【若菜下 28】紫の上危篤 六条御息所の死霊あらわる

大殿《おとど》の君は、まれまれ渡りたまひて、えふともたち帰りたまはず、静心《しづごころ》なく思さるるに、「絶え入りたまひぬ」とて人参りたれば、さらに何ごとも思し分かれず、御心もくれて渡りたまふ。道のほどの心もとなきに、げにかの院は、ほとりの大路《おほぢ》まで人たち騒ぎたり。殿《との》の内《うち》泣きののしるけはひいとまがまがし。我にもあらで入りたまへれば、「日ごろはいささか隙《ひま》見えたまへるを、にはかになむかくおはします」とて、さぶらふかぎりは、我も後《おく》れたてまつらじとまどふさまども限りなし。御修法《みずほふ》どもの壇《だん》こぼち、僧なども、さるべきかぎりこそまかでね、ほろほろと騒ぐを見たまふに、さらば限りにこそはと思しはつるあさましさに、何ごとかはたぐひあらむ。

「さりとも物《もの》の怪《け》のするにこそあらめ。いと、かく、ひたぶるにな騒ぎそ」としづめたまひて、いよいよいみじき願《ぐわん》どもを立て添へさせたまふ。すぐれたる験者《げんざ》どものかぎり召し集めて、「限りある御命にてこの世尽きたまひぬとも、ただ、いましばしのどめたまへ。不動尊《ふどうそん》の御|本《もと》の誓ひあり。その日数《ひかず》をだにかけとどめたてまつりたまへ」と、頭《かしら》よりまことに黒煙《くろけぶり》をたてて、いみじき心を起こして加持《かぢ》したてまつる。院も、「ただ、いま一《ひと》たび目を見あはせたまへ、いとあへなく限りなりつらんほどをだにえ見ずなりにけることの悔《くや》しく悲しきを」と思しまどへるさま、とまりたまふべきにもあらぬを見たてまつる心地ども、ただ推《お》しはかるべし。いみじき御心の中《うち》を仏も見たてまつりたまふにや、月ごろさらにあらはれ出で来《こ》ぬ物の怪、小さき童に移りて呼ばひののしるほどに、やうやう生き出でたまふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる。

いみじく調《てう》ぜられて、「人はみな去りね。院|一《ひと》ところの御耳に聞こえむ。おのれを、月ごろ、調じわびさせたまふが情《なさけ》なくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命もたふまじく身をくだきて思しまどふを見たてまつれば、今こそ、かくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそかくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさでつひに現はれぬること。さらに知られじ、と思ひつるものを」とて、髪を振りかけて泣くけはひ、ただ、昔見たまひし物の怪のさまと見えたり。あさましくむくつけしと思ししみにしことの変らぬもゆゆしければ、この童《わらは》の手をとらへてひき据《す》ゑて、さまあしくもせさせたまはず。「まことにその人か。よからぬ狐などいふなるもののたぶれたるが、亡き人の面伏《おもてぶ》せなること言ひ出づるもあなるを、たしかなる名のりせよ。また、人の知らざらんことの、心にしるく思ひ出でられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」とのたまへば、ほろほろといたく泣きて、

「わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり

いとつらし、つらし」と泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ変らず、なかなかいとうとましく心うければ、もの言はせじ、と思す。

「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔《あまかけ》りても見たてまつれど、道|異《こと》になりぬれば、子の上までも深くおぼえぬにやあらん、なほみづからつらしと思ひきこえし心の執《しふ》なむとまるものなりける。その中にも、生きての世に、人よりおとして思し棄てしよりも、思ふどちの御物語のついでに、心よからず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いとうらめしく。今はただ亡きに思しゆるして、他人《ことひと》の言ひおとしめむをだに省《はぶ》き隠したまへ、とこそ思へ、とうち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かくところせきなり。この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、まもり強く、いと御あたり遠き心地してえ近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞きはべる。よし、今は、この罪|軽《かろ》むばかりのわざをせさせたまへ。修法《ずほふ》、読経《どきやう》とののしることも、身には苦しくわびしき炎《ほのお》とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。中宮にも、このよしを伝へきこえたまへ。ゆめ御|宮仕《みやづかへ》のほどに、人ときしろひそねむ心つかひたまふな。斎宮《さいぐう》におはしまししころほひの御罪|軽《かろ》むべからむ功徳《くどく》のことを、必ずせさせたまへ。いと悔しきことになむありける」など、言ひつづくれど、物《もの》の怪《け》に対《むか》ひて物語したまはむもかたはらいたければ、封《ふん》じこめて、上《うへ》をば、また他方《ことかた》に忍びて渡したてまつりたまふ。

現代語訳

大殿の君(源氏)は、まれに宮(女三の宮)のもとにおいでにならなれたので、すぐにはお帰りになることもおできにならず、落ち着かないお気持ちでいらっしゃると、「お亡くなりになられました」といって人が参ったので、まったく前後不覚になられて、御心もふさぎこんで、二条院にお戻りになられる。道中も気がせかれていると、なるほど、その二条院は、そばの大路まで人が出て騒いでいる。

御殿の内で泣き騒ぐようすはひどく忌まわしい感じがする。茫然自失のていでお入りになられると、「ここ数日はすこし病状が軽くなられる時もございましたが、急にこのようになられて」といって、お仕えしている女房たちが、自分も後れ申し上げまいと、言いようもない騒ぎである。数々の御修法を行った壇を片付けて、僧なども、しかるべき常勤の僧どもだけは残るが、他はざわざわと騒いで帰っていくのを御覧になられるにつけ、それならば本当にご臨終なのだと、ご落胆になられる。その茫然自失のお気持ちを、何にたとえられよう。

(源氏)「そうはいっても、物の怪のしわざでもあろう。こんなにひどく、むやみに騒ぐものではない」とお鎮めになられて、いよいよ熱心に多くの願立てをお加えになられる。霊験あらたかな修験者たちだけを召し集めて、「限りある御命でご寿命がお尽きになられるとしても、ただ、もう少しだけ、ご寿命をお伸ばしください。不動尊の御本の誓いというものがあることです。せめてそれだけの日数を、この世にお引きとどめ申してください」と、頭から本当に黒煙を立てて、並々でない心を起こして加持し申し上げる。院(源氏)も、「もう一度だけ、私と目をお合わになってください。ひどくあっけなく命の限りとなってしまう、その時をさえも見ることができずに終わってしまうことは、悔しく悲しいのですから」とお気持ちが混乱していらっしゃるさま、もし上(紫の上)がこのまま亡くなったら、院(源氏)も俗世を捨ててご出家なさるだろうと拝見する周囲の人たちの気持ちは、そのまま推し量ることができようものである。熱心な御心の中を仏も御覧になられるのだろうか、数ヶ月の間まったく姿を見せなかった物の怪が、小さい童に取り憑いて、呼びさわいでいる内に、上(紫の上)は次第に息を吹き返しなさるが、院(源氏)はそれをうれしくも、また不吉にも思って、お心が乱れるのである。

物の怪は見事に調伏されて、(物の怪)「ほかの人は皆去れ。院(源氏)お一人の御耳にお入れしよう。私を、何ヶ月も調伏してこらしめなさるのが情けなくつらいので、同じようにこの人(紫の上)に思い知らせてさしあげようと思ったが、そうはいっても院(源氏)が、命も絶えんばかりに身をくだいて御心をつくしていらっしゃるのを拝見すれば、今でこそ、このようなおぞましい姿をしているが、昔の心が残っているからこそ、こうまでして参ったのだから、院の御心苦しさを見棄てることができずに、ついに姿を現わしてしまったのだ。一切知られるまいと思っていたのに」といって、髪を振り乱して泣くようすは、まさに、昔御覧になった物の怪そのものと見える。茫然として、不気味であると、あの時心底思ったようすの、昔のままなのも不吉であるので、院(源氏)は、この童の手をとらえて引きすえ、悪いようにもおさせにならない。(源氏)「ほんとうにその人か。よからぬ狐などいうので、気の狂ったのが、亡き人の不名誉になることを言い出すこともあるというが、たしかな名乗りをせよ。また、他の人が知らないことで、私の心にはっきり思い出されるようなことを言え。そうすれば、少しは信じるだろう」とおっしゃると、ほろほろとたいそう泣いて、

(物の怪)「わが身こそ…

(私の身は昔とまったく違うふうに成り果てたのに、昔の姿のままにそらとぼけていらっしゃるの貴方は、昔のままの貴方です)

ああつらい。つらい」と泣き叫ぶのであるが、そのくせ何となく恥ずかしそうにしているようすは昔と変わらず、それがかえってひどく疎ましく残念なので、院(源氏)は、これ以上ものを言わせまいとお思いになる。

(物の怪)「中宮(秋好中宮)の御ことにしても、とてもうれしく畏れ多いこととは、空をさまよいながらも拝見しましたが、住む世界が異なってしまいましたので、子の身の上までも深く思わないのでしょうか、やはり自分自身が恨めしいと思い申し上げた心の執着がとどまっていることでしたよ。その中にも、私が生きていた時、人よりも私を劣るものとしてお見捨てになられたことよりも、いっそうお親しい方とのお語らいのついでに、私のことを不愉快な、嫌な女であったとお話に出されたことが、ひどく恨めしくて。今はただ私を亡き者としてお許しになって、他の人が私を悪く言うときさえ、打ち消してかばっていただきたいのに、そう恨めしく思っていたからこそ、このように物の怪としてあさましい身のようすとなったので、こうして大変なことになったのです。この人(紫の上)を、深く憎いと思い申し上げることはなかったのですが、貴方は仏神の御加護が強くて、貴方の御あたりがたいそう遠く触れるている気がして、近くに参ることもできず、御声だけをほんの少しだけ聞いております。さあ、今となっては、私のこの罪を軽くするほどの仏事でもなさってください。修法読経と大騒ぎすることも、私の身には苦しくつらい炎としてまつわりつくばかりで、すこしも尊いことにも思えませんので、ひどく悲しいことで。中宮(秋好中宮)にも、このことをお伝え申し上げてくださいまし。けして宮仕えの時に、人と帝の寵愛を競い合って妬む心をお持ちになられますな。斎宮でいらっしゃった頃の御罪を軽くするような功徳を、必ずお積みになってください。ひどく悔やまれることでありましたよ」など、言い続けるが、院(源氏)は、物の怪と向かい合ってお話しなさることも居心地が悪かったので、物の怪を閉じ込めて、上(紫の上)を、また別の部屋にそっとお移し申し上げなさる。

語句

■えふともたちか帰りたまはず 源氏は女三の宮の不調が、自分の訪れが少ないためだと思っている。だから容易には立ち去れない。 ■心もとなき はやく二条院につかないかと気がせく。 ■ほとりの大路まで人たち騒ぎ 紫の上の死が早くも周囲に知れて、人が集まっている。 ■御修法どもの壇こぼち 紫の上がなくなったのでもはや修法を行う必要がなくなった。 ■さるべきかぎり 宿直として残るような僧。 ■思しはつる 落胆する。 ■さりとも 死んだように見えても物の怪が悪さをしているだけだろう、物の怪の害を取り払えば生き返るのではないかという気持ち。 ■不動尊の御本の誓ひ 不動尊の本願。『河海抄』は『不動儀軌』の「定業モ亦能ク転ジ、正報尽クル者モ能ク六月ヲ延バス」を引くとする。 ■頭よりまことに黒煙をたてて 不動尊のように。 ■とまりたまふべきにもあらぬ 前に、紫の上が亡くなったら源氏は出家するだろうことが、夕霧によって想像されていた(【若菜下 24】)。 ■月ごろ 紫の上は一月下旬に発病。それから約三ヶ月間。 ■童 物の怪を取り憑かせるための憑坐《よりまし》。 ■やうやう生き出でたまふに 物の怪が出ていったので紫の上は息を吹き返す。 ■月ごろ 葵の上の病床に現れた物の怪も「身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ」(【葵 14】)と言った。 ■さすがに命もたふまじく 源氏が熱心に紫の上の看病をしているのを見て同情をそそられた。 ■今こそ 調伏された今は。 ■いにしへの心 人間であった時の心。 ■ものの心苦しさ 源氏が紫の上の病で心を砕いているようす。 ■髪を振りかけて泣く 六条御息所の死霊が憑坐にとりついてしている動作。 ■昔見たまひし 葵の上の病床に六条御息所の生霊があらわれて取り殺した件(【同上】)。 ■あさましくむくつけし 葵の上が六条御息所の生霊に取り殺された時も、源氏は「あさましとは世の常なり」と思った(【同上】)。 ■ゆゆしければ 葵の上が取り殺された時のことを思い出すので。 ■たぶれたる 「たぶる」は気が狂う。心が乱れる。 ■人の知らざらむこと 二人だけが知っている秘事。 ■わが身こそ… わが身こそは昔とすっかり違う姿になりはてているが、君は昔のままの御身なので、私のことはよくおわかりでしょうに、どうして空とぼけていらっしゃるかと、咎めている歌。 ■もの恥ぢしたる 六条御息所特有の奥ゆかしさ。 ■なかなかいとうとましく 奥ゆかしさという美徳が、かえってこの死霊が御息所その人であることをはっきり示していて、それが不気味である。 ■もの言はせじ 六条御息所はとにかく話が長い。源氏もうんざりしているのか喋らせまいとするが、それをさえぎって、御息所は喋りだしてしまう(あーあ…)。 ■中宮の御こと 源氏は紫の上に、御息所への罪滅ぼしとして中宮を養育したことを話していた(【若菜下 23】)。 ■天翔りても 霊魂となって宙をさまようこと。 ■道異になりぬれば 生者の世界と死者の世界と隔たってしまったので。 ■人よりおとして 「人」は葵の上を想定。 ■思ふどち 源氏は前に紫の上に語って、六条御息所の悪口を言った(【若菜下 23】)。ちらりと話に出たことを御息所の死霊は聞き逃さなかったのである。この執念深さよ。 ■心よからず 源氏は御息所を「人見えにくく、苦しかりしさまになんありし」と評した(【同上】)。 ■いみじき身のけはひ 物の怪となったことをいう。 ■まもり強く 源氏を深く恨んでいるが、仏神の加護が強くて手が出せないのでかわりに紫の上を襲撃したという話。 ■この罪 現世に執着して成仏できずにいること。 ■炎 責めさいなむもの。 ■きしろひそねむ 帝の寵愛を他人と競い合って妬んだりすること。 ■御罪 斎宮として神に仕えたことが仏教の視点からいうと罪に当たる。 ■

朗読・解説:左大臣光永