【鈴虫 03】御方々からの布施、豪奢を極める

例の、親王《みこ》たちなどもいとあまた参りたまへり。御|方々《かたがた》より、我も我もといどみ出でたまへる捧物《ほうもち》のありさま、心ことにところせきまで見ゆ。七僧《しちそう》の法服《ほふぶく》など、すべておほかたのことどもは、みな紫の上せさせたまへり。綾《あや》の装《よそ》ひにて、袈裟《けさ》の縫目《ぬひめ》まで、見知る人は世になべてならずとめでけりとや、むつかしうこまかなることどもかな。講師《かうじ》のいと尊く事の心を申して、この世にすぐれたまへる盛りを厭《いと》ひ離れたまひて、長き世々に絶ゆまじき御契りを法華経《ほけきやう》に結びたまふ尊く深きさまをあらはして、ただ今の世に才《ざえ》もすぐれ、ゆたけきさきらを、いとど心して言ひつづけたる、いと尊ければ、皆人《みなひと》しほたれたまふ。

これは、ただ忍びて御|念誦堂《ねんずだう》のはじめと思したることなれど、内裏《うち》にも、山の帝も聞こしめして、みな御使どもあり。御|誦経《ずきやう》の布施《ふせ》など、いとところせきまでにはかになむ事広ごりける。院に設《まう》けさせたまへりけることどもも、殺《そ》ぐと思ししかど世の常ならざりけるを、まいていまめかしきことどもの加はりたれば、夕《ゆうべ》の寺におき所なげなるまで、ところせき勢《いきほ》ひになりてなん僧どもは帰りける。

現代語訳

いつものように、親王たちなども実に多く参られる。六条院の御方々より、我も我もと競い合うように贈ってこられる捧げ物のようすは、趣向がこらしてあって、置き場所もないように見える。七僧の法服など、すべて大体のことは、みな紫の上が準備をおさせになった。その法服は綾の衣服で、袈裟の縫い目まで、見識のある人は世間並のものではないといって愛玩したとか。いちいち書くのはうるさくて、細かすぎる事である。講師がまことに尊く法会の趣旨を申して、宮(女三の宮)が、この世の類まれでいらっしゃる栄華を嫌ってそこからお離れになって、長い後々の世まで絶えることのない御契りを法華経に結ばれることの尊く深いようすを言いあらわして、この講師は、当代の世において才覚すぐれ、弁舌さわやかな者だが、その講師が、いよいよ心をこめて言い続けているのが、まことに尊いようすなので、皆涙をお流しになる。

この御供養は、ただ身内だけで御念誦堂を営まれる手始めにとお思い立たれた事であるが、帝も、山の帝(朱雀院)もお耳にされて、それぞれ御使どもをお遣わしになった。それで御誦経の布施など、まことにあふれかえるほど、急に事が広がってしまったのだ。院(源氏)がご準備なさっていた数々の事も、簡略にとはお考えであったが、それでも世に類ない立派な法事であった上に、それに加えて、華やかな事がたくさん加わったので、夕方、寺に帰っても置き所に困るほど、あふれかえるようなお布施をいただいて、僧たちは帰っていくのだった。

語句

■御方々 六条院の御方々。紫の上、明石の上、花散里ら。 ■捧物 仏前に供える物。 ■七僧 奉仕に当たる僧。講師、読師(経文などを読む)、三礼師(さんらいし。読経のはじめに三度礼拝する)、唄師(ばいし。経文や偈頌を唱詠する)、散華師(さんげし。花を散布して仏を供養する)、堂達師(どうだつし。導師・呪願師に経文・祈願文を伝達する)の七僧。 ■事の心 法会の趣旨。 ■この世にすぐれたまへるさかりを厭ひ離れ… 厭離穢土、欣求浄土の心。 ■長き世世 源氏と女三の宮のこと。 ■法華経に結びたまふ 「これをだにこの世の結縁にて、…願文に作らせたまへり」(【鈴虫 01】)とあった。 ■ただ今の世に才もすぐれ、ゆたけきさきらを この部分、講師の説明。「さき(先)ら」は才気が表にあらわれたもの。とくに弁舌さわやかなこと。 ■これ 女三の宮の念持仏の開眼供養。 ■内裏 今上帝。女三の宮の兄。 ■殺ぐと 簡略にしようと。 ■いまめかしき布施ども 今上帝や朱雀院からの布施をいう。

朗読・解説:左大臣光永