【若菜下 34】源氏、女三の宮と玉鬘を比較
宮は、いとらうたげにて悩みわたりたまふさまのなほいと心苦しく、かく思ひ放ちたまふにつけては、あやにくに、うきに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば、渡りたまひて見たてまつりたまふにつけても、胸いたくいとほしく思さる。御|祈濤《いのり》などさまざまにせさせたまふ。おほかたの事はありしに変らず、なかなかいたはしくやむごとなくもてなしきこゆるさまを増したまふ。け近くうち語らひきこえたまふさまは、いとこよなく御心隔たりてかたはらいたければ、人目ばかりをめやすくもてなして、思しのみ乱るるに、この御心の中《うち》しもぞ苦しかりける。さること見き、ともあらはしきこえたまはぬに、みづからいとわりなく思したるさまも心幼し。「いとかくおはするけぞかし、よきやう、といひながら、あまり心もとなく後《おく》れたる、頼もしげなきわざなり」と思すに、世の中なべてうしろめたく、「女御の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、かやうに心かけきこえむ人は、まして心乱れなむかし。女はかうはるけどころなくなよびたるを、人もあなづらはしきにや、さるまじきにふと目とまり、心強からぬ過《あやま》ちはし出づるなりけり」と思す。
「右大臣《みぎのおとど》の北の方の、とり立てたる後見《うしろみ》もなく、幼くよりものはかなき世にさすらふるやうにて生ひ出でたまひけれど、かどかどしく労《らう》ありて、我もおほかたには親めきしかど、憎き心の添はぬにしもあらざりしを、なだらかにつれなくもてなして過ぐし、この大臣《おとど》の、さる無心《むじん》の女房に心あはせて入り来たりけむにも、けざやかにもて離れたるさまを人にも見え知られ、ことさらにゆるされたるありさまにしなして、わが心と罪あるにはなさずなりにしなど、今思へば、いかにかどある事なりけり。契り深き仲なりければ、長くかくてたもたむことは、とてもかくても同じごとあらましものから、心もてありしこととも、世人《よひと》も思ひ出でば、すこし軽々《かるがる》しき思ひ加はりなまし、いといたくもてなしてしわざなり」と思し出づ。
二条の尚侍《ないしのかむ》の君をば、なほ絶えず思ひ出できこえたまへど、かくうしろめたき筋《すぢ》のことうきものに思し知りて、かの御心弱さもすこし軽《かる》く思ひなされたまひけり。つひに御|本意《ほい》のことしたまひてけり、と聞きたまひては、いとあはれに口惜しく御心動きて、まづとぶらひきこえたまふ。今なむ、とだににほはしたまはざりけるつらさを浅からず聞こえたまふ。
「あまの世をよそに聞かめや須磨の浦にもしほたれしも誰《たれ》ならなくに
さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、今まで後《おく》れきこえぬる口惜しさを、思し棄てつとも、避《さ》りがたき御|回向《ゑかう》の中《うち》にはまづこそは、とあはれになむ」など、多く聞こえたまへり。とく思し立ちにしことなれど、この御|妨《さまた》げにかかづらひて、人にはしかあらはしたまはぬことなれど、心の中《うち》あはれに、昔よりつらき御契りをさすがに浅くしも思し知られぬなど、方々《かたがた》に思し出でらる。御返り、今はかくしも通ふまじき御文のとぢめ、と思せば、あはれにて、心とどめて書きたまふ。墨つきなどいとをかし。「常なき世とは身ひとつにのみ知りはべりにしを、後れぬ、とのたまはせたるになむ、げに、
あま舟にいかがは思ひおくれけむ明石の浦にいさりせし君
回向《ゑかう》には、あまねきかどにても、いかがは」とあり。濃き青鈍《あをにび》の紙にて、樒《しきみ》にさしたまへる、例の事なれど、いたく過ぐしたる筆づかひ、なほ旧《ふ》りがたくをかしげなり。
二条院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに絶えぬることにて、見せたてまつりたまふ。「いといたくこそ辱《は》づかしめられたれ。げに心づきなしや。さまざま心細き世の中のありさまを、よく見過ぐしつるやうなるよ。なべての世のことにても、はかなくものを言ひかはし、時々によせて、あはれをも知り、ゆゑをも過ぐさず、よそながらの睦《むつ》びかはしつべき人は、斎院《さいゐん》とこの君とこそは残りありつるを、かくみな背《そむ》きはてて、斎院、はた、いみじう勤めて、紛れなく行《おこな》ひにしみたまひにたなり。なほ、ここらの人のありさまを聞き見る中に、深く思ふさまに、さすがになつかしきことの、かの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな。女子《をむなご》を生ほしたてむことよ、いと難《かた》かるべきわざなりけり。宿世《すくせ》などいふらんものは目に見えぬわざにて、親の心にまかせ難《がた》し。生ひたたむほどの心づかひは、なほ力入るべかめり。よくこそあまた方々に、心を乱るまじき契りなりけれ。年深くいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまに見ましかばとなむ、嘆かしきをりをりありし。若宮を心して生ほしたてたてまつりたまへ。女御は、ものの心を深く知りたまふほどならで、かく暇《いとま》なきまじらひをしたまへば、何ごとも心もとなき方にぞものしたまふらむ。皇女《みこ》たちなむ、なほ飽くかぎり人に点《てん》つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはむに、うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける。限りありて、とざまかうざまの後見《うしろみ》まうくるただ人は、おのづからそれにも助けられぬるを」など聞こえたまへば、「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへむかぎりは、見たてまつらぬやうあらじ、と思ふを、いかなら
現代語訳
宮(女三の宮)は、たいそう意地らしく悩みつづけていらしゃる様子が、院(源氏)は、やはりひどく心苦しく、こうしてお諦めになってしまわれるには、あいにくなことに、残念な気持ちにも紛れない恋しさが苦しくお思いになるので、宮のもとにおいでになられてお見舞い申し上げなさるにつけても、胸が苦しくなって、おかわいそうだとお思いになる。宮のために御祈祷などさまざまにおさせになる。だいたいの御扱いは以前と変わらず、かえっていたわしく、大切にお世話申し上げるさまは、かえってこれまで以上でいらっしゃる。
お二人だけでお語らいになられる場合には、たいそう御心隔たりがあって、はた目に具合が悪いので、院(源氏)は、人目に映る見てくればかりを取り繕って、お心乱れる一方でいらっしゃるので、宮(女三の宮)の御心の内も、大変苦く感じられるのであった。院(源氏)は、「あのことを、見ました」ともはっきり言葉に出しておっしゃらないので、宮は、自分はどうしたらいいのかと、ひどく困っていらっしゃるさまも、心幼いものである。(源氏)「宮が、まったくこのようにいらっしゃることが、今回の事態を引き起こしたのだ。実にひどくおっとりしていらっしゃるのだ。それはよいこと、とは言うものの、あまりにも気がかりなほど考えが浅いのは、いかにも頼りないことである」とお思いになられるにつけ、男女の間というものがおしなべて安心できないものに思われて、「女御(明石の女御)が、あまりにも物柔らかで、穏やかでいらっしゃるのこそ、このように懸想し申し上げる人がもしあれば、その者は今回の一件よりもいっそう、夢中になるにちがいない。女がこのように内気でなよなよしているのを、男も甘く見るのだろうか、あるまじき時でもつい目がとまり、女が心強く拒むこともできないことから、過ちも起こってくるのである」とお思いになる。
(源氏)「右大臣(髭黒)の北の方(玉鬘)は、これといった後見もなく、幼いころから、はかない世の中にさすらうようにしてお生まれになられたが、才気があり考えが深く、私も表向きには親らしくふるまっていたが、けしからぬ数寄心がまじらないでもなかったのに、それをやんわりと、それと気づかぬように受け流してしまい、この大臣(髭黒)が、あの不届きな女房と心をあわせて入ってきたときにも、はっきりと、自分はその求婚を拒んだということを世間の人にも認めさせ、あらためて許されたような形に筋を通して、そうした関係が、ご自身の気持ちから出た過失とはならないようにしたことなど、今思えば、なんとかしこいやり方だったことか。前世からの因縁の深い仲であったのであれば、長くこうして夫婦となっていることは、初めがどうあれ結局は同じようになることだろうが、姫君(玉鬘)ご自身の心から出たことだと、世間の人がみなすならば、すこし軽率であるという思いがそこに加わっただろうが、そうはならなかったのは、実にうまくやったものだ」とお思い出しになられる。
語句
■なほいと心苦しく 源氏は女三の宮の密通を知ってなお、女三の宮への執着を捨てることができない。 ■御祈祷 女三の宮のための安産祈願。 ■おほかたの事 公的な、六条院の正妻としての世話。 ■け近くうち語らひきこえたまふさま 源氏と女三の宮、二人だけで水入らずの話をするような場合。 ■この御心の中しもぞ苦しかりける 源氏が密通の件について何も言わないだけに、女三の宮はかえって心かき乱される。 ■さること見き 源氏が柏木の手紙を発見したこと。 ■みづからいとわりなく思したる 源氏が手紙の一件を言わないので、女三の宮は自分からはどうしていいかわからず困る。 ■よきやう… 前の柏木の女三の宮に対する感想「よきやうとても…」(【若菜下 33】)に対応する。 ■世の中なべて 女三の宮個別の一件から、男女関係一般に考えが広がっていく。 ■女御 明石の女御。昔から女御が臣下と関係を持つ例は多いので、源氏はとくに心配する。 ■おびれたまへる 「おびる」はおだやかで鷹揚なこと。 ■心かけきこえむ人 明石の女御に対する懸想人を想定している。 ■まして心乱れなむかし その懸想人は柏木よりもいっそう、明石の女御に恋心を抱くだろうの意。 ■はるけどころなく 内気で。 ■我もおほかたには親めきしかど 源氏は玉鬘を養育しながらときに懸想心を抱いた。 ■無心の女房 髭黒の手引をした女房。 ■けざやかにもて離れたるさま はっきりと自分は髭黒の求婚を拒んだということを世間に示したと。このあたりの経緯はここで初めて語られる。玉鬘のまずいやり方との対比になっている。 ■ことさらにゆるされたるありさまにしなして 養父の源氏や実父の内大臣から許可された形にする。 ■今思へば 女三の宮の立ち回りとくらべて、いよいよ玉鬘の賢さが思われるのである。 ■世人も思ひ出でば たとえば玉鬘がみずから髭黒を誘い入れたなどであれば、後々まで世間から非難されたろう。しかし玉鬘は身の潔白を世間に認めさせた上で髭黒との結婚生活に入った。だから今、玉鬘を批判する者はいない。玉鬘のそういう立ち回りがいかにも賢かったと、源氏は女三の宮と比較して、思うのである。