【夕霧 21】源氏、夕霧と落葉の宮の件を聞き、心を痛める 紫の上、女の生き方について思う
六条院にも聞こしめして、いとおとなしうよろづを思ひしづめ、人の譏《そし》りどころなく、めやすくて過ぐしたまふを、面だたしう、わがいにしへ、すこしあざればみ、あだなる名をとりたまうし面起《おもてお》こしに、うれしう思しわたるを、「いとほしう、いづ方にも心苦しきことのあるべきこと。さし離れたる仲らひにてだにあらで、大臣《おとど》などもいかに思ひたまはむ。さばかりの事たどらぬにはあらじ。宿世《すくせ》といふもののがれわびぬることなり。ともかくも口入るべきことならず」と思す。女のためのみにこそいづ方にもいとほしけれ、とあいなく聞こしめし嘆く。紫の上にも、来し方行く先のこと思し出でつつ、かうやうの例《ためし》を聞くにつけても、亡《な》からむ後《のち》、うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば、御顔うち赤めて、「心憂く。さまで後《おく》らかしたまふべきにや」と思したり。「女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、をりをかしきことをも見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、何につけてか、世に経るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、生《お》ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや。心にのみ籠《こ》めて、無言太子《むごんたいし》とか、小法師《こぼふし》ばらの悲しきことにする昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながら埋《うづ》もれなむも、言ふかひなし。わが心ながらも、よきほどにはいかでたもつべきぞ」と思しめぐらすも、今は、ただ女一の宮の御ためなり。
現代語訳
六条院(源氏)も事の次第をお耳にされて、大将はまことに大人びて万事を落ち着いて考え、人に非難のされようがなく、無難に過ごしていらっしゃっるのを、誇らしく、自分の昔を思えば、少し戯れが過ぎて、浮気男の名をはくしておられたことの名誉挽回とばかりに、ずっと嬉しくお思いになっていらしたのに、「気の毒に。双方にとって心苦しいことがあるにちがいない。赤の他人でもないのだから、致仕の大臣などもどれほど御心を痛めていらっしゃるだろう。それくらいのことは考えてわからぬでもあるまい。運命というものの逃れがたいことよ。とにもかくにも私が口出しすべことではない」とお思いになる。ただ女の身に限っていえば、どちらにもお気の毒なことだと、院(源氏)は、具合が悪いこととしてこの事をお耳にされてお嘆きになる。紫の上に対しても、来し方行く先のことをお考えになっては、「こういった女の不幸の例を聞くにつけても、ご自分が亡くなった後が案じられる」というようなことをおっしゃる。すると上(紫の上)は御顔を赤らめて、「憂鬱なこと。そうまで私を残して先立たれたいのだろうか」とお思いになる。「女ほど、身を処すことも窮屈で、痛ましいものがあろうか。もののあはれや、季節の風情なども見知らぬようすでひっそりと家の中に引きこもっているのでは、何につけて、この世で生きていくことの嬉しさ楽しさを感じ、無常な世の中の所在なさも慰めればいいのだろうか。いったい、ものの心を知らず、お話にならない者の例とされているのでは、育て上げた親も、ひどく残念に思うのではないか。言いたいことは心の中だけにしまいこんで、無言太子とか、小法師どもが悲しいことの例として語る昔のたとえのように、悪い事良い事をわきまえ知りながら引きこもっているのも、はりあいのないことだ。自分の心とはいえ、よい具合に、どうやって保てばいいのか」とあれこれお考えになるのも、今は、ただ女一の宮の御ためである。
語句
■聞こしめして 夕霧と落葉の宮の関係を。 ■面だたしう 「うれしう思しわたる」にかかる。 ■わがいにしへ… 自分の好色に過ぎた若い頃を思うにつけ、夕霧の誠実であることが二代にわたる名誉挽回になる気がしてうれしかったのである。 ■あざればみ 「あざる」は好色なふるまいをすること。 ■いづ方にも 落葉の宮にも、雲居雁にも。 ■さし離れたる仲らひ 致仕の大臣からすると、わが甥で婿である夕霧が、わが娘である雲居雁を裏切り、わが子である柏木の亡妻である落葉の宮に言い寄っている事態。 ■宿世 源氏は、夕霧の今回のふるまいも前世からの定めと見る。 ■いづ方にもいとほしけれ 落葉の宮にとっても、雲居雁にとっても。 ■かうやうの例 女が夫の死後、別の男に迫られて不幸になる例。 ■うしろめたう 源氏は自分の死後、夕霧が紫の上に迫ることを心配し、それを口に出したのだろう。 ■女ばかり… 以下、紫の上の述懐。そのまま作者の述懐でもあろう。 ■世に経るはえばえしさも 下に「おぼえ」「知り」などを補い読む。 ■無言太子 波羅奈国王の太子として生まれ、過去・現在・未来のことを熟知していたので十三年間無言でいたという。『太子休魄経』『無言太子経』『仏説太子慕魄経』などに見える。 ■言ふかひなし はりあいがない。 ■よきほど 心を中庸にたもつこと。 ■女一の宮 今上帝の長女。母は明石の女御。紫の上がとりわけ養育している(【若菜下 11】)。