【夕霧 27】落葉の宮、一条宮に帰る 夕霧、待ち構える

おはしまし着きたれば、殿の内悲しげもなく、人気《ひとげ》多くてあらぬさまなり。御車寄せておりたまふを、さらに古里《ふるさと》とおぼえずうとましううたて思さるれば、とみにもおりたまはず。いとあやしう若々しき御さまかなと、人々も見たてまつりわづらふ。殿は東《ひむがし》の対の南面《みなみおもて》をわが御方に仮にしつらひて、住みつき顔におはす。三条殿には、人々、「にはかにあさましうもなりたまひぬるかな。いつのほどにありし事ぞ」と驚きけり。なよらかにをかしばめることを好ましからず思す人は、かくゆくりかなる事ぞうちまじりたまうける。されど、年経《としへ》にけることを、音《おと》なく気色も漏らさで過ぐしたまうけるなり、とのみ思ひなして、かく女の御心ゆるいたまはぬと思ひよる人もなし。とてもかうても宮の御ためにぞいとほしげなる。

御|設《まう》けなどさま変りて、もののはじめゆゆしげなれど、物まゐらせなどみなしづまりぬるに渡りたまて、少将の君をいみじう責めたまふ。「御心ざしまことに長う思されば、今日明日《けふあす》を過ぐして聞こえさせたまへ。なかなかたち返りて、もの思し沈みて、亡き人のやうにてなむ臥《ふ》させたまひぬる。こしらへきこゆるをもつらしとのみ思されたれば、何ごとも身のためこそはべれ、いとわづらはしう聞こえさせにくくなむ」と言ふ。「いとあやしう。推《お》しはかりきこえさせしには違《たが》ひて、いはけなく心得がたき御心にこそありけれ」とて、思ひよれるさま、人の御ためも、わがためにも、世のもどきあるまじうのたまひつづくれば、「いでや、ただ今は、またいたづら人に見なしたてまつるべきにやと、あわたたしき乱り心地に、よろづ思《おも》たまへわかれず。あが君、とかく押し立ちて、ひたぶるなる御心な使はせたまひそ」と手を慴《す》る。「いとまた知らぬ世かな。憎くめざましと、人よりけに思しおとすらん身こそいみじけれ。いかで人にもことわらせむ」と、言はむ方もなしと思してのたまへば、さすがにいとほしうもあり。「また知らぬは、げに世づかぬ御心構へのけにこそはと。ことわりは、げに、いづ方にかは寄る人はべらんとすらむ」と、すこしうち笑ひぬ。

現代語訳

宮(落葉の宮)が一条宮にご到着なさると、邸の内は悲しそうな様子もなく、人の気配が多く以前とはまるでちがっている。御車を寄せてお降りになるのだが、まったく以前の住まいとは思われず、疎ましく嫌なお気持ちになるので、すぐにはお降りにならない。ひどく妙な子供っぽい御様子であるよと、女房たちも宮のそのご様子を拝見して困惑する。殿(夕霧)は東の対の屋の南面をわが御所として仮に整えて、主人顔で居座っていらっしゃる。三条殿(夕霧の自邸)では、女房たちが、「突然、呆れたことをなさったものですね。いつごろからのご関係なのでしょうか」と驚いた。軟弱で色めいたことを好まくないとお思いになる人は、こう、思いがけない事も時々なさるのであった。しかし世間の人は、長年関係があったのを、おくびにも出さず外に漏らさないでお過ごしになってこられたらしい、とだけ思うようにして、こうして女のほうは不本意でいらっしゃるとは想像する人もない。とにかく宮の御ためにお気の毒なことである。

結婚のご準備なども喪中なのでふつうと様子が違って、結婚のはじめの儀式としてははばかられるようだが、お食事を差し上げたりなどして皆がしずまった頃に大将(夕霧)がおいでになって、少将の君に、宮に取次せよとたいそうおせきたてになる。(小少将)「いつまでもご親切な御心をお持ちになろうとお思いになるなら、今日明日を過ごしてから申し上げてください。宮は御邸に戻ってきたことで、かえって意気消沈なさって、まるで亡き人のように横になってしまわれました。おなだめ申し上げるにも、宮はただつらいとばかりお思いになっておられるので、何事もわが身のためでございまして、(女房の立場といたしましては)、そううるさくは申し上げづろうございまして」と言う。(夕霧)「なんと妙なこと。ご推察申し上げていたお人柄とは違って、宮は子供っぽく、理解に苦しむご気性でいらっしゃるよ」といって、大将が宮の処遇について取り計らうことは、宮(落葉の宮)の御ためにも、大将(夕霧)にとっても、世間からの非難されようがないことを、お言い続けになるので、(小少将)「いったい、もう今は、宮をもまた、亡くなった人とお見なし申し上げなければならなくなるのかと、慌ただしく心乱れておりますから、万事、判断がつきかねます。どうかわが君、むやみにごり押しして、強引なお気持ちを起こされますな」と手を摺リ合わせる。(夕霧)「まったく聞いたこともない話であるよ。私のことを憎く目障りだと、人よりもことさらに低くお思いになられるようだが、そんなふうに見られる私こそつらいことだ。どうにかして世間の人にも事の是非を判断させたいものだ」と、宮の態度を、お話にならないものとお思いになり、またそうおっしゃるので、小少将は、さすがに気の毒にもなる。(小少将)「聞いたこともないのは、なるほど世間慣れしていない御心構えが原因でしょう。是非の判断は、なるほど、貴方と宮と、どちらに味方する人がございましょうか」と、すこし微笑んだ。

語句

■殿 一条宮。落葉の宮の本邸。 ■悲しげもなく 御息所の喪中なのに。 ■人気多く 夕霧が来ているので人の出入りが多い。 ■さらに古里とおぼえず 前にひきつづき浦島の心境を語る。 ■うとましう 落葉の宮にとって一条宮は亡き母との思い出の場所である。それを夕霧に汚されているようで不快である。 ■住みつき顔に 我こそはこの御邸の主人だというふうに居座っている。 ■三条殿 夕霧の本邸。 ■ありし事ぞ 夕霧と落葉の宮の関係が。 ■ゆくりかなる事 思いがけない事。「ゆくりか」はおもいがけないさま。にわかなさま。 ■年経にけることを… 夕霧は「いつありそめし事ぞともなく紛らはしてん」(【夕霧 25】)と計画した。それが成功して、世間の人は前々からのことであったと納得した。 ■御設けなどさま変わりて 喪中なので平時の結婚の準備と同じにはいかない。 ■渡りたまて 夕霧は東の対から渡殿を渡って寝殿に来る。 ■責めたまふ 夕霧は小少将に、今夜落葉の宮に逢えるように取り計らえとせきたてる。 ■なかなかにたち返りて… 一条宮に戻ったことでかえって意気消沈しているの意。 ■何ごとも身のためにこそはべれ 女房という立場上、主君が嫌がることを無理に申し上げれば自分の立場が危うくなる。自己保身の意味から、無理にご意見申し上げることはできない。 ■思ひよれるさま 夕霧が、落葉の宮に処遇について計画していること。 ■またいたづら人に見なしたてまつるべき 御息所につづいて落葉の宮のことも亡き者とみなし申し上げなくてはならないのかの意。 ■あが君 強く嘆願するときの改まった言い方。 ■とかく押し立ちて… 強引に落葉の宮に迫らないでほしいの意。 ■いとまた知らぬ世かな 色恋沙汰に疎い夕霧は、今までこのような扱いを受けたことがない。 ■人よりけに思しおとすらん 「人」は柏木を想定。 ■さすがにいとほしうもあり 小少将は、夕霧の、世間知らずゆえの不粋なふるまいを気の毒に思う。 ■また知らぬは 夕霧の台詞の「また知らぬ世かな」を受ける。 ■こそはと 下に「思ふ」の意が来るべきところ、語尾を濁す。 ■げに 夕霧の「いかで人にもことわらせむ」を受けて。 ■いづ方にかは寄る人はべらん 第三者に判断を仰いだら、夕霧と落葉の宮とどちらに味方するか。落葉の宮に味方するに決まっているの意。 ■笑ひぬ 夕霧をからかう。

朗読・解説:左大臣光永