【夕霧 13】御息所、死去 落葉の宮、嘆いて死を願う

かく騒ぐほどに、大将殿より御文取り入れたるほのかに聞きたまひて、今宵《こよひ》もおはすまじきなめり、とうち聞きたまふ。「心憂く。世の例《ためし》にも引かれたまふべきなめり。何に我さへさる言の葉を残しけむ」とさまざま思し出づるに、やがて絶え入りたまひぬ。あへなくいみじ、と言へばおろかなり。昔より物の怪には、時々わづらひたまふ。限りと見ゆるをりをりもあれば、例のごと取り入れたるなめり、とて加持《かぢ》まゐり騒げど、いまはのさましるかりけり。

宮は後《おく》れじと思し入りて、つと添ひ臥したまへり。人々参りて、「今は言ふかひなし。いとかう思すとも、限りある道は帰りおはすべきことにもあらず。慕ひきこえたまふとも、いかでか御心にはかなふべき」と、さらなることわりを聞こえて、「いとゆゆしう。亡き御ためにも罪深きわざなり。今は避らせたまへ」と、引き動かいたてまつれど、すくみたるやうにて、ものもおぼえたまはず。修法《ずほふ》の壇《だん》こぼちてほろほろと出づるに、さるべきかぎりかたへこそ立ちとまれ、今は限りのさまいと悲しう心細し。

現代語訳

こうして騒いでいる間に、御息所は、大将殿(夕霧)からお手紙を受け取ったことをちょっとお耳にされて、今宵もおいでにならないらしいとお聞きになる。「残念なこと。皇女でありながら一晩で捨てられたことの世の例として語り草となられるでしょう。どうして私までもあのような歌を送って話の種を残したのだろう」とさまざまお思い出されて、そのまますぐに息が絶えてしまわれた。あっけないとか悲しいとか、と言うのもおろかなことである。昔から御息所は、物の怪には、時々おわずらいになられた。もはやこれまでと見える折々もあったので、いつものように物の怪が御息所を取り込んでようだ、といって加持を行って騒ぐが、今回は、これが最期というさまが、はっきりわかるのだった。

宮(落葉の宮)は御息所に死に遅れまいと思い詰めて、ぴったりと寄り添って横になっていらっしゃる。女房たちが参って、(女房)「今は言っても致し方ございません。実際こうお思いになられるとしても、限りあるお命ですから帰ってこられるはずもございません。お慕い申し上げなさるといっても、どうしてそのお気持ちがかないましょうか」と、言わずもがなの道理を申し上げて、(女房)「ひどく縁起でもないことです。亡き御息所の御ためにも罪深いことです。今はお部屋にお退がりください」と、引き動かし申し上げるが、宮はすくみあがったようで、呆然としていらっしゃる。修法の壇を片付けて法師たちがわらわらと出てきて、葬儀を執り行うべき人々は残っているが、今はこれまでといった様子がひどく悲しく心細い。

語句

■世の例 皇女でありながら一晩で捨てられた例。 ■さる言の葉 「女郎花しをるる野辺を」の手紙。こちらから結婚を誘いかけた形になっているのが恥である。 ■絶え入りたまひぬ 息が絶えても祈祷によって蘇生する場合がある(【若菜下 28】)。 ■取り入れたる 物の怪が御息所の魂を奪って乗っ取ったこと。 ■さらなることわり 言わなくてもわかりきったことをわざわざ言う。 ■亡き御ため 涙は死者が成仏するさまたげになるので罪作りであるとする。 ■避らせたまへ 落葉の宮の居室に。母屋の西側にある。 ■さるべきかぎりかたへ 葬儀の準備に当たる者だけは残るが、あとは大半引き上げてしまう。

朗読・解説:左大臣光永