【御法 13】致仕の大臣より弔問 源氏と贈答
致仕《ちじ》の大臣《おとど》、あはれをもをり過ぐしたまはぬ御心にて、かく世にたぐひなくものしたまふ人のはかなく亡せたまひぬることを、口惜しくあはれに思して、いとしばしば問ひきこえたまふ。昔、大将の御母上亡せたまへりしもこのころの事ぞかし、と思し出づるに、いともの悲しく、「そのをり、かの御身を惜しみきこえたまひし人の多くも亡せたまひにけるかな。後《おく》れ先だつほどなき世なりけりや」など、しめやかなる夕暮にながめたまふ。空のけしきもただならねば、御子の蔵人《くらうどの》少将して奉りたまふ。あはれなることなどこまやかに聞こえたまひて、端に、
いにしへの秋さへ今の心地してぬれにし袖に露ぞおきそふ
御返し、
露けさはむかし今とも思ほえずおほかた秋の夜こそつらけれ
もののみ悲しき御心のままならば、待ちとりたまひては、心弱くもと、目とどめたまひつべき大臣《おとど》の御心ざまなれば、めやすきほどにと、「たびたびのなほざりならぬ御とぶらひの重なりぬること」とよろこび聞こえたまふ。
現代語訳
致仕の大臣は、情を尽くすことにおいては折をお逃しにならないご気性なので、これほど世に類なくいらっしゃる人がはかなくお亡くなりになったことを、残念に、悲しくお思いになって、たいそう頻繁にご弔問し申し上げなさる。昔、大将の御母(葵の上)がお亡くなりになったのも、このころの事である、とお思い出されるにつけ、ひどくもの悲しく、「その折、かの御身(葵の上)を惜しみ申された人の多くも亡くなられたことですよ。後になったり先になったり、それもいくほどでもない世の中でありますことよ」など、しめやかな夕暮にぼんやりと物思いにふけっていらっしゃる。空のけしきも普通でないので、御子の蔵人少将を使としてご弔問申し上げなさる。しみじみと胸を打つことなどこまやかに申されて、端に、
(致仕の大臣)いにしへの……
(昔、葵の上が亡くなった秋までも、今のような気持ちがして、濡れた袖に露がいっそう増し加わります)
御返し、
(源氏)露けさは……
(露が多く涙が尽きないことは、昔と今とどちらがまさっているとも思われません。大方秋の夜はつらいものです)
なにか無性に悲しいお気持ちのままに歌を詠んだとしたら、致仕の大臣がそれを待っていてお受け取りになられたら、心弱いことをと、お見咎めになるにちがいない。大臣のそういう御気性であるので、無難な程度に返事を書こうと、(源氏)「たびたび御心深い御弔問を、何度もいただきまして」と御礼を申し上げられる。
語句
■あはれをもをり過ぐしたまはぬ 情深いいたわりをしたりすることに時を心得ている。 ■大将の御母上亡せたまへりし 葵の上が死んだ時、この大臣も喪に籠もって源氏と悲しみを分かち合った(【葵 20】)。 ■このころ 三十年前の八月廿余日(【葵 17】)。 ■多くも失せたまひにけるかな 三十年間、多くの人が亡くなっていったことへの詠嘆。 ■後れ先だつ 「末の露もとの雫や世の中の後れ先だつためしなるらむ」(新古今・哀傷 遍照)によるか。 ■蔵人少将 致仕の大臣の子。柏木の弟。 ■いにしへの… 「いにしへの秋」は葵の上が死んだ秋。 ■むかし今 「むかし」は葵の上、「今」は紫の上をさす。 ■もののみ悲しき御心のまま 源氏が悲しい気持ちのままに歌を返したら。 ■心弱くもと 源氏は致仕大臣が手紙を受け取った結果、どう思うかを気にする。し