【夕霧 22】源氏、夕霧に御息所について探りを入れる

大将の君参りたまへるついでありて、思《おも》たまへらむ気色もゆかしければ、「御息所《みやすどころ》の忌《いみ》はてぬらんな。昨日今日《きのふけふ》と思ふほどに、三年《みとせ》よりあなたの事になる世にこそあれ。あはれにあぢきなしや。夕《ゆふべ》の露かかるほどのむさぼりよ。いかでこの髪|剃《そ》りて、よろづ背《そむ》き棄《す》てんと思ふを、さものどやかなるやうにても過ぐすかな。いと悪《わろ》きわざなりや」とのたまふ。「まことに、惜しげなき人だにおのがじしは離れがたく思ふ世にこそはべめれ」など聞こえて、「御息所の四十九日のわざなど、大和守なにがしの朝臣独《あそむひと》り扱ひはべる、いとあはれなるわざなりや。はかばかしきよすがなき人は、生ける世の限りにて、かかる世のはてこそ悲しうはべりけれ」と聞こえたまふ。「院よりもとぶらはせたまふらん。かの皇女《みこ》いかに思ひ嘆きたまふらん。はやう聞きしよりは、この近き年ごろ、事にふれて聞き見るに、この更衣《かうい》こそ、口惜しからずめやすき人の中《うち》なりけれ。おほかたの世につけて、惜しきわざなりや。さてもありぬべき人のかう亡《う》せゆくよ。院もいみじう驚き思したりけり。かの皇女《みこ》こそは、ここにものしたまふ入道の宮よりさしつぎには、らうたうしたまひけれ。人ざまもよくおはすべし」とのたまふ。「御心はいかがものしたまふらん。御息所はこともなかりし人のけはひ心ばせになむ。親しううちとけたまはざりしかど、はかなき事のついでに、おのづから人の用意はあらはなるものになむはべる」と聞こえたまひて、宮の御事もかけず、いとつれなし。かばかりのすくよけ心に思ひそめてんこと、諌《いさ》めむにかなはじ。用ゐざらむものから、我さかしに言出《ことい》でむもあいなし」と思してやみぬ。

現代語訳

大将の君(夕霧)が六条院へ参られる機会があって、院(源氏)は、大将(夕霧)がどうお考えなのだろうかということも気になったので、(源氏)「御息所の忌は終わったようですね。昨日今日と思っているうちに、もう柏木が亡くなってから三年も経つのですね。悲しくつまらないことですよ。夕の露がかかるほどのはかない命を貪ってきたことです。どうにかしてこの髪を剃って、万事この世を背き棄てようと思っているのに、いまだにこうしてのんびりと過ごしていることです。ひどく感心しないことです」とおっしゃる。(夕霧)「ほんとうに、世を捨てても惜しくもない人でさえも、それぞれ離れがたく思うのが現世というものなのでしょう」など申し上げて、(夕霧)「御息所の四十九日の法事など、大和守なにがしの朝臣が独りで取り仕切ってございますのが、ひどくおいたわしいことですよ。しっかりした後見のない人は、今生がすべてであって、こうした人生の終わりこそ悲しゅうございます」と申し上げられる。(源氏)「院(朱雀院)からもお見舞いをお遣わしになるだろう。例の皇女(落葉の宮)はどんなにか悲しんでいらっしゃるだろう。ずっと以前に聞いた時よりは、最近は、なにかにつけて聞いたり見たりするにつけ、この更衣(御息所)こそ、相当のお人で、好ましい人の内に入るのだった。世間一般からいっても、残念なことでしたよ。まずまずと思える人が、こうやって亡くなっていくことであるよ。院(朱雀院)もひどく思いがけないことと落胆していらっしゃった。あの皇女(落葉の宮)こそは、ここにいらっしゃる入道の宮(女三の宮)に次いで、可愛がっていらっしゃるのだった。お人柄もよくいらっしゃるのだろう」とおっしゃる。(夕霧)「宮(落葉の宮)のご気性は、どんなものでしょう。御息所は、どうということもない人の気配、ご気性で。親しくうちとけてはくださいませんでしたが、ちょっとした機会に、自然と、人の嗜みは表にあらわれるものでございます」と申し上げられて、宮の御事は話に出さず、まことにそっけない。(源氏)「これほど一途に思い初めたことは、諌めたところでどうにもならない。けして聞き入られないだろうから、もっともらしく忠告するのも具合が悪いことだ」とお思いになって、それきりとなった。

語句

■思たまへらむ気色 夕霧の落葉の宮に対する気持ち。 ■忌 四十九日の忌中。 ■三年 今年は柏木の死後三年目。 ■夕の露かかるほどのむさぼりよ 「朝露ニ名利ヲ貪リ 夕陽ニ子孫を憂フ」(白氏文集巻ニ・秦中吟・不致仕)。「朝」を「夕」にかえて引く。 ■大和守なにがし 「なにがし」には実名が入る。夕霧はここで大和守を源氏にアピールして将来昇進させてやろうという考えがあるのだろう。 ■かの皇女いかに… ここから源氏は夕霧に探りを入れる。 ■この近き年ごろ 柏木の死後。 ■この更衣 御息所(【若菜下 25】)。 ■おほかたの世につけて 御息所が亡くなったのは身内という観点からだけでなく世間一般にとって痛ましいことだの意。 ■さてもありぬべき人 そのままでいてもいい人。好ましい人。 ■御心はいかが… 夕霧は源氏の誘導尋問をかわし、話を御息所のことに切り替える。 ■こともなかりし… 夕霧は御息所と親密に話したことがあるが、そらとぼける。 ■宮の御事もかけず 「かく」は口に出して言う。 ■いとつれなし 夕霧はあくまでしらを切る。源氏はその態度に夕霧の本気を感じ取る。 ■すくよけ心 一途な気持ち。 ■用ゐざらむものから どうせ夕霧は忠告を受け入れないだろうから。

朗読・解説:左大臣光永