【須磨 21】春、宰相中将、須磨を訪れる

須磨には、年かへりて日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲きそめて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふをり多かり。二月二十日あまり、去《い》にし年、京を別れし時、心苦しかりし人々の御ありさまなどいと恋しく、南殿《なんでん》の桜盛りになりぬらん、一年《ひととせ》の花の宴に、院の御|気色《けしき》、内裏《うち》の上のいときよらになまめいて、わが作れる句を誦《ず》じたまひしも、思ひ出できこえたまふ。

いつとなく大宮人《おほみやびと》の恋しきに桜かざししけふも来にけり

いとつれづれなるに、大殿の三位中将は、今は宰相になりて、人柄のいとよければ、時世《ときよ》のおぼえ重くてものしたまへど、世の中あはれにあぢきなく、もののをりごとに恋しくおぼえたまへば、事の聞こえありて罪に当るともいかがはせむと思しなして、にはかに参《ま》うでたまふ。うち見るより、めづらしううれしきにも、ひとつ涙ぞこぼれける。

住まひたまへるさま、言はむ方なく唐《から》めいたり。所のさま絵にかきたらむやうなるに、竹編める垣《かき》しわたして、石の階《はし》、松の柱、おろそかなるものから、めづらかにをかし。山がつめきて、聴色《ゆるしいろ》の黄がちなるに、青鈍《あをにび》の狩衣《かりぎぬ》指貫《さしぬき》、うちやつれて、ことさらに田舎びもてなしたまへるしも、いみじう見るに笑《ゑ》まれてきよらなり。取り使ひたまへる調度《てうど》も、かりそめにしなして、御座所《おましどころ》もあらはに見入れらる。碁《ご》双六《すごろく》の盤、調度、弾棊《たぎ》の具など、田舎わざにしなして、念誦《ねんず》の具、行ひ勤めたまひけりと見えたり。物参れるなど、ことさら所につけ、興ありてしなしたり。海人《あま》ども漁《いさ》りして、貝つ物持て参れるを、召し出でて御覧ず。浦に年経《ふ》るさまなど問はせたまふに、さまざま安げなき身の愁へを申す。そこはかとなくさへづるも、心の行く方は同じこと、何かことなると、あはれに見たまふ。御|衣《ぞ》どもなどかづけさせたまふを、生けるかひありと思へり。御|馬《むま》ども近う立てて、見やりなる倉か何ぞなる稲取り出でて飼ふなど、めづらしう見たまふ。飛鳥井《あすかゐ》すこしうたひて、月ごろの御物語、泣きみ笑ひみ、「若君の何とも世を思さでものしたまふ悲しさを、大臣の明け暮れにつけて思し嘆く」など語りたまふに、たヘがたく思したり。尽きすべくもあらねば、なかなか片はしもえまねばず。夜もすがらまどろまず、文作りあかしたまふ。さ言ひながらも、ものの聞こえをつつみて、急ぎ帰りたまふ。いとなかなかなり。御|土器《かはらけ》まゐりて、「酔ひの悲しび涙灑《そそ》く春の盃《さかづき》の裏《うち》」ともろ声に誦《ず》じたまふ。御供の人も涙をながす。おのがじしはつかなる別れ惜しむべかめり。

朝ぼらけの空に、雁連れて渡る。主《あるじ》の君、

ふる里をいづれの春か行きて見んうらやましきは帰るかりがね

宰相さらに立ち出でん心地せで、

あかなくに雁の常世《とこよ》を立ち別れ花のみやこに道やまどはむ

さるべき都のつとなど、よしあるさまにてあり。主の君、かくかたじけなき御送りにとて、黒駒《くろこま》奉りたまふ。「ゆゆしう思されぬべけれど、風に当りては、嘶《いば》えぬべければなむ」と申したまふ。世にありがたげなる御|馬《むま》のさまなり。「形見に忍びたまへ」とて、いみじき笛の名ありけるなどばかり、人咎めつべきことは、かたみにえしたまはず。日やうやうさしあがりて、心あわたたしければ、かへりみのみつつ出でたまふを、見送りたまふ気色、いとなかなかなり。「いつまた対面たまはらんとすらん。さりともかくてやは」と申したまふに、主《あるじ》、

「雲ちかく飛びかふ鶴《たづ》もそらに見よわれは春日《はるひ》のくもりなき身ぞ

かつは頼まれながら、かくなりぬる人は、昔の賢き人だに、はかばかしう世にまたまじらふこと難《かた》くはべりければ、何か。都のさかひをまた見んとなむ思ひはべらぬ」などのたまふ。宰相、

「たづがなき雲ゐにひとりねをぞ泣くつばさ並べし友を恋ひつつ

かたじけなく馴れきこえはべりて、いとしも、と悔しう思ひたまへらるるをり多く」など、しめやかにもあらで帰りたまひぬるなごり、いとど悲しうながめ暮らしたまふ。

現代語訳

須磨には、年が改まって日が長くなり所在ないところ、植えてあった若木の桜がちらほらと咲き始めて、空のけしきもうららかである中、源氏の君は、さまざまなことを思い出されて、お泣きになる折も多いのだ。

ニ月二十日過ぎ、昨年京を離れた時、心を痛めた人々の後ようすなどたいそう恋しく、「南殿の桜は今が盛りだろう、昨年の花の宴に、院のご機嫌がよろしかったこと、帝が実に美しく優雅で、私が作った句を口ずさみなさった」ことも思い出しなさる。

(源氏)いつとなく…

(いつと限らず都の人たちが恋しいのはいつものことだが、中でもとくに恋しい、桜をかざした今日が来てしまった)

ひどく所在なくしておられた所、大殿(前左大臣)のご長男の三位中将は、今は宰相になって、人柄がとてもよいので、世間の名望も重くていらっしゃったが、世の中がつくづくつまらなくなり、何かの機会のたびに源氏の君を恋しく思っていらしたので、この事が噂になって罪に問われても構うものかと思い立って、にわかに須磨においでになる。

源氏の君をひと目ご覧になるやいなや、しばらくぶりであることもあり、嬉しさもあり、悲喜こもごもの涙がこぼれた。

源氏の君がお住まいになっているありさまは、言いようもなく異国風である。所のさまは絵に描いたようであるのうえ、竹を編んだ垣根をはりめぐらして、石の階、松の柱が、みすぼらしいが、それがかえって珍しくおもしろい。

源氏の君は山賤めいて、薄紅の中に黄色がまさっている下着に、青鈍色の狩衣、指貫という粗末な身なりで、わざと田舎風にふるまっていらっしゃるのがかえってすばらしく、見ているうちに微笑みがわいてくるほど美しい。

お手元にお使いになっているお道具類も、一時的な間に合わせのにうになさっていて、御座所もすっかり中が見通せる。

碁双六の盤、道具類、弾棊《たぎ》の道具など、田舎風に仕立てて、念仏の道具は、仏事のお勤めをなさっていると見うけられた。

お召し上がりになる物なども、ことさら気をつけて、場所にふさわしいように興があるように料理されてある。

海人たちが漁をして、貝類を持って参ったのを、中将がお召しになってご覧になる。海辺に長年住んでいるのはどんなものかなどご質問させなさると、海人たちはさまざまに、不安な身の心配事を申しあげる。

なにかわけのわからないことを口走っているのも、「心の行くところは同じこと、我らと何が異なる」と、しみじみ情け深くご覧になる。

お召し物などを褒美として肩にかけさせなさるのを、海人たちは生きるかいがある光栄だと思っている。

御馬を何頭も御前近くに立てて、倉かなんぞのように見やられるところから稲を取り出して馬に食わせているのなどを、中将はめずらしくご覧になる。

飛鳥井をすこし謡って、ここ数ヶ月のお話をして、泣きつ笑いつして、(中将)「若君(夕霧)が世の中の状況を何とも思わないようにしていらっしゃるのが悲しいといって、大臣(前左大臣)は明け暮れにつけて思い嘆いています」など語られると、源氏の君はたまらない思いになられる。

お二人のやり取りはとうてい書きつくすことができないので、なまじその一部分だけ書き写すことなど、できはしない。

一晩中おやすみにもならないで、漢詩を作って夜をお明かしになる。

中将はそうは言いながらも、人の聞こえをはばかって、急いでお帰りになる。なまじお逢いになったために、かえって悲しいお気持がまさるのである。

お盃をお取りになって、「酔ひの悲しび涙灑《そそ》く春の盃《さかづき》の裏《うち》」とお声をあわせて口ずさみなさる。御供の人々も涙をながす。各自、あっけない別れを惜しんでいるのだろう。

朝ぼらけの空に、雁が列をなして渡る。主の君、

(源氏)ふる里を…

(故郷を、いつの春に行って見ることができようか。北に帰る雁…都に帰る君のことがうらやましい)

宰相はまったく出発するお気持がおこらないで、

(中将)あかなくに…

(まだずっとここにいたいのに、雁が常世の国を立ち別れるように、私は君の仮住まいを立ち別れて、花の都におもむいたとて道に迷わないでしょうか)

しかるべき都のみやげなど、趣のあるさまに調えられてあった。主の君は、このようなありがたいお見舞いの帰途の御送りにといって、黒馬を中将にお差し上げになる。

(源氏)「不吉に思われるでしょうが、風に当たったら、いななくでしょうからね」とおっしゃる。

世にめったになく素晴らしい御馬のごようすである。

(中将)「これを形見に私を思い出してください」といって、見事な笛の世に名の知られたのをお贈りになるだけで、人が咎めるようなことはお互いに慎まれた。

日がだんだん上ってきて、心あわただしいので、中将が振り返り振り返りばかりしてご出発なさるのを、源氏の君がお見送りになるご様子は、なまじ逢ったがためにかえってひどく悲しそうである。

(中将)「いつまたお逢いできますでしょうか。まさかこのままでは」と申されると、主は、

(源氏)雲ちかく…

(雲の近くに飛び交う鶴よ空に見るがいい=内裏近くにお仕えしている貴方は宮中でご覧になってください。私は春の日のように曇りなき潔白の身です)

と、一方では頼みにしないではいられませんが、このような事態に陥ってしまった人は、昔の賢人でさえ、うまく世に復帰なさることが難しくございましたので、どうしてあてにできましょう。都の地をふたたび見ようとは思いません」などとおっしゃる。宰相、

(中将)「たづがなき…

(鶴が空で一人声を上げて鳴くように、私はたよりない宮中で一人で泣いています。かつて翼を並べた友=貴方のことを恋い慕いつつ)

もったいなくもこれまで親しく交際して、『いとしも』と悔しく思われます折が多くて」など、しみじみとお話する暇もなく中将がお帰りになった後、源氏の君はひどく悲しく、物思いに沈んで日々をお過ごしになる。

語句

■年かへりて 源氏27歳。 ■植ゑし若木の 源氏が須磨に来た当時植えたもの(【須磨 11】)。 ■ニ月二十日あまり これは今現在の日付をいう。そこから去年の二月二十日頃を思い出しているのである。「二月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ」(【花宴 01】)。 ■内裏 朱雀帝。当時は東宮。 ■わが作れる句 源氏が句を作ったことは物語中には記述がない。 ■いつとなく… 「ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日もくらしつ」(新古今・春下 赤人)。「桜かざしし」は源氏が朱雀帝(当時は東宮)の御前で桜をかざして舞ったこと(【花宴 01】)。 ■大殿の三位中将 前左大臣の長男の三位中将。もとの頭中将。今は宰相中将。 ■時世のおぼえ重く 中将は右大臣家の四の君を妻としているので、左大臣家の長男でありながら右大臣家に通ずる者である。しかし右大臣家がわが者顔で闊歩する世の中にうんざりしている様子。 ■事の聞こえ 須磨に源氏を訪ねたことが弘徽殿大后はじめ右大臣家に知れること。 ■ひとつ涙 「うれしきも憂きも心はひとつにて分れぬものは涙なりけり」(後撰・雑ニ 読人しらず)。 ■竹編める垣 「五架三間ナリ新草堂ハ 石ノ階ト松ノ柱ニ竹編メル墻《かき》」(白氏文集巻十六・律詩・香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁)。 ■聴色 濃い赤色や紫色は皇族以外に許されないので「禁色《きんじき》」といい、薄い赤色や紫色は許されたので「聴色《ゆるしいろ》」といった。 ■青鈍 薄い縹色。鈍色(濃いねずみ色)に青みを加えた色。 ■双六 現在の所謂双六とは違う。中国伝来の遊戯。両陣に分けた盤上で、白黒十二個の石を使い、二個の賽を使い、交互に振ってその目によって石を敵陣に攻め込ませる。 ■弾棊 盤上で、白黒各六枚の碁石をはじいて当てる遊戯。詳細不明。 ■念誦の具 鉦・数珠などの仏具。 ■貝つ物 貝類。 ■さへづる 海人たちがあれこれ貴人にはよくわからないことを言っているようす。 ■心の行く方は同じこと 身分の上下に関係なく同じであると。 ■御衣などかづけさせたまふ 貝類を献上した褒美として。 ■生けるかひあり 「かひ」に「効」と「貝」をかける。 ■倉か何ぞなる 倉なのか何なのかそういう形をしたもの。田舎の見慣れない風物が、中将には珍しく見えるのである。 ■飛鳥井 催馬楽「飛鳥井」。「秣《まぐさ》」からの連想で謡った。「飛鳥井に、宿りはすべし、や、おけ、蔭もよし、御甕《みもひ》も寒し、御秣《まぐさ》もよし」。 ■泣きみ笑いみ 「み」は動作の交互反復。泣いたり笑ったり。 ■大臣 前左大臣。中将の父。 ■尽きすべくもあらねば… 草子文。 ■さ言ひながらも 前に「事の聞こえありて罪に当るともいかがはせむ」を受ける。 ■酔ひの悲しび… 白楽天が左遷先で親友の元稹と会った時の詩による。「…郷国ハ倶ニ抛ツ白日ノ辺 往時渺茫《びょうぼう》トシテ都《すべ》テ夢ニ似タリ 旧遊零落ノ半ハ泉ニ帰ス 酔ノ悲シビ涙ヲ灑《そそ》ク春の盃ノ裏 吟苦シテ頣ヲ支フ暁燭ノ前…」(白氏文集巻十七、十四年三月三十日別微之於澧上、十四年三月十一日夜偶微之於峡中、停舟夷陵、三宿而別(下略)」)。源氏=白楽天、中将=元稹。 ■はつかなる別れ ほんの少しあって後の別離。 ■あかなくに… 「雁の常世」の「雁」に「仮」をかける。「常世」は雁がすむという仙境のことだがここでは異郷=須磨のこと。 ■黒駒 客を贈る送別詩(漢書・王式伝)だが、ここでは実際に黒馬を贈った。 ■ゆゆしう 罪人として落ちぶれている源氏からの贈り物だから。 ■風に当りては… 「行々重ネテ行々 君ト生別離 相去ル万余里 各天ノ一方ニ在リ 道路阻ニシテ且ツ長シ 会面安ゾ知ルベケンヤ 故馬北風ニ依リ 越鳥南枝に巣フ…」(文選巻十五・古詩)。「故馬北風ニ依リ」を「故馬北風ニ嘶ユ」として引いた。 ■形見に忍びたまへ 源氏の台詞とする説も。 ■いみじき笛の名ありけるなどばかり 下に「贈りたまひて」などを省略。 ■人咎つべきこと 罪人に物を贈ったり罪人が物を贈ったりすることは非難の的となる。 ■日やうやうさしあがりて ふつう、旅は暁の暗い時に出発するものだが、それが昼まで長引いたのは中将と源氏の君が名残を惜しみあったから。 ■いとなかなかなり なまじ会ったがために、かえって別れが辛くなって悲しくなった。 ■雲ちかく… 「雲」に内裏の意を、「そら」に宮中の意味をこめる。「鶴」は中将。この歌には王昌齡「芙蓉楼送辛斬(芙蓉楼にて辛斬を送る)」「一片の氷心玉壷に在り」の情がただよう。 ■かつは頼まれながら 歌からつづく。一方ではこのように帰京に期待をかけながら、また一方では…の意。 ■昔の賢き人 阿保親王、小野篁、菅原道真、源高明などが念頭にあろう。 ■何か 下に「さあらむ」を省略。 ■都のさかひ 「さかひ」は土地の意。 ■たづがなき… 「たづがなき」はおぼつかないの意と、「鶴が鳴き」を、「雲ゐ」は空と宮中の意をかける。「つばさ並べし」は「羽翼已ニ成ル」(史記・留侯世家)による。 ■いとしも 「思ふとていとこそ人に馴れざらめしかならひてぞ見ねば恋しき」(拾遺・恋四 読人しらず)。

朗読・解説:左大臣光永

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