【幻 13】八月正日、曼荼羅の供養 中将の君の歌に書き添える

風の音《おと》さへただならずなりゆくころしも、御法事の営みにて、朔日《ついたち》ごろは紛らはしげなり。今まで経《へ》にける月日よ、と思すにも、あきれて明かし暮らしたまふ。御|正日《しやうにち》には、上下《かみしも》の人々みな斎《いもひ》して、かの曼荼羅《まんだら》など今日ぞ供養ぜさせたまふ。例の宵《よひ》の御行ひに、御|手水《てうづ》まゐらする中将の君の扇に、

君恋ふる涙は際《きは》もなきものを今日をば何のはてといふらん

と、書きつけたるを取りて見たまひて、

人恋ふるわが身も末になりゆけど残り多かる涙なりけり

と、書き添へたまふ。

現代語訳

風の音までもただならぬ寂しい感じになってゆく頃、御法事の準備で、朔日ごろは忙しかった。今まで過ぎてきた時月よ、とお思いになるにつけても、呆然として日々を明かし暮らしていらっしゃる。御正日(命日)には、身分の高い人も低い人もみな精進潔斎して、例の極楽曼荼羅などをこの日に供養なさる。いつもの宵のご勤行に、御手水をさしあげる中将の君の扇に、

(中将の君)君恋ふる……

(故人を恋しく思って涙が出ますことにはに果てもありませんのに、今日をなんの果ての日だというのでしょう)

と、書きつけてあるのを御覧になって、

(源氏)人恋ふる……

(亡き人を恋しいと思うわが身も残り少なになってゆくが、多く残っている涙であることよ)

と、書き加えなさる。

語句

■風の音さへただならず 秋風の音に変わること。「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の下風萩の下露」(藤原義孝集、和漢朗詠集・秋興)の心とされる。 ■御法事 紫の上の一周忌の法事。 ■今まで経にける月日よ 「…かくても月日は経にけりと、あさましう思しめさる」(【桐壺 08】)。「身を憂しと思ふに消えぬものなればかくても経ぬる世にこそありけれ」(古今・恋五 読人しらず)。 ■御正日 一周忌の当日。もしくは死後の四十九日目。 ■斎 身・口・意の三業を慎み、心の不浄を清めること。転じて仏事の際の食事。 ■かの曼荼羅 紫の上が造らせた極楽曼荼羅。『観無量寿経』にある極楽浄土のさまを描いた曼荼羅。浄土曼荼羅。浄土変相図。 ■君恋ふる 「君」は紫の上。「はて」は終り、ここでは一周忌のこともいう。 ■人恋ふる 中将の君の「君恋ふる」に対応して「人恋ふる」といった。

朗読・解説:左大臣光永