【御法 10】夕霧、野分の日を回想し泣く

大将の君も、御|忌《いみ》に籠《こも》りたまひて、あからさまにもまかでたまはず、明け暮れ近くさぶらひて、心苦しくいみじき御気色を、ことわりに悲しく見たてまつりたまひて、よろづに慰めきこえたまふ。

風|野分《のわき》だちて吹く夕暮《ゆふぐれ》に、昔のこと思し出でて、ほのかに見たてまつりしものを、と恋しくおぼえたまふに、また限りのほどの夢の心地せしなど、人知れず思ひつづけたまふに、たへがたく悲しければ、人目にはさしも見えじとつつみて、「阿弥陀仏、阿弥陀仏」とひきたまふ数珠《ずず》の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもて消《け》ちたまひける。

いにしへの秋の夕《ゆふべ》の恋しきにいまはと見えしあけぐれの夢

ぞなごりさへうかりける。やむごとなき僧どもさぶらはせたまひて、定まりたる念仏をばさるものにて、法華経《ほけきやう》など誦《ず》ぜさせたまふ。かたがたいとあはれなり。

現代語訳

大将の君(夕霧)も、御忌にお籠りになって、めったに御外出なさらず、明けても暮れても院(源氏)のおそばにお控えして、院の心苦しく御気分のすぐれないご様子を、それも当然なことと悲しく拝見されて、万事お慰め申し上げられる。

風が野分めいて吹く夕暮れに、大将は昔のことを思い出されて、あの日、上(紫の上)の御姿をほんの少し拝見したのに、と恋しくお思いになられるにつけ、また、御臨終の時、夢のような気がしたことなど、人知れずお思いつづけられて、耐えがたく悲しいので、人目にはそのようにも見えぬようにと包み隠して、(夕霧)「阿弥陀仏、阿弥陀仏」とお引きになる数珠の数にかこつけて、涙の玉をお拭いになられるのだった。

いにしへの……

(昔、秋の夕に御姿を拝見した時の恋しさに加えて、ご臨終の時、夜明け前の薄暗い中に見る夢のような気持ちで拝見したお姿)

それが目に残っていることさえも悲しいことであった。高貴な僧たちに奉仕をおさせになって、作法として決まっている念仏は当然のこと、そのほか法華経などを唱えさせなさる。あれやこれやにつけ、ひどく悲しげである。

語句

■御忌 四十九日間の服喪。 ■昔のこと 十五年前の野分の夜、紫の上の姿を垣間見たこと(【野分 02】)。 ■人知れず思ひつづけたまふに 義理の母への恋情なので、秘めておかなくてはならない。 ■さしも見えず 夕霧が紫の上に恋情を抱いていたとは気づかれないように。 ■ひきたまふ 数珠の玉を一つずつ指で繰って数える。 ■涙の玉をば 数珠の玉と涙の玉をかける。 ■いにしへの… 十五年前の野分の夕に紫の上を垣間見たその姿が忘れがたい上に、直近の夢の面影が、いよいよ恋しく悲しいの意。 ■ぞなごりさへ 歌から直接つづく。 ■定まりたる念仏 四十九日間の定例の仏事。

朗読・解説:左大臣光永