【夕霧 20】夕霧、落葉の宮に文 小少将、返事に宮の歌を入れる

夜明け方近く、かたみにうち出でたまふことなくて、背《そむ》き背きに嘆き明かして、朝霧の晴れ間も待たず、例の、文をぞ急ぎ書きたまふ。いと心づきなしと思せど、ありしやうにも奪《ば》ひたまはず。いとこまやかに書きて、うち置きてうそぶきたまふ。忍びたまへど、漏《も》りて聞きつけらる。

「いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと

上《うへ》より落つる」とや書いたまへらむ、おし包みて、なごりも、「いかでよからむ」など口ずさびたまへり。人召して賜ひつ。「御返り事をだに見つけてしがな。なほいかなることぞ」と気色見まほしう思す。

日たけてぞ持《も》て参れる。紫の濃《こまや》かなる紙すくよかにて、小少将ぞ、例の、聞こえたる。ただ同じさまに、かひなきよしを書きて、「いとほしさに、かのありつる御文に、手習《てならひ》すさびたまへるを盗みたる」とて、中にひき破《や》りて入れたり。目には見たまうてけり、と思すばかりのうれしさぞ、いと人わろかりける。そこはかとなく書きたまへるを、見つづけたまへれば、

朝夕になく音《ね》をたつる小野山《をのやま》は絶えぬ涙や音《おと》なしの滝

とや、とりなすべからむ。古言《ふること》など、もの思はしげに書き乱りたまへる、御手なども見どころあり。「人の上《うへ》などにて、かやうのすき心思ひ焦《い》らるるは、もどかしう、うつし心ならぬことに見聞きしかど、身の事にては、げにいとたへがたかるべきわざなりけり。あやしや。などかうしも思ふべき心|焦《い》られぞ」と思ひ返したまへど、えしもかなはず。

現代語訳

夜明け方近く、男君(夕霧)と女君(雲居雁)は、お互いに何もおっしゃらず、背を向けあったまま夜を嘆き明かして、男君(夕霧)は朝霧の晴れ間も待たず、いつものように、手紙を急いでお書きになる。北の方はまことに気に食わないとお思いになるが、昨日のように手紙を奪ったりはなさらない。実にこまごまと書いて、筆を置いて、詩歌を口ずさんでいらっしゃる。声をひそめてはいらっしゃるが、漏れてお耳に入るのである。

(夕霧)「いつとかは……

(『明けぬ夜の夢さめて』とか貴女がおっしゃった一言をあてにしております。いつお伺いいたらよろしいのでしょうか)

上より落つる」とでもお書きになられたのだろうか、それを紙に包んで、その後も、「いかでよからむ」などと口ずさんでいらっしゃった。人を召してお手紙をお与えになった。北の方(雲居雁)は「せめてあちらのご返事だけでも知りたいものだ。やはりどうなっているのか気になる」と様子を見たいとお思いになる。

日が高くなって、使者が、小野の里からご返事を持って参った。紫の色濃い紙をそっけなく整えて、小少将が、いつもどおり、返事をよこしてきた。ただ同じように、成果がなかったということを書いて、(小少将)「お気の毒ですので、あの以前のお手紙に、宮が思いにまかせて走り書きなさったものを盗みました」といって、中にその紙をひき破って入れてある。少なくともこちらの手紙を御覧にはなったのだと、お思いになるだけでも嬉しいとは、ひどくみっともないことではある。何ということもなく書いていらっしゃるのを、つなぎあわせて御覧になると、

(落葉の宮)朝夕に……

(朝に夕に私は小野山のほとりで声を上げて泣いているが、その涙が音無の滝になったのだろうか)

と、散らし書きにしてあるのを歌の形に整えて読むのだろう。この歌以外にも古い歌などを、もの思わしげに書き散らしていらっしゃる、そのご手跡なども見どころがある。(夕霧)「他人の身の上などとして、このような好き心に思いを焦がしてのは、もどかしく、正気でないように見聞きしていたが、わが身にふりかかってみると、なるほどひどく耐えがたいことなのだろうよ。妙なことだ。どうしてこうまで心を掻き立てられて物思いを尽くさねばならないのか」とお思い返しになるが、どうにもならない。

語句

■朝霧の晴れ間も待たず 朝霧が晴れないのは夕霧と雲居雁それぞれの苦悩を暗示する。 ■奪ひ 「奪(ば)ひ」は「奪(うば)ひ」の約。 ■うそぶきたまふ 「うそぶく」は詩歌などを口ずさむ。 ■いつとかは… 落葉の宮の返事に「今は、かくあさましき夢の世を、…」(【夕霧 18】)とあったのを受けるる。「おどろかす」は「夢」の縁語。 ■上より落つる 古注は「いかにしていかによからむ小野山の上より落つる音なしの滝」を引歌として挙げるが出典不明。 ■とや書いたまへらむ 語り手の言葉。はっきりしたことはわからないが、そのようなことを書いたのだろうの意。 ■いかでよからむ 「いかにていかによからむ」の引歌か。 ■なほいかなることぞ 雲居雁は夕霧と落葉の宮の関係を疑っているが、まだはっきりと確証がつかめない。 ■かひなきよし 落葉の宮からの返事はなかったということ。 ■かのありつる御文 夕霧が前に落葉の宮に送った手紙。 ■手習 思いのままに自作や古い歌などを書きつけたもの。 ■中に 小少々から夕霧に当てた手紙の中に。 ■ひき破りて 夕霧の手紙の中に落葉の宮が書いた部分を破って。 ■見つづけたまへれば 二三字ずつ散らし書きにしてあるのを歌としてつなぎあわせて読む。 ■朝夕に… 「恋ひわびぬねをだに泣かむ声たてていづこなるらむ音なしの滝」(拾遺・恋二 読人しらず)。音無の滝は京都市左京区大原勝林院町にある滝。 ■とりなす 落葉の宮の書き散らしてある文を歌の形に整えて読む。 ■古言 「朝夕に」の歌以外の古歌など。 ■人の上などにて 夕霧は、かつて柏木が女三の宮に恋したのを非難した(【柏木 09】)。

朗読・解説:左大臣光永