【夕霧 26】落葉の宮、大和守に諭されて泣く泣く帰京

その日、我おはしゐて、御車、御前《ごぜん》など奉れたまふ。宮は、さらに渡らじと思しのたまふを、人々いみじう聞こえ、大和守も、「さらにうけたまはらじ。心細く悲しき御ありさまを見たてまつり嘆き、このほどの宮仕《みやづかへ》はたふるに従ひて仕うまつりぬ。今は、国のこともはべり、まかり下りぬべし。宮の内のことも見たまへ譲るべき人もはべらず、いとたいだいしう、いかにと見たまふるを、かくよろづに思し営《いとな》むを、げに、この方にとりて思《おも》たまふるには、必ずしもおはしますまじき御ありさまなれど、さこそはいにしへも御心にかなはぬ例《ためし》多くはべれ、一《ひと》ところやは世のもどきをも負はせたまふべき。いと幼くおはしますことなり。たけう思すとも、女の御心ひとつにわが御身をとりしたためかへりみたまふべきやうかあらむ。なほ人のあがめかしづきたまへらんに助けられてこそ。深き御心のかしこき御おきても、それにかかるべきものなり。君たちの聞こえ知らせたてまつりたまはぬなり。かつは、さるまじき事をも、御心どもに仕うまつりそめたまうて」と言ひつづけて、左近、少将を責む。

集まりて聞こえこしらふるに、いとわりなく、あざやかなる御|衣《ぞ》ども人々の奉りかへさするも、我にもあらず、なほいとひたぶるにそぎ棄てまほしう思さるる御髪《みぐし》をかき出でて見たまへば、六尺ばかりにて、すこし細りたれど、人はかたはにも見たてまつらず。みづからの御心には、「いみじの衰へや。人に見ゆべきありさまにもあらず。さまざまに心憂き身を」と思しつづけて、また臥《ふ》したまひぬ。「時たがひぬ。夜も更《ふ》けぬべし」と、みな騒ぐ。時雨《しぐれ》いと心あわたたしう吹きまがひ、よろづにもの悲しければ、

のぼりにし峰の煙《けぶり》にたちまじり思はぬかたになびかずもがな

心ひとつには強く思せど、そのころは、御|鋏《はさみ》などやうのものはみなとり隠して、人々のまもりきこえければ、「かくもて騒がざらむにてだに、何の惜しげある身にてかをこがましう若々しきやうにはひき忍ばむ。人聞きもうたて思すまじかべきわざを」と思せば、その本意《ほい》のごともしたまはず。

人々はみないそぎたちて、おのおの櫛《くし》、手箱《てばこ》、唐櫃《からびつ》、よろづの物を、はかばかしからぬ袋やうの物なれど、みな先だてて運びたれば、独《ひと》りとまりたまふべうもあらで、泣く泣く御車に乗りたまふも、かたはらのみまもられたまて、こち渡りたまうし時、御心地の苦しきにも御髪《みぐし》かき撫《な》でつくろひ、下ろしたてまつりたまひしを思し出づるに目も霧《き》りていみじ。御佩刀《みはかし》に添へて、経箱を添へたるが御かたはらも離れねば、

恋しさのなぐさめがたき形見にて涙にくもる玉のはこかな

黒きもまだしあへさせたまはず、かの手馴らしたまへりし螺鈿《らでん》の箱なりけり。誦経《ずきやう》にせさせたまひしを、形見にとどめたまへるなりけり。浦島の子が心地なん。

現代語訳

その日、大将はご自身で一条宮においでになって、御車や御前駆などをお差し向けになる。宮(落葉の宮)は、けして一条宮には移るまいとお思いになり、またそうおっしゃるのを、女房たちが言葉を尽くして説得申し上げ、大和守も、「そのようなことはけしてお認め申し上げるわけにはまいりません。貴女が心細く悲しくしているご様子を拝見して気の毒に思いましたので、今回のお手伝いは、できる範囲でおつとめ申し上げました。今は、国元のこともございますので、私は退出せねばなりません。一条宮の内のことも管理を任せられる人もございませんし、ひどく不都合で、どうするのかと思われますが、大将殿(夕霧)が、こうして万事、ご好意をもってお世話してくださいますのを、なるほどたしかに、こちら側の立場から考えてみますと、必ずしも今お移りになる必要はないようですが、そうはいっても昔も御心にかなわぬ例は多くございまして、皇女でありながら臣下と再婚までしたという世間からの非難を貴女一人が負うわけでもないのです。ひどく大人げなくていらっしゃいます。いくら気丈に構えていらしても、女のお気持ちひとつにわが御身を養い顧みる方法がございましょうか。やはり大切に世話してくださる方に助けられてこそです。深い御心の尊い御道心も、それにかかっているだろうことなのです。(女房たちに対して)貴女方から宮にお諌め申し上げてはいらっしゃらないのですね。その一方では、けしからぬ事を、勝手にお世話しはじめたりなどなさって」と言いつづけて、左近・少将を責める。

女房たちが集まって宮をご説得申し上げるので、宮はひどく困って、あざやかなお召し物の多くを女房たちが着替えさせ申し上げるのも、自分が自分でないようで、やはり思い切ってそぎ棄ててしまいたいとお思いになっておられるその御髪をかき出してご覧になると、六尺ほどで、すこし細くなっているが、女房たちはおかしいともお気づき申し上げない。ご自身の御気持ちとしては、「ひどく衰えたものだ。人に見せるべきありさまではない。さまざまに悲しい身であること」とお思いつづけて、また横になられた。(女房)「時刻に遅れます。夜も更けましょう」と、みな騒ぐ。時雨がひどく慌ただしく吹き交って、万事なんとなく悲しかったので、

(落葉の宮)のぼりにし……

(のぼっていった峰の煙にまじって、意にそわない方角になびきたくはない)

ご自分一人は強くご出家したいとお思いになっていらっしゃるが、そのころは御鋏などといったものはみなとり隠して、女房たちが見張り申し上げていたので、「こんなに大騒ぎしないでも、何の惜しげもない身であるし、愚かしく大人げないようにこっそり髪を剃ったりするだろうか。院(朱雀院)が、外聞が悪いとお思いになっておれること(出家)を」とお思いになるので、ご自分のお望みのとおりにもなさらない。

女房たちはみな引っ越しの準備にいそいそしてきて、おのおの櫛、手箱、唐櫃、いろいろな物を、たいしたことのない袋のような物も、みな先だって運んでいるので、宮は一人小野の山荘に残っているわけにもいかず、泣く泣く御車にお乗りになるにつけても、お隣の御席ばかり自然と見つめられて、こちら(小野の山荘)にお移りになった時、ご気分が悪いのを御息所が御髪をかき撫でてくださったり、車から下ろしくださったのをお思い出されるにつけ、目に涙がかすんできて、ひどく悲しいお気持ちである。御佩刀といっしょに、経箱をお持ちなのを、いつも御そばを離さずに置いてあるので、

(落葉の宮)恋しさの……

(恋しさを慰めがたい形見なので、涙にくもる玉手箱であるよ)

経箱をまだ黒くおこしらえにはなっておらず、御息所が持ち慣れていらっしゃった螺鈿の箱なのであった。誦経をした僧へのお布施となさったのだが、形見に残していらしたのであった。浦島の子のようなお気持ちでいらっしゃる。

語句

■その日 落葉の宮が小野の山荘を出て一条宮に移る日。 ■我おはしゐて 夕霧は一条邸に来る。 ■御車御前 落葉の宮を小野の山荘から移動させるための牛車や前駆の者。 ■このほどの宮仕 御息所が亡くなってから今日までの手伝いをいう。 ■たふるに従ひて できるかぎり。できる範囲で。 ■国のこと 大和守としての業務をいう。 ■宮の内のこと 「宮」は一条宮。 ■たいだいしう 「たいだいし」は不都合だ。 ■げに 落葉の宮の「さらに渡らじ」という態度に、いちおうは共感してみせる。 ■おはしますまじき御ありさま 文意未詳。解釈多種。わざわざ服喪中に一条宮に移る必要はないの意に取っておく。 ■御心にかなはぬ例 皇女が意に反して臣下の妻となる例。 ■世のもどき 皇女が臣下と再婚したという世間からの非難。 ■幼くおはします 落葉の宮が夕霧を遠ざける態度を非難。 ■たけう思すとも 以下、女の生き方について、前の紫の上の述懐(【夕霧 21】)の裏返しとなっている。 ■人のあがめかしづきたまへらんに 「人」は暗に夕霧をさす。 ■深き御心のかしこき御おきて 落葉の宮の出家の決意をいう。
 ■それにかかるべき 「それ」は「人のあがめかしづきたまへらん」をさす。出家するにもある程度の経済力が必要で、夫次第とする。 ■君たちの 以下、落葉の宮つきの女房たちに語りかける。 ■さるまじき事 夕霧からの文を取り次いだりしたこと。 ■左近 落葉の宮つきの女房。ここにのみ登場。 ■あざやかなる御衣ども… 喪服を脱がせてはなやかな衣類を着せる。 ■かき出でて 着替えるために髪を前方に垂らした。 ■すこし細りたれど 心労によって毛束が細くなっている。 ■さまざまに心憂き 柏木との死別と御息所との死別と夕霧が言い寄ってくること。 ■時たがひぬ 「時」は出発時刻。 ■時雨 落葉の宮の心象風景でもある。 ■のぼりにし… 「峰の煙」は御息所の遺骸を焼いた煙。「須磨の浦の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり」(古今・恋四 読人しらず)。 ■御鋏などやうのものはみなとり隠して 落葉の宮が髪をおろさないように。 ■何の惜しげある身にて 落葉の宮は現世への執着を捨てている。 ■はかばかしからぬ袋やうの物 山荘なので、しっかりした調度品などはない。 ■かたはらのみまもられてまひて 牛車の隣の席。かつてそこに母御息所が座っていた。 ■こち渡りたまうし 「こち」は小野の山荘。 ■御佩刀 実用の剣ではなく守り用。 ■経箱 経文を入れる箱。御息所の形見。 ■恋いしさの… 「玉のはこ」は次の「玉手箱」に通じる。「なき人のむすびおきける玉櫛笥あかぬかたみとみるぞ悲しき」(玄々集 藤原為時)によるか。『玄々集』は平安中期の私撰集。能因撰。寛徳(かんとく)年間(1044~46)以後まもなくの成立。167首。 ■黒きもまだしあへさせたまはず 喪中に使う経箱は黒くするべきなのに、生前の御息所のものをそのまま使っている。 ■誦経にせさせたまひし 生前、御息所が誦経をつとめた僧への布施とするために作らせたもの。 ■浦島が子 玉手箱をもって身寄りのない故郷に帰る浦島の姿を、都に帰る落葉の宮の姿に重ねた。浦島伝説は『日本書紀』『丹後風土記』『万葉集』に見える。

朗読・解説:左大臣光永