> 【源氏物語】【須磨 01】源氏、須磨退去を決心 人々に別れを告げる【原文・現代語訳・朗読】

【須磨 01】源氏、須磨退去を決心 人々に別れを告げる

世の中いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもやと思しなりぬ。

かの須磨は、昔こそ人の住み処《か》などもありけれ、今はいと里ばなれ心すごくて、海人《あま》の家だにまれになど聞きたまへど、人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと本意《ほい》なかるべし、さりとて、都を遠ざからんも、古里《ふるさと》おぼつかなかるべきを、人わるくぞ思し乱るる。

よろづの事、来《き》し方《かた》行く末《すゑ》思ひつづけたまふに、悲しきこといとさまざまなり。うきものと思ひ棄てつる世も、今はと住み離れなんことを思すには、いと棄てがたきこと多かる中にも、姫君の明け暮れにそへては思ひ嘆きたまへるさまの心苦しうあはれなるを、行きめぐりてもまたあひ見むことを必ずと思さむにてだに、なほ一二日《ひとひふつか》のほど、よそよそに明かし暮らすをりをりだに、おぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、幾年《いくとせ》そのほどと限りある道にもあらず、逢ふを限りに隔たり行かんも、定めなき世に、やがて別るべき門出にもやといみじうおぼえたまへば、忍びてもろともにもやと思し寄るをりあれど、さる心細からん海づらの波風よりほかに立ちまじる人もなからんに、かくらうたき御さまにてひき具したまへらむもいとつきなく、わが心にもなかなかもの思ひのつまなるべきをなど思し返すを、女君は、「いみじからむ道にも、おくれきこえずだにあらば」とおもむけて、恨めしげにおぼいたり。

かの花散里《はなちるさと》にも、おはし通ふことこそまれなれ、心細くあはれなる御ありさまを、この御陰に隠れてものしたまへば、思し嘆きたるさまも、いとことわりなり。なほざりにてもほのかに見たてまつり通ひたまひし所どころ、人知れぬ心をくだきたまふ人ぞ多かりける。

入道の宮よりも、ものの聞こえやまたいかがとりなされむと、わが御ためつつましけれど、忍びつつ御とぶらひ常にあり。昔かやうにあひ思し、あはれをも見せたまはましかばと、うち思ひ出でたまふに、さもさまざまに心をのみ尽くすべかりける人の御契りかなと、つらく思ひきこえたまふ。

三月二十日《はつか》あまりのほどになむ、都離れたまひける。人に、いまとしも知らせたまはず、ただいと近う仕うまつり馴れたるかぎり、七八人ばかり御供にて、いとかすかに出で立ちたまふ。さるべき所どころに、御文ばかり、うち忍びたまひしにも、あはれとしのばるばかり尽くいたまへるは、見どころもありぬべかりしかど、そのをりの心地のまぎれに、はかばかしうも聞きおかずなりにけり。

現代語訳

源氏の君は、世の中がたいそうわずらわしく、居心地の悪いことばかりふえるので、せめて何も知らない顔で過ごしていても、これより悪い事態になるかもしれぬという思いになられた。

あの須磨は、昔こそ人の住処などもあったが、今はたいそう人里離れてものさびしく、漁師の家さえ滅多に無いとお聞きになるが、「人の出入りが多く、雑然とした住まいは、ひどく不本意であろうし、そうかといって、都をあまり遠ざかるのも、故郷のことが心配になるだろうし」と、体裁が悪いほどに思い乱れていらっしゃる。

万事、過去のことこれからのことを思いつづけなさるにつけ、悲しいことは実にさまざまである。

嫌なものと諦めきった世の中も、今を最後と離れていこうとお思いになると、ひどく捨てがたいことが多い。その中にも、姫君(紫の上)が、明け暮れ日を経るにつれて思い嘆きなさっているさまが気の毒で意地らしいので、いったんは別れても巡り巡って必ず再び逢えるのだとお思いになる場合でさえ、二三日の間、離れ離れで寝起きする折々でさえも、やはり気がかりなものに思われ、姫君も心細くばかりお思いになるのを、何年と期限が定まっていることでもなく、いつかまた逢えることを頼みに離れて行くことも、無常な世の中であるから、そのままこの門出が今生の別れとなるのではないかと、たいそう悲しくお思いなさるので、「いっそお忍びで姫君をご一緒にお連れしようか」とお思いなさる折もあるが、そのような心細い海辺の土地で、波風のほかは行き来する人もないだろう所に、こんないたいけな御ようすの御方をお連れするのもたいそう似つかわしくなく、ご自身のお気持ちとしてもかえって物思いの種となるだろうことなどを思い返されるが、姫君は、「どんな辛い旅路でも、ご一緒できさえすれば」とおせがみになって、恨めしそうにお思いになっていらっしゃる。

あの花散里のもとにも、お通いになることこそまれであるが、心細くお気の毒な御生活を、源氏の君のご庇護の下、お過ごしになっておられるので、その源氏の君が京を離れることを思い嘆いていらっしゃるご様子も、まったく無理のないことである。ほんの行きずりの関係であっても、少しでも源氏の君が逢瀬をお持ちになりお通いになった御方々は、人知れず心を痛めていらっしゃる方々が多いのだった。

入道の宮(藤壺)のもとからも、世間に聞かれたらまたどのように取り沙汰されるだろうかと、ご自分のためにはばかられるが、忍びつつお見舞いが常に寄せられる。「昔もこのようにお互いに心をかけ、優しさをも見せてくださったら」と、思い出しなさるにつけて、それほどまでに、さまざまに心労の限りを尽くさねばならないような前世からの御約束であったことよと、源氏の君は辛くお思いなさる。

三月二十日すぎあたりに、都をお離れになった。人に今から出発とお知らせにならず、ただたいそう近くにいつもお仕えしている人々だけを、七八人ほど御供にして、ひどく忍んでご出発なさる。

しかるべき所々に、お手紙だけを、こっそり差し上げたが、その中にも、しみじみ源氏の君の人柄がしのばれるほどにお言葉を尽くされたものは、きっと見事な御文であったに違いないが、その折の悲しい気持ちにまぎれて、はっきりとは聞きおかないままになってしまった。

語句

■世の中いとわづらはし 源氏は朧月夜尚侍との密会がばれて除名処分とされた。 ■これよりまさること 除名処分以上の罪。流罪。 ■かの須磨は 在原行平の須磨籠居が念頭にあろう。 ■ひたたけたらむ 「混《ひたた》く」は雑然としていること。 ■人わるく 我ながら人に見られたらみっともないと源氏は思っている。 ■明け暮れにそへて 日が明け暮れるにつれて。 ■行きめぐりても 「下の帯の道はかたがたわかるとも行きめぐりても逢はむとぞ思ふ」(古今・離別 紀友則)。 ■一日日のほど 源氏が雲林院にこもっていた時期などをさす(【賢木 19】)。 ■逢ふを限りに 「わが恋ひは行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今・恋二 凡河内躬恒)。歌意は、私の恋はどこに行き着くか、どこで終わるかわからない。ただあなたに逢えることを最大の願いと思うだけだ。 ■やがて別るべき門出 死出の門出。「かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし今は限りの門出なりけり」(古今・哀傷、『大和物語』第三句「思ひしを」)をふまえるという注釈も。在原滋春が旅の途上死んだ時の辞世の句。 ■海づら 海に面した地。海辺。 ■立ちまじる 「立ち」は「波」の縁語。 ■おもむけて 「おもむける」はそうするように仕向ける。 ■入道の宮 藤壺宮。桐壷院崩御の翌年、出家(【賢木 27】)。 ■ものの聞こえ 世間の評判。 ■わが御ため 藤壺個人ではなく東宮もふくめてのこと。 ■三月二十日 西宮左大臣(源高明)の離京が三月二十日であったのになずらえる。 ■いとかすかに 弘徽殿大后方に離京を察知されると流罪に処せられる可能性が大なので、人知れずこっそり離京する。 ■そのをりの心地のまぎれに 実際にこの場面を見聞きした設定で述べる。

朗読・解説:左大臣光永

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