【夕霧 19】夕霧、小野の里から一条邸を経て帰邸 雲居雁の嘆き
道すがらも、あはれなる空をながめて、十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば、小倉《をぐら》の山もたどるまじうおはするに、一条宮は道なりけり。いとどうちあばれて、未申《ひつじさる》の方の崩《くづ》れたるを見入るれば、はるばるとおろしこめて、人影も見えず、月のみ遣水《やりみず》の面《おもて》をあらはにすみましたるに、大納言ここにて遊びなどしたまうしをりをりを、思ひ出でたまふ。
見し人のかげすみはてぬ池水にひとり宿もる秋の夜の月
と独りごちつつ、殿におはしても、月を見つつ、心は空にあくがれたまへり。「さも見苦しう。あらざりし御癖かな」と、御達《ごたち》も憎みあへり。
上《うへ》はまめやかに心憂く、「あくがれたちぬる御心なめり。もとよりさる方にならひたまへる六条院の人々を、ともすればめでたき例《ためし》にひき出でつつ、心よからずあいだちなきものに思ひたまへる、わりなしや、我も、昔よりしかならひなましかば、人目も馴れてなかなか過ぐしてまし。世の例《ためし》にもしつべき御心ばへと、親はらからよりはじめたてまつり、めやすきあえものにしたまへるを、ありありては末に恥ぢがましき事やあらむ」など、いといたう嘆いたまへり。
現代語訳
大将(夕霧)は、帰りの道すがらも、しみじみと胸にしみる空をながめて、九月十三日の月がまことに美しくさし出ていたので、小暗き小倉山も難なく通り過ぎて戻っていらっしゃると、一条宮は道中なのであった。以前よりいっそうがらんとして、未申(西南)の築地が崩れているところから中をご覧になると、はるか一面に半蔀を下ろして、人影も見えず、月だけが遣水の水面をはっきりと、より澄んだものに見せているのを、大納言(柏木)がここで管弦の遊びなどをなさった折々を、大将はお思い出しになる。
(夕霧)見し人の……
(かつて見た人(柏木)の姿が今は映っていない池水に、今はひとり秋の夜の月だけが、影を宿して宿を守っていることだ)
と独り言をおっしゃりつつ、自邸に戻られても、月を見ては、心はぼんやりとしていらっしゃる。(女房)「あのように見苦しくされて。これまではこんな御癖はなかったのに」と、女房たちも批判しあっている。
北の方(雲居雁)は心底情けないお気持ちで、「男君(夕霧)は上の空でいらっしゃるらしい。もともとそのような色めいた方面に慣れていらしゃる六条院の御方々を、どうかするとよい例として話に出しては、私のことを、気に入らず、奥ゆかしくないものと思っていらっしゃるが、それは無理なこと。私だって、昔からそういう暮らしに馴れていたなら、人もそれを普通に思い、私としてもかえって平気で過ごせるだろう。一人の夫が一人の妻を大切にしている例として、世間の語り草となるような君(夕霧)の御気持ちであると、親兄弟からはじまり、私の立場を、けっこうなあやかり者とみなしていらっしゃるのに、挙句の果てには、ついにこういう事が起こって、みっともない事にでもなるのだろうか」など、まことにひどくお嘆きになっていらっしゃる。
語句
■十三日 九月十三夜は八月十五夜に次ぐ名月。前に「九月十余日」とあった(【夕霧 18】)。 ■小倉山 京都市右京区。大堰川の北岸にある山。ここでは実際に小倉山を通ったのではなく「小暗き」にかけた洒落。 ■たどるまじう 「たどる」は手探りで進む。そういったことはなく、難なく進めたというのである。 ■一条宮 落葉の宮の本邸。 ■いとどうちあばれて 柏木の死後から荒れてきたが、御息所が小野に移ってからいっそう荒れてきた。 ■あばれて 「あばる」は荒廃すること。 ■おろしこめて 格子を一面におろして。 ■すみましたるに 「すみ」に「澄み」と「住み」をかける。 ■見し人の… 「見し人」は柏木や御息所。「影」は月影に人影をかける。「すみ」は「住み」と「澄み」を、「もる」は「守る」と「漏る」をかける。「かげ」「すみ」は「月」「池水」の縁語。「なき人の影だに見えぬ遣水の底に涙を流してぞ来し」(後撰・哀傷 伊勢)。 ■殿 夕霧の自邸。三条邸。 ■心は空に 「月」の縁で「空」といった。 ■あくがれたちぬる 雲居雁は夕霧が落葉の宮にうつつを抜かしているらしいことを認識した。 ■さる方 色めいたことが日常的に行われている環境。 ■あいだちなき 「あいだちなし」は奥ゆかしさがない。 ■しかならひなましかば 六条院のように色めいたことが日常的な環境に身を置いていたら。 ■人目も馴れて 世間もそういう目で見るから少々のことでは非難しないだろうの意。 ■なかなか過ぐしてまし たとえば愛人を迎えるようなことを、抵抗なく受け入れられるだろうの意。 ■世の例にもしつべき御心ばへと… 夕霧が雲居雁一人を大切にしてきたことは世の男性の模範として語られ、雲居雁の幸福ぶりもすばらしいこととされてきたの意。