【御法 14】諸人、紫の上を悼む

「薄墨《うすずみ》」とのたまひしよりは、いますこしこまやかにて奉れり。世の中に幸ひありめでたき人も、あいなうおほかたの世にそねまれ、よきにつけても心の限りおごりて人のため苦しき人もあるを、あやしきまですずろなる人にもうけられ、はかなくし出でたまふ事も、何ごとにつけても世にほめられ、心にくく、をりふしにつけつつらうらうじく、あり難かりし人の御心ばへなりかし。さしもあるまじきおほよその人さへ、そのころは、風の音《おと》、虫の声につけつつ涙落とさぬはなし。ましてほのかにも見たてまつりし人の、思ひ慰むべき世なし。年ごろ睦《むつ》ましく仕うまつり馴れつる人々、しばしも残れる命恨めしきことを嘆きつつ、尼《あま》になり、この世の外《ほか》の山住《やまず》みなどに思ひ立つもありけり。

現代語訳

昔、「限りあれば薄墨ごろも」とお詠みになったが、今回はそれよりもうすこし細やかな色の喪服をお召しになる。世の中に運にめぐまれためでたい人も、あいにく世間一般から妬まれて、身分や地位が高いからといって心の限り傲慢になって、人を困らせる人もあるのに、このお方は、奇妙なまでに、これといった長所のない人からも受け入れられ、ちょっとやり出したことも、何ごとにつけても世にほめられ、奥ゆかしく、折節につけて洗練されて、滅多になくすばらしい御人柄であった。それほど悲しむ必要のない大多数の人さえ、そのころは、風の音、虫の声につけては涙を流さない者はない。ましてほんの少しでも拝見した人は、思いが慰められる時がない。長年近しくお側にお仕え申し上げてきた人々は、ほんの少しでも自分の寿命が残っていることが恨めしいことを嘆いては、尼になり、俗世間を離れて山住みになることを決心する者もあるのだった。

語句

■薄墨 源氏は葵の上が死んだ時、薄墨色の喪服を着て「限りあれば淡墨ごろもあさけれど涙ぞそでをふちとなしける」と詠んだ(【葵 18】)。 ■すずろなる人 特別な才能のないふつうの人。 ■らうらうじく 「らうらうじ」は洗練されている。物事にたくみである。 ■さしもあるまじきおほよその人 とくに紫の上の死を悼んだりする必要もない、直接関係のない、一般人。 ■残れる命 紫の上のようなすばらしい方が亡くなって自分たちのような取るに足らない者が生きていることを恨めしく思う。

朗読・解説:左大臣光永