【夕霧 31】夕霧、落葉の宮を口説く 宮、拒絶

かしこには、なほさし籠りたまへるを、人々、「かくてのみやは。若々しうけしからぬ聞こえもはべりぬべきを、例の御ありさまにて、あるべきことをこそ聞こえたまはめ」などよろづに聞こえければ、さもあることとは思しながら、今より後《のち》のよその聞こえをもわが御心の過ぎにし方をも、心づきなく恨めしかりける人のゆかりと思し知りて、その夜も対面《たいめ》したまはず。「戯《たはぶ》れにくく、めづらかなり」と聞こえ尽くしたまふ。人もいとほしと見たてまつる。「いささかも人心地するをりあらむに、忘れたまはずは、ともかうも聞こえん。この御|服《ぶく》のほどは、一筋《ひとすぢ》に思ひ乱るることなくてだに過ぐさむとなん深く思しのたまはするを、かくいとあやにくに知らぬ人なくなりぬめるを、なほいみじうつらきものに聞こえたまふ」と聞こゆ。「思ふ心はまた異《こと》ざまにうしろやすきものを。思はずなりける世かな」とうち嘆きて、「例《れい》のやうにておはしまさば、物越しなどにても、思ふことばかり聞こえて、御心破るべきにもあらず。あまたの年月をも過ぐしつべくなむ」など、尽きもせず聞こえたまへど、「なほかかる乱れに添へて、わりなき御心なむいみじうつらき。人の聞き思はむこともよろづになのめならざりける身のうさをばさるものにて、ことさらに心憂き御心構へなれ」と、また言ひ返し恨みたまひつつ、はるかにのみもてなしたまへり。

現代語訳

あちら(一条宮)では、今だに落葉の宮が塗籠に籠もっていらっしゃるのを、女房たちが、「そうばかりしてもいられますまい。大人げなく困った人だという評判も立てられましょうし、いつものご様子で居間に出ていらして、申し上げたいことを申し上げたらよろしいでしょう」などあれこれ申し上げたので、宮は、それはその通りとお思いになるが、今後の外聞についても、ご自身のこれまでのお気持ちとしても、気に入らず恨めしかった、あの人(夕霧)のせいでこうなったのだとご理解されていて、その夜も対面なさらない。(夕霧)「これでは冗談も言えない。滅多にない強情さだ」と言葉を尽くして申し上げられる。小少将も、君(夕霧)を気の毒と存じ上げる。(小少将)「宮さまは『少しでも正気になる折もありましょうから、その時に、私のことを大将がまだお忘れでないなら、どうにでも御返事を申し上げましょう。せめてこの御服喪の間は、ひたすら思い乱れることなく過ごしましょう』と、深くお思いになり、おっしゃっていますので、こうしてひどく具合の悪いことに、お二人のご関係を知らない人とてなくなったようなのを、やはりひどく恨めしいことと申し上げていらっしゃいます」と申し上げる。(夕霧)「あの御方のことを思う私の気持ちは格別だから安心してよろしいのに。思うようにいかない関係ですね」とため息をついて、(夕霧)「ふだんどおり宮が居間にいらっしゃるなら、物越しなどにても、私の思うことだけを申し上げて、それ以上お気持ちに反することをするはずかない。私を受け入れてくださるまで、気長に待っているつもりだ」など、お言葉も尽きることなく申し上げられるが、(落葉の宮)「やはりこんな立て込んだ状況に加えて、道理にあわない貴方の御心は、ひどく恨めしいことです。世間の人が聞いてどう思うかということについても万事並々でなかったわが身の辛さは、それはそれとして、とりわけ残念な、君(夕霧)の御心構えですこと」と、またも拒否しお恨みになっては、はるか間を隔ててのみ、大将をおもてなしになった。

語句

■さし籠もり 「塗籠に御座一つ敷かせたまて、内より鎖して大殿籠りにけり」(【夕霧 28】)とあった。 ■例の御ありさまにて ふだんどおり居間に出てきて。 ■さもあることとは思しながら 女房たちの説得に一応はもっとも同意しながら、心では納得いかない。 ■人のゆかり 落葉の宮は御息所が亡くなったことも世間からあらぬ評判を立てられていることも皆、夕霧のせいと、恨みに思っている。 ■戯れにくく うっかり冗談もいえない。冗談をいう状況ではないのだが夕霧はわかっていない。 ■この御服のほどは 御息所の喪中は。 ■一筋に 母御息所のことだけを思って。 ■あやにくに 「あやにく」は都合が悪い。折が悪い。 ■知らぬ人なくなりぬ 落葉の宮と夕霧の関係を。 ■例のやうにておはしまさば 宮が塗籠にではなくいつも通り居間にいらっしゃったら。 ■御心破るべきにもあらず 「御心」は落葉の宮の「この御服のほどは、一筋に思ひ乱るることなくてだに過ぐさむ」という希望。 ■あまたの年月をも過ぐしつべく 落葉の宮が「いささかも人心地するをりをり」まで気長に待つつもり。 ■かかる乱れ 御息所が亡くなって以来のさまざまな騒動。 ■ことさらに心憂き御心構へ 夕霧が御息所の喪中に一条宮に上がり込み勝手に主人顔をしている件。 ■言ひ返し 「言ひ返す」は拒絶する。

朗読・解説:左大臣光永