【若菜下 36】朱雀院の賀、またも延期 朱雀院、女三の宮に消息

かくて、山の帝の御賀も延びて、秋とありしを、八月は、大将の御|忌月《きづき》にて、楽所《がくそ》のこと行ひたまはむに便《びん》なかるべし、九月は、院の大后《おほきさき》の崩《かく》れたまひにし月なれば、十月に、と思しまうくるを、姫宮いたく悩みたまへば、また延びぬ。衛門督《ゑもんのかみ》の御あづかりの宮なむ、その月には参りたまひける。太政大臣《おほきおとど》ゐたちて、いかめしく、こまかに、もののきよら、儀式を尽くしたまへりけり。督《かむ》の君も、そのついでにぞ、思ひ起こして出でたまひける。なほ悩ましく、例ならず病《やまひ》づきてのみ過ぐしたまふ。

宮もうちはへて、ものをつつましく、いとほしとのみ思し嘆くけにやあらむ、月多く重なりたまふままに、いと苦しげにおはしませば、院は、心憂しと思ひきこえたまふ方こそあれ、いとらうたげにあえかなるさまして、かく悩みわたりたまふを、いかにおはせむと嘆かしくて、さまざまに思し嘆く。御|祈禱《いのり》など、今年は、紛《まぐ》れ多くて過ぐしたまふ。

御山《みやま》にも聞こしめして、らうたく恋しと思ひきこえたまふ。月ごろかくほかほかにて、渡りたまふこともをさをさなきやうに人の奏しければ、いかなるにかと御胸つぶれて、世の中も今さらに恨めしく思して、対《たい》の方《かた》のわづらひけるころは、なほ、そのあつかひに、と聞こしめしてだに、なま安からざりしを、「その後《のち》なほり難《がち》くものしたまふらむは、そのころほひ便《びん》なきことや出で来たりけむ。みづから知りたまふことならねど、よからぬ御|後見《うしろみ》どもの心にて、いかなる事かありけむ、内裏《うち》わたりなどのみやびをかはすべき仲らひなどにも、けしからずうきこと言ひ出づるたぐひも聞こゆかし」とさへ思しよるも、こまやかなること思し棄ててし世なれど、なほこの道は離れがたくて、宮に御文こまやかにてありけるを、大殿《おとど》おはしますほどにて見たまふ。

そのこととなくて、しばしばも聞こえぬほどに、おぼつかなくてのみ年月の過ぐるなむあはれなりける。悩みたまふなるさまは、くはしく聞きし後、念誦《ねんず》のついでにも思ひやらるるは。いかが、世の中さびしく、思はずなる事ありとも、忍び過ぐしたまへ。恨めしげなる気色など、おぼろけにて見知り顔にほのめかす、いと品《しな》おくれたるわざになむ。

など、教へきこえたまへり。

いといとほしく心苦しく、かかる内々のあさましきをば聞こしめすべきにはあらで、わが怠《おこた》りに本意なくのみ聞き思すらんことをとばかり思しつづけて、「この御返りをばいかが聞こえたまふ。心苦しき御|消息《せうそこ》に、まろこそいと苦しけれ。思はずに思ひきこゆる事ありとも、おろかに人の見とがむばかりはあらじとこそ思ひはべれ。誰《た》が聞こえたるにかあらむ」とのたまふに、恥ぢらひて背《そむ》きたまへる御姿もいとらうたげなり。いたく面痩《おもや》せて、もの思ひ屈《く》したまへる、いとどあてにをかし。

現代語訳

こうして山の帝(朱雀院)の御賀も延びて、秋とされていたのが、八月は、大将(夕霧)の母の御忌日で、楽所の事をお世話なさるには不都合であろうということで、九月は、院(朱雀院)の大后(弘徽殿大后)がお崩《かく》れになられた月なので、十月に、とお考えになっておられたが、姫宮(女三の宮)がひどくご体調が悪くていらっしゃったので、また延期された。衛門督(柏木)がお預かりしていらっしゃる宮(落葉の宮)が、その月(十月)には参上なさった。太政大臣がお取り仕切りになられて、仰々しく、こまかに、ものの綺羅、儀式を尽くして執り行られたのであった。督の君(柏木)も、そのついでに、思い起こしてご外出なさったのだった。それでもやはりご気分が悪く、ふつうでないご体調で、ひたすら病がちでお過ごしになる。

宮(女三の宮)もひきつづいてて、何かと気後れがして、つらいとばかりお思い嘆いているせいであろうか、幾月もお重なりになられるにつれて、ひどく苦しそうにしていらっしゃるので、院(源氏)は、嫌な感じだと思い申し上げることこそあるが、宮(女三の宮)が、ひどく可愛らしく弱々しいようすで、こうして長い間ご体調が悪くていらっしゃるのを、どうしていらっしゃるのだろうかとご心配して、さまざまにお思い嘆きになられる。御祈祷など、今年は紛れる用事が多い内に、お過ごしになられる。

院(源氏)は、御山(朱雀院)にもご懐妊の事をお知らせ申し上げて、宮のことを、可愛らしく、恋しいと思い申し上げなさる。ここ数ヶ月はこうして別々にお過ごしになられて、院(源氏)が宮(女三の宮)のもとにおいでになることも滅多にないように人が朱雀院に奏上したので、朱雀院は、どうなることかと御胸がつまって、このご夫婦仲のことも今さらながら恨めしいものにお思いになられて、対の方(紫の上)がお患いになられていたころは、やはりそのご看病につきっきりでいらっしゃる、とお耳にされてさえ、なんとなくお気持ちが落ち着かずにいらしたものだが、(朱雀院)「その後ももとの通りのご夫婦仲にもどりづらくていらっしゃるらしいのは、その頃に不都合な事でも起こったのだろうか。宮(女三の宮)ご自身がご存知のことではないとしても、よからぬお世話役の女房たちの考えから、何かあったのだろうか。宮中あたりなどで風雅を交わすべき仲などにおいても、けしからず、つまらなぬことが噂にのぼる例も聞くことだから」とまでお思い寄りになられるにつけ、朱雀院は、細々した俗世のことはお思い棄てになられたのだが、やはり、親子の情愛の道は離れがたくて、宮にお手紙を、こまやかにお送りになられたのだが、大殿(源氏)がたまたまいらっしゃる時で、そのお手紙をご覧になる。

(朱雀院)これといった用事もなくて、しばらくご連絡さし上げないうちに、まったく貴女がどうなっているかわからないままに年月が過ぎるのが、気がかりでした。ご気分が悪くていらっしゃるというご様子は、詳しく聞いた後、念誦のついでにも思いやられることですよ。どれほどご夫婦仲がさびしく、思い通りにならない事があっても、我慢してお過ごしください。恨めしげな様子など、それとなく見知り顔にほのめかすのは、ひどく品の劣ることですから。

など、お教え申し上げあそばす。

院(源氏)はひどくお気の毒で心苦しく、こうした内々の不祥事をご存知のはずもないから、朱雀院は、こちらの怠りとしてひたすら不本意なことにお聞きし、またそうお思いになるだろうとばかりお思いつづけになられて、(源氏)「このご返事を、どう申し上げなさるのですか。心苦しいお手紙に、私のほうこそひどく苦しくなりますよ。貴女のことを心外に思い申し上げることがあっても、粗略な扱いだとそれに見とがめるほどのことはするまいと思っております。誰が院に申し上げたのでしょう」とおっしゃると、恥じらって、顔をおそらしになられる御姿も、たいそういじらしい。ひどく痩せて、なんとなく沈み込んでいらっしゃるのがいよいよ気品があり美しい。

語句

■山の帝 朱雀院。この呼び方は初出。 ■御忌日 夕霧の母葵の上の忌日。 ■院の大后 朱雀院の母、弘徽殿大后。その忌日が九月であることは初出。 ■姫宮いたく悩みたまへば 懐妊八ヶ月。 ■あづかりの宮 女二の宮。落葉の宮。柏木の正室。 ■太政大臣 柏木の父、致仕の大臣。 ■思ひ起こして 気がすすまないが敢えて気持ちを奮い起こして。 ■なほ悩ましく 源氏の御前を恐れるので。 ■宮も 前の柏木につづいて宮も、の意。 ■月多く 妊娠後の月が重なっていく。 ■御祈祷 一月からの紫の上の病気平癒祈願に、女三の宮の安産祈願が加わる。 ■月ごろかくほかほか 源氏が重体の紫の上につききりで、女三の宮を顧みなかったこと。 ■御胸つぶれて 女三の宮の懐妊に疑問を抱く。するどい。 ■今さらに 出家の身には他人の夫婦生活など関係ないはずだが、の意。 ■その後なほり難く… 朱雀院は、紫の上が重体だった時に源氏が紫の上の看病につきっきりで女三の宮を顧みないことさえ不服だった。まして今、紫の上が回復したのにもかかわらず、源氏が女三の宮のもとを訪れないのは、いっそう不服である。 ■そのころほひ便なき事や… 朱雀院は、源氏が紫の上につきっきりであった頃に女三の宮に不義密通があったのではないかと疑う。 ■よからぬ御後見どもの心にて… よからぬ世話役の女房たちが手引して間男を引き入れたことを、朱雀院は想像する。 ■内裏わたりなどの… 宮中で見聞からも、女三の宮に不義密通があったのではないかと疑う。源氏も、帝の后に不義密通がある例を考えていた(【若菜下 32】)。 ■この道 親子の情愛の道。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■恨めしげなる気色 源氏への嫉妬。 ■かかる内々のあさましき 女三の宮の不義。 ■思はずに思ひきこゆれる事 柏木との不義の一件が念頭にある。

朗読・解説:左大臣光永

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