【若菜下 37】源氏、女三の宮に説教 柏木、六条院に参らず

「いと幼き御心ばへを見おきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、思ひあはせたてまつれば、今より後《のち》もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじ、と思へど、上《うへ》の御心に背くと聞こしめすらむことの安からずいぶせきを、ここにだに聞こえ知らせでやは、とてなむ。至り少なく、ただ人の聞こえなす方《かた》にのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみ思し、また、今は、こよなくさだすぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむも、方々《かたがた》に口惜しくも、うれたくもおぼゆるを、院のおはしまさむほどは、なほ心をさめて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだすぎ人をも、同じくなずらへきこえて、いたくな軽《かる》めたまひそ。いにしへより本意《ほい》深き道にも、たどり薄かるべき女方《をむながた》にだにみな思ひ後《おく》れつつ、いとぬるきこと多かるを、みづからの心には、何ばかり思ひ迷ふべきにはあらねど、今はと棄てたまひけむ世の後見《うしろみ》におきたまへる御心ばへのあはれにうれしかりしを、ひきつづき、争ひきこゆるやうにて、同じさまに見棄てたてまつらんことのあへなく思されむにつつみてなむ。心苦し、と思ひし人々も、今は、かけとどめらるる絆《ほだし》ばかりなるもはべらず。女御も、かくて行く末は知りがたけれど、御子たち数そひたまふめれば、みづからの世だにのどけくはと見おきつべし。その外《ほか》は、誰《たれ》も誰も、あらむに従ひて、もろともに身を棄てむも惜しかるまじき齢《よはひ》どもになりにたるを、やうやう涼しく思ひはべる。院の御世の残り久しくもおはせじ。いとあつしくいとどなりまさりたまひて、もの心細げにのみ思したるに、今さらに思はずなる御名漏り聞こえて、御心乱りたまふな。この世はいと安し。事にもあらず。後《のち》の世の御道の妨《さまた》げならむも、罪いと恐ろしからむ」など、まほにその事とは明かしたまはねど、つくづくと聞こえつづけたまふに、涙のみ落ちつつ、我にもあらず思ひしみておはすれば、我もうち泣きたまひて、「人の上にてももどかしく聞き思ひし古人《ふるびと》のさかしらよ、身にかはることにこそ。いかに、うたての翁《おきな》やと、むつかしくうるさき御心添ふらむ」と、恥ぢたまひつつ、御|硯《すずり》ひき寄せたまひて、手づからおし磨《す》り、紙とりまかなひ、書かせたてまつりたまへど、御手もわななきて、え書きたまはず。かのこまかなりし返り事は、いとかくしもつつまず、通はしたまふらむかしと思しやるに、いと憎ければ、よろづのあはれもさめぬべけれど、言葉など教へて書かせたてまつりたまふ。

参りたまはむことは、この月かくて過ぎぬ。二の宮の御|勢《いきほひ》ことにて参りたまひけるを、古めかしき御身ざまにて、立ち並び顔ならむも憚《はばか》りある心地しけり。「十一月《しもつき》はみづからの忌月《きづき》なり。年の終り、はた、いともの騒がし。また、いとどこの御姿も見苦しく、待ち見たまはむをと思ひはべれど、さりとてさのみ延ぶべき事にやは。むつかしくもの思し乱れず、あきらかにもてなしたまひて、このいたく面痩《おもや》せたまへるつくろひたまへ」など、いとらうたしと、さすがに見たてまつりたまふ。

衛門督をば、何ざまの事にも、ゆゑあるべきをりふしには、必ずことさらにまつはしたまひつつのたまはせあはせしを、絶えてさる御|消息《せうそこ》もなし。人、あやしと思ふらんと思せど、見むにつけても、いとどほれぼれしき方恥づかしく、見むには、また、わが心もただならずや、と思し返されつつ、やがて、月ごろ参りたまはぬをも咎《とが》めなし。おほかたの人は、なほ例ならず悩みわたりて、院に、はた、御遊びなどなき年なれば、とのみ思ひわたるを、大将の君ぞ、「あるやうあることなるべし。すき者はさだめて、わが気色とりしことには忍ばぬにやありけむ」と思ひ寄れど、いとかく定かに残りなきさまならむとは思ひ寄りたまはざりけり。

現代語訳

(源氏)「院(朱雀院)は、貴女のひどく幼いご気性をご覧になられて、ひどくご心配なさっていらっしゃるようだと、私は思い当たることがございますので、今後も、万事にわたってお気をつけてください。ここまでは申し上げまい、とは思いますが、上(朱雀院)のお気持ちに私が背いているとお耳にされることが不本意で、気が晴れませんから、せめて貴女にだけはお知らせ申し上げてしおかなくては、と思いましてね。貴女は思慮が浅いご気性で、ただ他人が申し上げることをすぐに信じてしまうようですから、私の言うことをただ愚かで浅はかだとばかりお思いになるでしょうし、また、今ではすっかり年寄りになってしまった私のありさまも、ばかにして、変わりばえもしないものとばかり決めつけていらっしゃるでしょうから、どちらにしても残念にも、情けなくも思えますが、院(朱雀院)がご健在の間は、やはり気持ちを抑えて、院がお定めになって、この私が世話役に選ばれたのでしょうから、年老いた私のことも、院(朱雀院)と同じようにお思いになられて、そう軽くご覧になられますな。昔から志していた出家の道においても、そう考えの深くなさそうな女方にまでもみな後れをとってしまい、ひどくふがいないことが多いのですが、私自身の気持ちとしては、何も思い迷うはずはないのですが、朱雀院が、今をこれまでとお捨てになられた俗世の世話役として私をお定めになられたお気持ちがしみじみと嬉しかったので、他の御方々につづいて、競い申し上げるように、同じように貴女を見棄て申すのでは、朱雀院もはりあいのないことにお思いだろうと、それを遠慮して、自重していたのですよ。気になっていた人々も、今は、この世にひきとどめられる絆となるような方はございません。女御(明石の女御)も、あのように将来はどうなるかわかりませんが、御子たちの数も増えてきているようですから、少くとも私の存命中はご無事にお過ごしになれるだろうと見ておくことができるでしょう。その他は、誰も誰も、それぞれのありように応じて、私とともに出家したとしても惜しくはない年齢に、それぞれなっていますので、だんだんさっぱりした気持ちになってきました。院(朱雀院)の御寿命もこの先も長くはありますまい。ほんとうにご病気も重くなっていく一方で、なんとなく心細そうにしていらっしゃるのに、今さら予想外の貴女のお噂をお耳に入れ申して、院の御心をお乱しになられますな。貴女はこの現世については、すこぶる安心です。なんの問題もないでしょう。後の世のご成仏の妨げとなるようなことになりましたら、その罪は、ひどく恐ろしいことでしょう」など、はっきりとその事とはご明言なさらないが、切々と申し上げつづけなさるので、宮(女三の宮)は、ひたすら涙を落としては、自分が自分でないように、ふさぎこんでいらっしゃるので、院(源氏)は、ご自身もお泣きになられて、(源氏)「他人のこととしては、もどかしいことと聞き、またそう思っていた年寄りの出しゃばりようですが、今、私自身がそれを言うようになってしまったことです。どれほど、私のことをいやな年寄りだと、面倒に、うるさく思うお気持ちが、いよいよ増していることでしょう」と恥ずかしくお思いになりながら、御硯をお引き寄せになられて、ご自分で墨を磨って、紙を用意して、宮にお書かせ申し上げなさる。しかし宮は、御手もふるえて、お書きになれない。あの男(柏木)の情こまやかな手紙に対する返事は、こうして気後れすることなど少しもなく、お取り交わしになられたのだろうかと想像なさるにつけ、院(源氏)はとても憎らしかったので、一切のいとおしく思う気持ちも冷めてしまうようであったが、言葉など教えてお書かせ申し上げなさる。

宮(女三の宮)が朱雀院のもとにお参りになられることは、この月はこうして過ぎてしまった。二の宮(落葉の宮)が格別の仰々しさでお参りになられたのを、宮(女三の宮)のふけやつれた御身のさまで、対等の顔をしているのもはばかられる気がしたのだ。(源氏)「十一月は私自身にとって父帝(桐壺院)の忌月です。年の終わりは、これまた、ひどく忙しいです。また、貴女のご懐妊後のますます見苦しくなる御姿を院(朱雀院)にご覧に入れることと思いますが、そうはいっても延期ばかりしているわけにもいかないでしょう。くよくよとお悩みになられず、さっぱりとお気持ちをお切り替えになられて、このひどくやつれていらっしゃる御顔を、おとりつくろいください」など、院(源氏)は宮(女三の宮)のことを、たいそう愛おしいと、やはりそうお思いになられる。

院(源氏)は、衛門督(柏木)を、どういう用事においても、風情を添えるべき折節には、必ずことさらにおそばにお仕えさせてはご相談になられたのだが、今はすっかりそのようなご連絡もない。人が不審に思うだろうとお思いになるが、会うにしても、ご自分のぶざまなことがいよいよ恥ずかしく、会ったら、また、ご自分の気持ちとしても平静ではいられまいと何度もお思いになられては、衛門督(柏木)がそのまま何ヶ月も参上なさらないことに対する咎めもない。だいたいの人は、やはり衛門督(柏木)は、ずっとご体調が悪く、また、院(源氏)にあられては、管弦の御遊びなどもない年なので、だから衛門督(柏木)が参上することがないのだろうとだけ、ずっと思いつづけているが、大将の君(夕霧)は、「何かわけがあるにちがいない。色好みな男だから、さぞかし、あの時私も気がついた一件で、我慢できない思いでいるのではなかろうか」と想像するが、実にここまではっきりと、あからさまに事が起こってしまったとはご想像もつかずにいらっしゃるのだった。

語句

■今より後もよろづになむ 柏木との密通の件が念頭にある。 ■ただ人の 「ただ」を副詞、「人」を女房たちの意に解する。「ただ人」を名詞として柏木の意にみる説も。 ■こよなくさだすぎにたる すっかり年老いてしまったと、自嘲ぎみに言う。 ■方々に 女三の宮への扱いが粗略だと言われることも、すっかり年老いてしまったことも。このあたり源氏の台詞はとてもひがみっぽく、ムダに長く、見苦しい。 ■うれたくも 「うれたし」は憎らしい。いまいましい。嘆かわしい。 ■かの思しおきてたるやうに 朱雀院が源氏を女三の宮の世話役に定めたことをいう。 ■さだすぎ人 源氏自身のこと。前の「こよなくさだすぎにたる」と照応。 ■同じくなずらへきこえて 老齢の自分を同じく老齢の朱雀院とかさねて、大切にしてくれと。その裏に、いくら若くても柏木のような者に気を許すなの意がある。 ■いたくな軽めたまひそ 密通事件について明言しないものの言外に非難をこめる。 ■女方 先に出家した朧月夜や朝顔の姫君。 ■ぬるきこと 「ぬるし」はふがいない。 ■思ひ迷ふべきにはあらねど 現世に自分をひきとどめるような絆はないとする。 ■心苦し、と思ひし人々 源氏が生活の世話をしてやらないと生きていけないような人々。 ■あらむに従ひて それぞれの状況に応じて。 ■もろともに身を棄てむ 源氏とともに出家すること。 ■涼しく 現世への執着がなくなりさっぱりした気分になっていること。 ■思はずなる御名 密通事件のことをさす。 ■後の世の御道 後の世の往生。 ■その事 柏木との密通。源氏はその件を明言しないまま、ねちねちと女三の宮を追い詰めていく。 ■我もうち泣きたまひて 女三の宮に対する怒りはあるが、ここでは憐れみのほうが強く出る。 ■人の上にても 他人事として。 ■古人のさかしら 老人が賢いつもりででしゃばりな助言などすること。 ■身にかはる 老人がでしゃばりな助言などをすることを昔は無用な事をいうと思っていたが、いつしか自分が言うようになっていたの意。 ■うたての翁 自嘲めいた嫌味でねちねちと相手を追い込む。 ■書かせたてまつり 女三の宮が余計なことを書いて、朱雀院からの非難を受けることを未然に避けようという意図もあるだろう。 ■かのこまかなりし… ■柏木から女三の宮への、こまごました情をこめた文。 ■いと憎ければ 柏木への怒りと嫉妬がこみ上げてくる。 ■よろづのあはれ 前に「我もうち泣」いた、女三の宮への同情の念。 ■参りたまはむこと 賀を催すため朱雀院に参上すること。 ■二の宮 女二の宮。落葉の宮。柏木の正室。女三の宮の義姉。 ■古めかしき御身ざま 懐妊中の女三の宮の姿をいうか。 ■みつがらの忌月 源氏と朱雀院にとって父桐壺院の忌月。 ■この御姿 女三の宮の身重な姿。 ■さりとて 「見苦し」いとはいえ。 ■さすがに いくら女三の宮が憎いといっても。 ■何ざまの事にも 前の柏木の心語にも「年ごろ、まめ事にもあだ事にも召しまつはし、参り馴れつるものを」(【若菜下 33】)とあった。 ■人、あやしと思ふらんと思せど 前に柏木も「ほのめき参らざらむも人目あやしく…」(【同上】)と思っていた。 ■いとどほれぼれしき方 妻を寝取られた老人のぶざまさ。 ■わが心もただならずや いざ柏木を目の前にしたら冷静ではいられないだろうという気持ち。 ■参りたまはぬ 柏木が六条院に。 ■なほ例ならず悩みわたりて 前の「なほ悩ましく、例ならず病づきてのみ過ぐしたまふ」(【若菜下 36】)と照応。 ■御遊びなどなき年 紫の上の発病、女三の宮の懐妊などのため。 ■わが気色とりしこと 七年前の春の蹴鞠の会で、柏木が女三の宮の姿を垣間見たこと(【若菜上 37】)。 ■定かに残りなきさまならむとは 密通までしてしまっているとは。

朗読・解説:左大臣光永