【御法 06】紫の上、明石の中宮に最後の対面し、息を引き取る

秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすればかごとがまし。さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けきをりがちにて過ぐしたまふ。

中宮は参りたまひなんとするを、「いましばしは御覧ぜよ」とも聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏《うち》の御|使《つかひ》の隙《ひま》なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。

こよなう痩《や》せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれと、来《き》し方《かた》あまりにほひ多くあざあざとおはせしさかりは、なかなかこの世の花のかをりにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひたまへる気色、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。

風すごく吹き出でたる夕暮《ゆふぐれ》に、前栽《せんざい》見たまふとて、脇息《けふそく》によりゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前《おまへ》にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの隙《ひま》あるをもいとうれしと思ひきこえたまへる御気色を見たまふも心苦しく、つひにいかに思し騒がんと思ふに、あはれなれば、

おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩《はぎ》のうは露

げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたるをりさへ忍びがたきを、見出だしたまひても、

ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先だつほど経ずもがな

とて、御涙を払《はら》ひあへたまはず。宮、

秋風にしばしとまらぬつゆの世をたれか草葉のうへとのみ見ん

と聞こえかはしたまふ御|容貌《かたち》どもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年《ちとせ》を過ぐすわざもがな、と思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめん方なきぞ悲しかりける。

「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。言ふかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、御|几帳《きちやう》ひき寄せて臥《ふ》したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、「いかに思さるるにか」とて、宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、御誦経《みずきやう》の使ども数も知らずたち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御物の怪《け》と疑ひたまひて、夜一夜《よひとよ》さまざまの事をし尽くさせたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。

現代語訳

待ちかねいた秋になって、世の中がすこし涼しくなったのでご気分も少しはよくなるようであるが、それでもやはり、どうかすると調子が悪くなる。それは歌にあるように身にしみるほど物思いをさせられる秋風ではないが、露に濡れるように涙を流すことの多い日々を、上(紫の上)はお過ごしになっておられる。

中宮(明石の中宮)は宮中に戻ろうとなさるが、上(紫の上は、「もうしばらく、ご滞在ください」とも申し上げたくお思いになるが、さしでがましいようでもあり、帝の御使が絶え間なく届くのも気兼ねこれたので、そうとも申し上げられず、上(紫の上)もはや、あちら(明石の中宮方=東の対)にお参りになられないので、中宮がこちら(紫の上方=西の対)においでになるのだった。恐縮ではあったが、なるほどこのまま中宮を拝見しないで逝ってしまうのも無為なことなので、こちらに中宮の御座を特別に設けさせなさる。

上(紫の上)はひどく痩せ細っていらっしゃったが、「こうなってかえって、上品で、限りなくつややかであることも、ふくよかであった時以上に素晴らしく見える」と、これまで、あまりに美しく華やかでいらした盛りの時分には、むしろこの世の花の美しさにもたとえられるほどでいらっしゃったが、今は、限りもなく可愛らしく美しいご様子で、この世をまことにかりそめのものとお思いになっていらっしゃる様子が、比較しようもないほど心苦しく、なんとなくもの悲しい。

風が恐ろしいほどに吹き出した夕暮に、庭前の植え込みをご覧になるため、脇息によりかかって座っていらっしゃると、院(源氏)がおいでになって、上が起きているのをご覧になられて、(源氏)「今日は、とてもよく起きていらっしゃいますね。中宮の御前なので、たいそう御心も晴れ晴れしたご様子でいらっしゃいますようで」と申し上げられる。上(紫の上)は、今のように病が一時的によくなっていることまで、うれしいと存じ上げなさる、院(源氏)のそのご様子を拝見なさるのも心苦しく、ご自分が亡くなった時、院はどれほどお取り乱しになるだろうかと思うにつけ、気の毒なので、

(紫の上)おくと見る……

(萩の葉の上の露は、おりたかと見れば、どうかすると風に乱れてしまいます。そんなふうに私が起きているとご覧になっても、すぐに消え果ててしまいましょう)

いかにも、風にしなって折れたり、元にもどったりして、一定の状態にとどまらない萩の枝が、ご自身によそえられている。今、季節が秋であることだけでも悲しさを忍び難いのに、それに加えて院(源氏)は、庭前の風情をご覧になられて、

(源氏)ややもせば……

(どうかすると先に消えることを競いあうような露の世の中にあって、先になったり、後になったりせず、いつも一緒にありたいものです)

とおっしゃって、御涙をお拭いになることもおできにならない。宮は、

(明石の中宮)秋風に……

(秋風に吹かれて、ほんのしばらくの間もとどまっていない露のような世の中のはかなさは、草葉の上のことだけではありますまい。人間の運命とて同じこと…)

とお互いに歌をお詠みになるご様子が申し分なく美しく、見ばえがすることにつけても、このまま千年を過ごす方法でもあればよいのに、とお思いになるが、心にかなわぬことなので、消えていく命をこの世に引き留める方法がないのが悲しいことである。

(紫の上)「もうお帰りください。気分がひどく苦しくなってまいりました。どうにもならないありさまとは申せ、たいそう失礼にあたりますから」とおっしゃって、御几帳をひき寄せて横になっていらっしゃるご様子が、いつもよりもひどく頼もしげなく拝見されるので、「どのような御具合なのですか」とおっしゃって、宮(明石の中宮)は上(紫の上)の御手をお取りになられて泣く泣く拝見なさると、まことに消えてゆく露のような気がして、これが最後と思われるので、祈祷を僧に依頼するための使が、数も知ら差し向けられる騒ぎとなった。以前も何度かこうして生き返られたことがあったが、今回もその例にならって、御物の怪のしわざとお疑いになられて、一晩中さまざまの加持祈祷を尽くさせなさったが、そのかいもなく、夜がすっかり明けるころにお亡くなりになられた。

語句

■秋待ちつけて 病人にはそのぎにくい夏が過ぎてようやく待ちわびた秋が来た。 ■かごとがまし つい愚痴が出る状態。つまり病状がぶり返して、「またか」など落胆し愚痴が出るのである。 ■身にしむばかり 「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」(詞花・秋 和泉式部、和泉式部集)。 ■御覧ぜよ 「私の病状を御覧ください」の原意から、「(もうしばらく)ご滞在ください」の意になる。 ■さかしきやうにもあり 中宮の行動をはばむことになるので僭越である。 ■内裏の御使 はやく宮中に戻るようにとの天皇の使。 ■さも聞こえたまはず 「さ」は「いましばし御覧ぜよ」。 ■あなたにも渡りたまはねば 「あなた」は明石の中宮が滞在している東の対。本来、紫の上のほうから出向くべきだが、もはや紫の上にその体力はない。 ■宮ぞ渡りたまひける 中宮が紫の上の居所(西の対)を。 ■御しつらひ 中宮の御座所をとくべつに設ける。 ■かくてこそ 「かく」は「痩せ細りて」を受ける。当時はふくよかであることが美人の条件。しかし紫の上は痩せていても美しいと、紫の上の美しさを絶賛する。 ■あざあざと 華麗な美しさ。 ■いとかりそめに世を思ひたまへる気色 この世は仮の宿にすぎず、仏の世こそ本来の宿であるという仏教の考え。 ■つひにいかに思し騒がん 自分(紫の上)が亡くなった後に。 ■おくと見る 「おく」は露を「置く」と紫の上が「起く」をかける。はかない命のさまを歌う。 ■折れかへり 風にしなって折れたり元にもどったりすること。 ■をりさへしのびがたきを 風の激しい秋の夕暮れということだけでも寂しいのに。それに加えて紫の上の死期が迫っている。 ■見出したまひても 源氏が部屋内から庭のほうを見る。 ■ややもせば 「末の露もとの雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(新古今・哀傷 遍照)。 ■秋風に 年若い中宮はまだ世の中の無常が実感として得られず、一般論として無常を歌う。参考「あかつきの露は枕におきけるを草葉のうへとなに思ひけむ」(後拾遺・恋二 高内侍)。 ■かくて千年を過ぐすわざもがな 「たのむるに命ののぶるものならば千とせをかくてあらむとや思ふ」(後拾遺・恋一 小野宮太政大臣女)。 ■かけとめむ 「かけとむ」はここでは消えていく命をこの世に引き留めること。 ■なめげ 失礼。無礼。 ■後誦経の使 延命のための祈祷を僧に依頼しにいく使。 ■さきざき 【若菜下 28】。 ■御物の怪と疑ひたまひて 物の怪のしわざなら物の怪を調伏すれば病は治まるはずである。この場面、六条御息所の影が一切ないのが気になる。

朗読・解説:左大臣光永