【須磨 12】源氏去りし後の二条院 紫の上、悲しみに暮れる

京には、この御文、所どころに見たまひつつ、御心乱れたまふ人々のみ多かり。二条院の君は、そのままに起きも上りたまはず、尽きせぬさまに思しこがるれば、さぶらふ人々もこしらヘわびつつ、心細う思ひあへり。もてならしたまひし御調度ども、弾きならしたまひし御|琴《こと》、ぬぎ捨てたまひつる御|衣《ぞ》の匂ひなどにつけても、今はと世に亡からむ人のやうにのみ思したれば、かつはゆゆしうて、少納言は、僧都に御|祈禱《いのり》のことなど聞こゆ。二方《ふたかた》に御修法《みずほふ》などせさせたまふ。かつは思し嘆く御心しづめたまひて、思ひなき世にあらせたてまつりたまへ、と心苦しきままに祈り申したまふ。旅の御|宿直物《とのゐもの》など調じて奉りたまふ。縑《かとり》の御|直衣《なほし》指貫《さしぬき》、さま変りたる心地するもいみじきに、「去らぬ鏡」とのたまひし面影の、げに身に添ひたまへるもかひなし。出で入りたまひし方、寄りゐたまひし真木柱《まきばしら》などを見たまふにも、胸のみ塞《ふた》がりて、ものをとかう思ひめぐらし、世にしほじみぬる齢《よはひ》の人だにあり、まして馴れ睦《むつ》びきこえ、父母《ちちはは》にもなりて生《お》ほし立てならはしたまへれば、恋しう思ひきこえたまへる、ことわりなり。ひたすら世に亡くなりなむは言はむ方《かた》なくて、やうやう忘れ草も生ひやすらん、聞くほどは近けれど、いつまでと限りある御別れにもあらで、思すに尽きせずなむ。

現代語訳

京では、源氏の君のこの御文を、所どころで拝見しては、御心を悩まされる方々ばかりが多かった。

二条院の君(紫の上)は、そのまま起き上がりもなさらず、いつまでも思い焦がれていらっしゃるので、お仕えする女房たちもお慰めようもなくて途方に暮れつつ、みな心細い思いをしている。

源氏の君がお使い慣れていらした数々の身の回りのお品々、弾きなれていらした御琴、ぬぎ捨てなさった御衣に残った香の匂いなども、今は皆形見になってしまって、この世に亡い人のようにばかりお思いになっていらっしゃるので、一方では不吉なので、少納言は、僧都に御祈祷のことなどをお願い申し上げる。

僧都は二通りの御修法などをおさせになる。一方の姫君(紫の上)のためには、思い嘆いていらっしゃる御気持をおしずめになって、心配のない世にさせてあげてくださいと、不憫な気持にまかせて祈り申し上げなさる。

姫君は旅先の御夜具などを調えてお送りなさる。固織の御直衣、指貫、以前とさま変わりした気がするのも悲しいし、「去らぬ鏡」とおっしゃった源氏の君の面影が、たしかにお言葉どおり身に寄り添っていらっしゃるが、だからといってどうにもならない。

源氏の君がお部屋に出たり入ったりなさった所、寄りかかっていらした柱などをご覧になるにつけても、胸ばかりがしめつけられて、あれこれ物思いをめぐらし、世間慣れして分別づいた年齢の人でさえ恋しくなるのに、まして馴れ親しみ申し上げ、源氏の君が父母ともなってお育て上げになられるたのだから、恋しく思い申し上げなさるのは、当然なのである。

まったくこの世から去ってしまった人であれば言っても仕方ないので、しだいに忘れていくだろうが、須磨と聞けば距離は近いが、いつまでと期限が決まっている御別れではないので、物思いが尽きずいらっしゃるのである。

語句

■そのままに 源氏からの手紙を読んでそのままに。 ■こしらへわびつつ 「こしらへわぶ」は慰めるすべがなくて途方に暮れる。 ■今は 下に「皆形見になりにけり」などを省略。 ■かつは 一方では紫の上が源氏をなつかしむのは当然だが、また一方ではあまり悲しむと源氏がほんとうに亡き人になってしまいそうで不吉であると。 ■僧都 北山の僧都。紫の上の外祖母の兄(【若紫 06】)。 ■ニ方に 源氏の君と紫の上に対して。 ■かつは 一方では、源氏の君が早くご帰郷できるように祈り、また一方では…の意。 ■縑 かとり。固織。無地の平絹。 ■指貫 袴。裾を紐で結ぶ。 ■さま変わりたる心地する 縑の直衣や指貫は無位無官の人が着るものだから。 ■去らぬ鏡 前の源氏の歌を引く。「君があたり去らぬ鏡の影は離れじ」(【須磨 03】)。 ■げに まことにあの歌のとおり。 ■寄りゐたまひし真木柱 「わぎもこが来ては寄りたつ真木柱そもむつましきゆかりと思へば」(紫明抄)。「真木柱」は杉や檜の柱。『紫明抄』は鎌倉時代に作られた『源氏物語』の注釈。 ■しほじみぬる 「しほじむ」と潮水や塩気で湿り潤う。経験をつむこと。世間知に長けてくること。古参であること。 ■人だにあり ここで「あり」は「恋しくあり」と解する。 ■忘れ草も生ひやすらん 「忘れ草生ふ」は忘れること。忘れ草はゆり科萱草木の多年生草木。物事を忘れさせる効果があるとされた。「恋ふれども逢ふ夜のなきは忘れ草夢路にさへや生ひしげるらむ」(古今・恋五 読人しらず)。 ■いつまでと限りある御別れでもあらで 「幾年そのほどと限りある道にもあらず」(【須磨 01】)。

朗読・解説:左大臣光永

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