【若菜下 35】源氏、尚侍の君(朧月夜)の出家に際し、紫の上に昔を語る

二条の尚侍《ないしのかむ》の君をば、なほ絶えず思ひ出できこえたまへど、かくうしろめたき筋《すぢ》のことうきものに思し知りて、かの御心弱さもすこし軽《かる》く思ひなされたまひけり。つひに御|本意《ほい》のことしたまひてけり、と聞きたまひては、いとあはれに口惜しく御心動きて、まづとぶらひきこえたまふ。今なむ、とだににほはしたまはざりけるつらさを浅からず聞こえたまふ。

「あまの世をよそに聞かめや須磨の浦にもしほたれしも誰《たれ》ならなくに

さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、今まで後《おく》れきこえぬる口惜しさを、思し棄てつとも、避《さ》りがたき御|回向《ゑかう》の中《うち》にはまづこそは、とあはれになむ」など、多く聞こえたまへり。とく思し立ちにしことなれど、この御|妨《さまた》げにかかづらひて、人にはしかあらはしたまはぬことなれど、心の中《うち》あはれに、昔よりつらき御契りをさすがに浅くしも思し知られぬなど、方々《かたがた》に思し出でらる。御返り、今はかくしも通ふまじき御文のとぢめ、と思せば、あはれにて、心とどめて書きたまふ。墨つきなどいとをかし。「常なき世とは身ひとつにのみ知りはべりにしを、後れぬ、とのたまはせたるになむ、げに、

あま舟にいかがは思ひおくれけむ明石の浦にいさりせし君

回向《ゑかう》には、あまねきかどにても、いかがは」とあり。濃き青鈍《あをにび》の紙にて、樒《しきみ》にさしたまへる、例の事なれど、いたく過ぐしたる筆づかひ、なほ旧《ふ》りがたくをかしげなり。

二条院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに絶えぬることにて、見せたてまつりたまふ。「いといたくこそ辱《は》づかしめられたれ。げに心づきなしや。さまざま心細き世の中のありさまを、よく見過ぐしつるやうなるよ。なべての世のことにても、はかなくものを言ひかはし、時々によせて、あはれをも知り、ゆゑをも過ぐさず、よそながらの睦《むつ》びかはしつべき人は、斎院《さいゐん》とこの君とこそは残りありつるを、かくみな背《そむ》きはてて、斎院、はた、いみじう勤めて、紛れなく行《おこな》ひにしみたまひにたなり。なほ、ここらの人のありさまを聞き見る中に、深く思ふさまに、さすがになつかしきことの、かの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな。女子《をむなご》を生ほしたてむことよ、いと難《かた》かるべきわざなりけり。宿世《すくせ》などいふらんものは目に見えぬわざにて、親の心にまかせ難《がた》し。生ひたたむほどの心づかひは、なほ力入るべかめり。よくこそあまた方々に、心を乱るまじき契りなりけれ。年深くいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまに見ましかばとなむ、嘆かしきをりをりありし。若宮を心して生ほしたてたてまつりたまへ。女御は、ものの心を深く知りたまふほどならで、かく暇《いとま》なきまじらひをしたまへば、何ごとも心もとなき方にぞものしたまふらむ。皇女《みこ》たちなむ、なほ飽くかぎり人に点《てん》つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはむに、うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける。限りありて、とざまかうざまの後見《うしろみ》まうくるただ人は、おのづからそれにも助けられぬるを」など聞こえたまへば、「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへむかぎりは、見たてまつらぬやうあらじ、と思ふを、いかならむ」とて、なほものを心細げにて、かく心にまかせて行ひをもとどこほりなくしたまふ人々を、うらやましく思ひきこえたまへり。

「尚侍《かむ》の君に、さま変りたまへらむ装束《さうぞく》など、まだ裁《た》ち馴れぬほどはとぶらふべきを、袈裟《けさ》などはいかに縫ふものぞ。それせさせたまへ。一領《ひとくだり》は、六条の東《ひむがし》の君にものしつけむ。うるはしき法服《ほふぶく》だちては、うたて見る目もけうとかるべし。さすがに、その心ばへ見せてを」など聞こえたまふ。青鈍《あをにび》の一領をここにはせさせたまふ。作物所《つくもどころ》の人召して、忍びて、尼の御具どものさるべきはじめのたまはす。御|褥《しとね》、上蓆《うはむしろ》、屏風《びやうぶ》、几帳《きちやう》などのことも、いと忍びて、わざとがましくいそがせたまひけり。

現代語訳

院(源氏)は、二条の尚侍の君(朧月夜)を、今でも絶えずお思い出し申し上げてていらしたが、このような後ろめたい筋のことを残念なものとお思い知られて、あの君(朧月夜)のなびきやすいご気性も、すこし軽々しいものと思うようになっていらしたのだ。その尚侍の君が、ついにご念願のご出家をお遂げになられた、とお聞きになられて、院は、まことに感慨深く、残念なことと、お気持ちが動いて、真っ先にご挨拶を申し上げなさる。「今から」とたった一言ほのめかさすこともなさらずにご出家なさったことの恨めしさを、切々と申し上げなさる。

(源氏)「あまの世を……

(貴女が尼になられたことを、よそごとに思えましょうか。私が須磨の浦に藻塩垂れるように涙したのは他ならぬ貴女のためでしたのに)

千差万別である世の無常を心に思いつめて、今まで出家せずに貴女に遅れ申しております私の無念さを、たとえ私のことはお見捨てなさるとしても、しかるべき御回向の際には、まっさきに私のことをご祈願していただけるだろうと思うと、身にしみる思いでございます」など、あれこれ申し上げなさる。尚侍の君(朧月夜)は早くからご出家を思い立っていらしたが、この院(朱雀院)がとかくおっしゃるのに引きずられて、人にははっきりとお打ち明けになられることではないが、心の中ではしみじみと感慨深くお思いになられて、昔からの、結局は添い遂げられないご宿縁だったといっても、それでもやはり浅からぬご関係とお思いになることなど、さまざまにお思い出しなさる。御返りは、今後はこのようなやり取りはできず、最後の御文になるだろう、とお思いになるので、しみじみと感慨深く、心をとどめてお書きになられる。墨つきびなどとても素晴らしい。(尚侍)「無常な世の中とは、わが身ひとつのこととして実感しておりましたが、『後れぬ』とおっしゃいましたのは、なるほど、

あま舟に……

(あま舟にどうして乗り遅れられたのでしょうか。明石の浦で海人のような侘住居をしていらした貴方ですのに)

回向にはあまねく衆生のために祈願しますが、どうして貴方一人のために特別に祈願することがございましょう」とある。濃い青鈍色の紙で、樒にさしている、いつもの事ではあるが、たいそう洒落たな筆づかいは、やはり昔と変わらず、見事である。

院(源氏)が二条院にいらっしゃる時であったので、女君(紫の上)にも、今はすっかり男女の仲としては絶えてしまったことなので、この手紙をお見せ申し上げなさる。(源氏)「なんとまあひどく辱められたものですよ。なるほど自分に愛想がつきることです。さまざまに心細い世の中のありさまを、よくも見過ごして今まで生きてこられたものですよ。世間一般のことにおいても、とりとめもなく物を言い合って、季節季節によせて情緒をも知り、風情をも見過さず、距離がはなれていながらも親しく交際できる人としては、斎院(朝顔)とこの君とだけが残っておりましたのに、こうして出家してしまって、斎院といえば、また、熱心に仏事のお勤めをして、集中して仏道に励んでいらっしゃるということです。やはり、こうした人々のありようを聞いたり見たりする中に、思慮深いようすで、それでいて優しく感じられることにことにおいては、あの斎院(朝顔)と比べられると思うほどの人もなかったことですよ。女子を無事に育て上げることは、ひどく難しいことなのですね。宿命などということは目に見えないことなので、親の考えどおりには事がすすまないものです。女子が成長しきるまでの心遣いは、どんなにすばらしい宿世が約束されている女子であっても、やはり親は力を入れなければならないものでしょう。私は幸運にも多くの方々と、子供のことでは苦労しなくてもすむていどのめぐり合わせだったものですよ。若い頃は、子が少ないのは物足りないことだ、さまざまに自分の子を世話したいものだとばかり、嘆いた折々もございました。貴女も、若宮を心してご養育申し上げなさいませ。女御(明石の女御)は、まだものの道理を深くおわきまえの年齢ではございませんし、ああして忙しい宮中の交わりをなさっていらしっしゃいますので、万事頼りなくていらっしゃいますでしょう。皇女たちを、やはり生きている限りは人に非難されぬように、世間をのびのびとお過ごしになるのに心配がないような心がまえを、つけてさしあげたいものですね。身分柄、結婚するにも限界があって、あれやこれや人の世話を受ける普通の身分の女であれば、おのづからその結婚相手に助けられもしましょうが…」などと申し上げなさると、(紫の上)「私にはたいした御後見はできないとしましても、生きているかぎりは、必ず若宮や皇女たちをお世話申し上げないことはない、と思っているのですが、それもどうなりますことやら」といって、なんとなく心細そうに、あのようにご自分のお気持ちのままに、何の妨げもなく仏事の行いをなさる人々を、うらやましく思い申し上げていらっしゃった。

(源氏)「尚侍の君(朧月夜)に、ご出家後の装束など、まだお繕い慣れぬうちは、こちらがお世話申し上げるべきですが、袈裟などはどうやって縫うものでしょうか。それを貴女がおこしらえください。一領は、六条院の東の君(花散里)に申しつけましょう。あまり型どおりの法服めいているのでは、いやな感じで、見た目ももの足りないことでしょう。とはいえやはり法服ですから、派手になりすぎぬように、法服としての趣は失わないようにしてください」など申し上げなさる。青鈍の法服一領を上(紫の上)方でお仕立てなさる。作物所の役人を召して、内々に、尼としてしかるべき調度品の数々をはじめとして、いろいろとお命じになられる。御褥、上蓆、屏風、几帳などのことも、たいそうこっそりと、ことさらにご用意になられるのであった。

語句

■二条の尚侍の君 朧月夜。同じく尚侍である玉鬘と区別して、二条宮にすんでいる(【若菜上 19】)ため、こうよぶ。 ■うしろめたき筋 女三の宮が柏木と密通した件。 ■かの御心弱さ 源氏は朧月夜の人になびきやすいところに、女三の宮と共通する「弱さ」を感じる。 ■ついに御本意のこと… 朧月夜は朱雀院出家の直後、自分も出家しようとしたが朱雀院に諌められてとどまった。以来、仏事にうちこんでいたが、ようやく本懐を遂げた。 ■今なむ これから出家しますよ、という挨拶。 ■あまの世を… 「あま」に「海人」と「尼」をかけ、歌全体に須磨謫居時代の思い出をただよわせる。 ■御回向 回向は他人が極楽往生できるように祈る仏事。源氏は朧月夜の元恋人として、まっさきに祈ってもらえるだろうと自惚れる。 ■とく思し立ちにしこと 朧月夜は朱雀院出家直後に自分も出家しようとしたが朱雀院に止められた。 ■さすがに浅くしも… 朧月夜は出家を前に現世への執着を断ち切らなくてはならないが、それでもやはり…の意。 ■今はかくしも通ふまじき 出家後はこのような色めいた文のやり取りもできなくなる。これが最後の機会となろう。 ■あはれにて 源氏の「いとあはれに口惜しく」と照応。 ■墨つき 筆跡。 ■常なき世とは 源氏の「世の定めなさを」に照応。 ■身ひとつにのみ 貴方とは無関係ですと、ことさらに強調する。 ■後れぬ 源氏の「今まで後れきこえぬる」に対応。 ■げに 源氏の歌の内容を「げに」と一応受け止め、次の歌につなげる。 ■あま舟に… 源氏の歌の「須磨の浦」を「あかしの浦」にすげかえた。源氏の流謫時代を明石の君により強く結びつけて、自分とは切り離す発想。 ■回向には、あまねきかどにても 回向では一切衆生のために祈るが、とくに源氏個人のためには祈らないと切り返した。「かど」は門。家。 ■濃き青鈍 出家者にふさわしい色。 ■樒 木蓮科の常緑灌木。仏事に使う。花は白い。 ■いたく過ぐしたる筆づかひ 朧月夜は朝顔の君・紫の上とともに当今の書の名手と讃えれたことがある(【梅枝 06】)。 ■むげに絶えぬること 朧月夜は出家したのだから今さら色めいた関係にもどりようもない。 ■いといたくこそ辱められたれ 朧月夜からの返歌やそれに添えた言葉をいう。 ■斎院 朝顔の姫君の出家については初出。 ■女子を生ほしたてむことよ 女子を無事に育て上げることは大変だの意。女三の宮のことが念頭にある。 ■なほ力入るべかめり 女子の将来が宿運によって約束されているにしても、それでも親の教育によるところがあるので気が抜けないの意。 ■契りなりけれ 子をなすことが少なかったことをいう。 ■さうざうしのわざや 源氏は子供が少ないことを嘆かわしく思い、とくに子だくさんの内大臣を羨ましく思うことがあった。 ■若宮 紫の上が養育している女一の宮(【若菜下 11】)。 ■ものの心を深く知りたまふほどならで 明石の女御がまだ若くものの道理をわきまえていないことを懸念。前の「女御の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、…」(【若菜下 34】)とも響き合う。 ■かく暇なきまじらひ 帝の寵愛篤き女御として宮仕えしていること。 ■皇女たち 今上帝と明石の女御との間に生まれた皇女は女一の宮だけだが、ここでは皇女一般についていう。 ■点つかるまじき 「点つく」は非難する。 ■世をのどかに過ぐしたまはむ ここでは独身のまま一生を過ごすことをいう。皇女は多くが独身を貫いた。 ■それにも助けられぬる 臣下の身分の女は夫に助けてもらえるが、皇女は夫の助けが期待できない。 ■はかばかしきさまの御後見ならず 女三の宮の後見について卑下していう。 ■いかならむ 今回の病状をみているといつ命が絶えるかもわからない。 ■心にまかせて、行ひもとどこほりなくしたまふ人々 朧月夜と朝顔の姫君。紫の上は源氏に止められて出家できない。 ■まだ裁ち馴れぬほどは… 出家直後は女房たちも慣れないだろうからこちらで世話しようと源氏はいう。いまだ断ち切れない朧月夜への執着がうかがえる。 ■六条の東の君 花散里。彼女は裁縫が得意。 ■うるはしき法服だちては いかにも出家した人という感じで色がくすんでみすぼらしいのは。 ■作物所 蔵人所に属し、宮中の調度類を制作した。

朗読・解説:左大臣光永