の前のようにお思いになられるにつけ、当時のことを、思う存分お話しになられるような人もいなかったので、致仕の大臣をひたすら恋しくお思い申されるのだった。奥にお入りになられて、ニの車に、そっとおいでになり、

(源氏)たれかまた……

(貴女(明石の君)と私以外には、誰が他に昔のことを知って、住吉神社の、神代の昔から脈々と続いてきたこの松に、ものを尋ねるだろうか)

御畳紙にお書きになられた。尼君は涙ぐむ。こうした繁栄の世をむかえるにつけても、あの明石の浦で、「これが最後」とお別れになられた時のこと、女御の君(明石の女御)が母君のお腹の中にいらっしゃったご様子など思い出すにつけても、明石一族の、実にもったいないほど幸福な、わが身の運命のさまを思う。世をお捨てになられた人(明石の入道)のことも恋しく、さまざまに物悲しいのだが、一方ではまた、このような場で悲しげなことを言うのは縁起でもないので、言葉遣いに注意して、

(尼君)住の江を……

(住の江を、生きるかいのある渚だと、長年住み慣れている尼も、今日こそ思い知ることでございましょう)

返歌が遅くなっては具合が悪いだろうと、ただ思ったままを歌にしたのだった。

(尼君)昔こそ……

(なによりも真っ先に、昔のことが忘れがたく思われます。住吉の神のご霊験を見るにつけても)

と独りつぶやくのだった。

一晩中、歌や舞の遊びをして夜をお明かしになられる。二十日の月が遥かに澄んで、海の面が趣深く見渡されるが、陸地には霜がたいそう厚くおりて、松原も白く霜の色と見間違うほどで、万事、なんとなく寒々として、興深さも奥ゆかしさも加わっている。対の上(紫の上)は、いつも六条院の邸内におられながら、季節季節につけて、風情のある朝夕の管弦の遊びには聞きも見も馴れてはいらっしゃるが、六条院の御門より外の見物はめったにないし、ましてこんな、都の外への外出はまだご経験がおありでないので、めずらしく、興深くお思いになる。

(紫の上)住の江の……

(住の江の松に夜深くおく霜は、神がかけた木綿鬘《ゆうかずら》でしょうか)

篁朝臣が、「比良の山さへ」と言った雪の朝をご想像されると、参詣の願いを神がお受けになったしるしだろうと、いよいよ頼もしいお気持ちでいらっしゃる。女御の君、

神人の……

(神人が手にとりもっている榊葉に、さらに木綿を添えてでもいるような、夜更けの霜よ)

中務の君、

祝子が……

(神官たちの木綿とまちがうほどに置く霜は、対の上がおっしゃる通り、神が願いを聞き入れてくださった明らかな証拠でございましょう)

次々と、数も知らずこういうやり取りが多かったのだが、何もそれをいちいち聞きとどめておくこともなかろう。こうした場合の歌は、ふだんは名手をもって自認していらっしゃる男たちが出てきても、かえって見映えがせず、「松の千歳」の決まり文句を詠む以外に新鮮なこともなかったので、いちいち書き留めるのも煩雑なことだ。

ほのぼのと夜が明けゆくと、霜はいよいよ深くおりて、神楽歌の本も末もおぼつかなくなるまで、酔い過ぎている神楽をする人々が、自分の顔が真っ赤なっていることにも気づかず、風情あることに夢中になって、庭にたく篝火の光も消えがちになっているのだが、それでもなお「万歳《まざい》、万歳」と榊葉を打ち振っては、祝い事を申し上げる。このように祝福された御世の末がどうなるか、想像するにつけて、たいへんなめでたさである。あらゆることがずっと見続けていたいほどで、おもしろいのにまかせて、秋の夜の千夜を一夜にこめたくもなる、その夜が、何をする隙もないままに明けてしまえば、寄せては返す波と競うように帰っていかなくてはならない。そのことを、若い人々は心残りに思う。

松原に、どこまでも立てならべてある数多くの御車の、風になびく下簾のそれぞれの隙間に見える出衣《いだしぎぬ》も、常盤木の蔭に花の錦を添えたと見えるところに、各人の位階に応じて、区別して色のちがう袍衣を身に着け、趣味のよいお盆を次々とまわして、ほうぼうに食物をさしあげるのが、下人などは、目を離さず見入って、華やかなことだと思っている。尼君の御前にも、浅香の折敷の上に、青鈍色の表を折って、精進料理を差し上げるということで、「目について見事な、女の運命であるよ」と、めいめい陰口を言うのだった。

参詣なさった往路の道中は仰々しくて、もてあますほどの奉納品がさまざまに所狭しと置かれていたが、帰り道はあちこち気ままな物見遊山で楽しみをお尽くしになられる。それをいちいち言い続けるのも面倒で煩雑なことなので、(ここらで筆をおく)。

こうした晴れやかなご様子を、あの明石の入道が、聞くことも見ることもできない別世界に離れてしまわれたことだけが、どこまでも残念であった。入道が山に入られたご決意は、実に得難いことであった。もっとも貴人ばかりのこの場に入道が立ち交じるとしたら、見苦しくはあろうが…。世間の人も、この一件を例として、理想を高く持とうとする、そんな時勢のようである。万事、人々は驚きほめそやし、世間話の種として、「明石の尼君」と、幸い人のことを、そう言うのだった。あの致仕の大殿の娘である近江の君などは、双六を打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」といって、よい賽の目が出るように祈るのだった。

語句

■中の十日 二十日。 ■神の斎垣 「ちはやぶる神の斎宮垣にはふ葛も秋にはあへずうつろひにけり」(古今・秋下 貫之)。 ■下紅葉 梢の下のほうだけが紅葉している状態。「下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな」(拾遺・恋三 読人しらず)。 ■音にのみ秋を聞かぬ顔 「紅葉せぬときはの山は吹く風の音にや秋を聞きわたるらむ」(古今・秋下 紀淑望、拾遺・秋 大中臣能宣)。 ■東遊 東国の民間舞踊が宮中や神社などに取り入れられたもの。 ■波風 住吉という場所がら波風は印象深い。「住吉の松を秋風吹くからに声うちそふる沖つ白波」(古今・賀 躬恒)。 ■鼓を離れて 東遊には打楽器を使わない。 ■山藍に摺れる竹の節 山藍の葉で摺った竹の節の模様。 ■かざしの花 冠に飾っている造花。 ■秋の草 前の「葛」など。 ■求子 東遊の曲目。 ■肩ぬぎて 東遊では右の肩を脱いで庭に降りて舞いおわる。 ■黒き袍衣 四位以上であることをしめす。 ■蘇芳襲。表は薄い蘇芳色、裏は濃い蘇芳色という。 ■中ごろ沈みたまひし世 須磨・明石に流謫していた頃のこと。 ■目の前のやうに 現在の栄華は明石一族との縁によるという面があるので、いっそう当時のことが思い出されるのである。 ■致仕の大臣 前太政大臣。源氏の須磨流謫中、右大臣家の勢力をおそれず源氏を訪ねてきた(【須磨 21】)。 ■ニの車 前の「次の車」。明石の御方と尼君が乗っている。 ■たれかまた… 「心」は今日の住吉参詣の真の理由。 ■御畳紙 懐中の紙。 ■うちしほたる 涙にむせぶ。故郷明石にちなみ「塩垂る」とした。 ■かの浦にて… 源氏が帰京したときのこと(【明石 17】【同 18】)。 ■女御の君のおはせしありさま 明石の女御(姫君)が、母明石の君のお腹の中にいた様子。 ■いとかたじけなかりける身の宿世 明石一族を特徴づける表現。 ■かつはゆゆし 喜びの涙であるが神前では縁起でもない。 ■住の江を… 「かひ」は「貝」と「効」を、「あま」は「尼」と「海人」をかけ、「貝」と「海人」は縁語。明石一族のイメージはつねに海辺とむすびつく。 ■昔こそ… 一説に、明石の君の歌とする。「昔」は明石に源氏を迎えて以来。 ■二十日の月 二十日の月は出が遅い。「海の面おもしろく見えわたる」は夜明けが近いのだろう。 ■霜のいとこちたくおきて 一面霜がはっていて、いかにも寒々した風景。 ■住の江の… 松におく霜を木綿鬘と見立てる。木綿鬘は、楮《こうぞ》の繊維を冠や榊などにかけたもの。神事に使う。 ■篁朝臣 九世紀前半の漢学者、歌人。六道珍皇寺地獄通いの伝説などが有名。 ■比良の山さへ 「ひもろぎの神の心にうつけらし比良の高嶺(本によっては「比良の山さへ」)に木綿鬘せり」。ただし藤原清輔『袋草紙』にはこの歌は菅原文時の作とある。作者を混同したか。「ひもろき(神籬)」は神座。神をまつる場所。 ■祭の心うけたまふ 祭祀を神が受け入れたことをいう。 ■神人の… 下の句は倒置法になっている。 ■中務の君 紫の上つきの女房。かつて源氏の召人であったが源氏の須磨下向の際、紫の上つきとなった。 ■祝子が… 「祝子」は神職の人。「げに」は前の紫の上の歌に合点している。 ■出て消え 出てきて見映えしないこと。 ■松の千歳 住吉を歌に詠むときの常套句。 ■霜はいよいよ深くて 明け方の光で霜の白さがいよいよ際立つ。 ■本末 神楽の本歌と末歌。二組に分かれて本歌と末歌を交互に歌うが、自分が今本歌を歌う番か、末歌を歌う番か、わからなくなるほど酔っている。 ■庭燎 庭の篝火。 ■万歳 「(本)千歳、千歳、千歳や、千歳や、千年の、千歳や、(末)万歳、万歳、万歳や、万歳や、万代の、万歳や」(神楽歌・千歳法)。 ■御世の末 源氏一門の後々までの繁栄。 ■千夜を一夜なさまほしき夜 一晩のうちに千の夜をこめたくなるくらい、素晴らしい夜。「秋の夜の千夜を一夜になせりともことば残りてとりや鳴きなむ」(伊勢物語二十ニ段)。 ■返る波に競ふも口惜しく 帰るのが惜しいその気持を、寄せては返る波にことよせて言ったもの。 ■下簾の隙隙 簾の下から装束の袖や裾が出ている「出衣《いだしぎぬ》」のさま。 ■常磐 松のこと。 ■花の錦 出衣の色とりどりなさまを花と見立てる。 ■袍衣 車のまわりで奉仕する者たちもその主人の位階に応じた色の袍衣を着ている。このあたり色彩の表現が見事。 ■縣盤 食事を乗せる盆。 ■下人 袍衣を着たこともない身分低い者。袍衣を着ているだけでも大したものなのに、それがさらに上の人に奉仕していることに目を見張る。 ■浅香の折敷 「浅香」は香木の種類。「折敷」は四角い盆。 ■青鈍の表をりて  青鈍の紙を折って敷く。 ■しりうごちけり 「後《しり》う言《ご》つ」は本人のいない所であれこれ言うこと。必ずしも悪口だけに限らない。 ■神宝 神への奉納品。以前の住吉参詣でも「いつくしき神宝を持てつづけたり」とあった(【澪標 12】)。 ■逍遥を尽くし 以前の住吉参詣でも「道のままに、かひある逍遥遊びののしり…」とあった(【同上】)。 ■聞かず見ぬ世にかけ離れたまへる 入道が山に入ったことをいう(【若菜上 28】)。 ■難きことなりかし 入道が山籠もりした決意が。 ■心高く 明石一族が卑賎の身ながら国母を出すまでに出世したことに世間の人も希望を持つだろうの意。 ■めであさみ ほめそやすこと。 ■双六 近江の君が双六を打っているさまは【常夏 08】に。

朗読・解説:左大臣光永