【若菜下 23】源氏、紫の上と語らう 女性達を論評

「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難《かた》きわざなりけれとなむ思ひはてにたる。

大将の母君を、幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避《さ》らぬ筋《すぢ》には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地してやみにしこそ、今思へばいとほしく悔《くや》しくもあれ。また、わが過《あやま》ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしく重《おも》りかにて、そのことの飽《あ》かぬかな、とおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。

中宮の御母|御息所《みやすどころ》なむ、さまことに心深くなまめかしき例《ためし》にはまづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。恨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて深く怨《ゑん》ぜられしこそ、いと苦しかりしか。心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦《むつ》びをかはさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見おとさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに、人柄を思ひしも、我罪ある心地してやみにし慰《なぐさ》めに、中宮を、かく、さるべき御|契《ちぎ》りとはいひながら、とりたてて、世の譏《そし》り、人の恨みをも知らず心寄せたてまつるを、かの世ながらも見なほされぬらん。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔《くや》しきことも多くなむ」と、来《き》し方の人の御|上《うへ》、すこしづつのたまひ出でて、「内裏《うち》の御方の御|後見《うしろみ》は、何ばかりのほどならずと侮《あなづ》りそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際《きは》なく深きところある入になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬ気色《けしき》下《した》に籠《こも》りて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」とのたまへば、「他人《ことひと》は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづから気色見るをりをりもあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなき裏《うら》なさを、いかに見たまふらん、とつつましけれど、女御はおのづから思しゆるすらん、とのみ思ひてなん」とのたまふ。

さばかり、めざまし、と心おきたまへりし人を、今は、かくゆるして見えかはしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかし、と思すに、いとあり難ければ、「君こそは、さすがに隈《くま》なきにはあらぬものから、人により事にしたがひ、いとよく二筋《ふたすじ》に心づかひはしたまひけれ。さらに、ここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いと気色こそものしたまへ」とほほ笑みて聞こえたまふ。

「宮に、いとよく弾きとりたまへりしことのよろこび聞こえむ」とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心おく人やあらむ、とも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御|琴《こと》に心入れておはす。「今は、暇《いとま》ゆるしてうち休ませたまへかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」とて、御琴ども押しやりて大殿籠《おほとのごも》りぬ。

現代語訳

(源氏)「そう多くではないですが、私も人のありようの、それぞれに悪くは美点があるのがわかってくるにつれて、まことに心の持ちようが大らかで落ち着いている人こそ、実に滅多に得難いものだなと、ついに思うようになりました。

大将の母君(葵の上)を、私はまだ幼い頃にはじめて妻として、高貴な御身分で、ないがしろにできない御方とは思いましたが、いつも仲が悪く、隔てある気がしたままで終わってしまったことが、今思えば気の毒で後悔することでもございますね。

とはいえ、あれは自分の過ちだけというわけでもなかったのだと、ひそかに自分の心のうちにだけ、思い出します。きちんとしていて重々しく、そのことが足りないと思える点もございませんでした。

ただ、あまり打ち解けるところがなく、他人行儀で、すこし賢しらだっている言うべきだったろうかと、心に思うには信頼がおけるのですが、結婚相手としては面倒な人柄でした。

中宮の御母御息所(六条御息所)は、世間の人とはまったく違っていて、奥ゆかしく、優雅な人の例としてはまっさきに思い出されますが、人柄が見えにくく、つらい感じの御方でした。私を恨むのも当然のこと、なるほどもっともと思われることを、そのままいつまでも思い詰めて、深くお恨みになられたことは、実に苦しかったものです。心に打ち解けたところがなく、こちらが気おくれするほどで、お互いにくつろいで、朝夕仲良くしあうには、まことに気の置けるところがあったので、打ち解けて交際したら私をお見下しなさるのではないかと、あまりに体裁を取り繕っているうちに、すぐに疎遠な仲になってしまったのです。実にありえない評判を立てて、あの御方は、軽率のそしりを世間から受けるようになってしまったのですが、その嘆きを、ひどく思いつめていらっしゃったことが気の毒で、まことに、あの御方の人柄を思ってみても、私に過失があった気がして、そのま関係が終わってしまったことへの罪滅ぼしとして、中宮(秋好中宮)を、こうして、もともとそうなるべく定められた御運命であるとはいっても、私が中宮にとりたてて、世間からの非難も、人の恨みもかまわずに、お気遣い申し上げているのです。そのことを、あの御方(六条御息所)は、草葉の陰にいらっしゃりながらも私のことを見直してくださっているでしょう。今も昔も、私のいい加減な気まぐれから、気の毒で残念なことも多くございまして」と。過去の女性たちの御身の上話を、すこしづつお話に出されて、(源氏)「内裏の御方(明石の女御)の御後見(明石の君)は、どれほどの身分でもないと、私は最初見くびっていて、軽く見て降りましたが、それでもやはり心の底が見えず、際限なく深いところがある人で。うちとけない様子が奥にこもっていて、なんとなくこちらが気後れするところがありますね」とおっしゃると、(紫の上)「私は他の人は見知っておりませんが、この御方(明石の君)は、ちゃんと逢ったことはございませんが、自然とその様子を見ることもしばしばございました。ひどくうちとけにくく、こちらが気後れするようなようすが際立った御方ですね。だから私のこの、たとえようもない不躾さを、どう御覧になっていらっしゃるだろう、と気兼ねしておりました。しかし女御(明石の女御)は自然と私に気をゆるしてくれるだろう、とだけ、思っております」とおっしゃる。

院(源氏)は、上(紫の上)が、あれほど目障りだと、心へだてを置いていた人(明石の君)を、今はこうして許して、ご交際などなさっているのも、女御(明石の女御)の御ためを思う真心によってこそなのだ、とお思いになられる。そう思われるにつけ、そういうご人柄が世に珍しいことなので、(源氏)「貴女こそは、さすがに一切心に裏がないというわけではないですが、人により事柄にしたがい、実によく御心の使い分けをなさっていますね。身近な御方々を見ても、貴女のような御人柄の方は、まったくありませんよ。ひどく不機嫌になられることはございますが」と、にっこりお笑いになって申し上げなさる。

(源氏)「宮(女三の宮)に、実によく琴の弾き方を会得なさったことのお礼を申し上げてまいりましょう」と、夕方にあちらにおいでになられた。宮(女三の宮)は、自分に対して遠慮する人があるだろう、ともお思い寄りにならず、たいそう幼なげで、ひたすら御琴に夢中になっていらっしゃる。(源氏)「今は、私に暇を出してお休みなさいませ。師匠を満足させてこその弟子ですよ。ひどく苦しかった日々のかいがあって、私が安心できるほど見事に演奏できるようにおなりですね」と、御琴をみなしまって、お休みになられた。

語句

■多くはあらねど 紫の上の嫉妬に対して予防線をはった上で語り始める。 ■見知りゆくままに 前の「…さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに…」(【若菜下 22】)にも通じる。 ■大将の母君 夕霧の母、葵の上。 ■幼かりしほど 源氏は十二歳で四歳年長の葵の上と結婚(【桐壺 14】)。 ■やむごとなく 葵の上は左大臣の娘で母は皇女。 ■やみにし 葵の上が早逝したこと。 ■わが過ちのみもあらざりけり 源氏はどれだけ「悔しく」思っても、自己弁護をぜったいに忘れない。 ■やがて長く思ひつめて深く怨ぜられし 六条御息所はしつこく、怨み深く、いつまでも根に持つ。そこに源氏はうんざりしたのだろう。 ■身のあはあはしくなりぬる 前東宮妃ともあろう者が若い源氏の愛人になり、しかも棄てられたという評判。 ■さるべき御契りとはいひながら 前世からの宿縁で御息所の娘が中宮となることは定められていたとはいっても、自分の後援がなければ実現はできなかったという自負。 ■世の譏り 立后当時「源氏のうちしきり后にゐたまはんこと、世の人ゆるしきこえず」とあった(【少女 08】)。 ■かの世ながらも見なほされぬらむ 六条御息所が源氏のことをあの世から見直しているというのである。源氏はあくまでもポジティブ。 ■内裏の御方の御後見 「内裏の御方」は明石の女御。「御後見」は明石の君。かつては紫の上が後見人であったが、入内するにあたり実母である明石の君が後見人となった(【藤裏葉 10】)。 ■何ばかりのほどならず 身分が低いからと軽く見ていた。 ■際なく深きところある 前も「御方の御心おきての、らうらうじく気高くおほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬほどをほめぬ人なし」(【若菜上 27】)とあった。 ■まほならねど 正式な対面したわけではないがの意。紫の上と明石の君の対面は【藤裏葉 10】に描かれた。それ以来、ほとんど直接対面はなかったと思われる。 ■たとしへなき裏なさ 明石の君の他人行儀な態度に対して、紫の上のたとえようもない不躾さをいう。 ■女御はおのづから… 明石の君とは疎遠な関係でも、紫の上はかつて明石の女御の後見役をつとめている。母親がわりである。だから女御とは親しくしていられるだろうの意。 ■さばかり… 以下、源氏の紫の上評。 ■いとよくニ筋に心づかひ 状況に応じて気配りができる聡明さ。 ■気色こそものしたまへ ただ嫉妬しがちなところが難点だと冗談めかして言って、話を結ぶ。 ■我に心おく人やあらむ… 紫の上の「ニ筋に心づかひ」する態度との対照。 ■物の師は心ゆかせてこそ 前の「物の師をこそまづはものめかしたまはめ」(【若菜下 21】)とも通じる、戯れた表現。

朗読・解説:左大臣光永