【匂宮 01】光源氏の跡を継ぐ者 匂宮と薫

光隠れたまひにし後《のち》、かの御影にたちつぎたまふべき人、そこらの御末々にあり難かりけり。遜位《おりゐ》の帝《みかど》をかけたてまつらんはかたじけなし。当代《たうだい》の三の宮、その同じ殿《おとど》にて生《お》ひ出でたまひし宮の若君と、この二《ふた》ところなんとりどりにきよらなる御名とりたまひて、げにいとなべてならぬ御ありさまどもなれど、いとまばゆき際《きは》にはおはせざるべし。ただ世の常の人ざまにめでたくあてになまめかしくおはするをもととして、さる御仲らひに、人の思ひきこえたるもてなしありさまも、いにしへの御ひびきけはひよりもややたちまさりたまへるおぼえからなむ、かたへはこよなういつくしかりける。紫の上の御心寄せことにはぐくみきこえたまひしゆゑ、三の宮は二条院におはします。春宮《とうぐう》をば、さるやむごとなきものにおきたてまつりたまて、帝、后《きさき》いみじうかなしうしたてまつり、かしづききこえさせたまふ宮なれば、内裏住《うちず》みをせさせたてまつりたまへど、なほ心やすき古里《ふるさと》に住みよくしたまふなりけり。御|元服《げんぷ゜く》したまひては兵部卿《ひやうぶきやう》と聞こゆ。

現代語訳

光の君がお隠れになってからというもの、その御姿をお継ぎになられるような御方は、そこらの御子孫には滅多にいないのだった。御退位された帝(冷泉院)をここにお入れ申し上げるのは畏れ多いことであるし。今上帝の三の宮(匂宮)と、その同じ御殿(六条院)でお生まれになった宮(女三の宮)の若君(薫)と、このお二人こそが、あれやこれやと見事であるという評判をおとりになって、実際どちらも並々ではない御容貌ではあるが、きわめてまぶしいというほどではいらっしゃらないだろう。ただ世間のふつうの人のありさまとして、立派で品があり、優美でいらっしゃる。それをはじめとして、そうした源氏の君の御子孫であるという関係から、世間の人がお気にかけ申し上げることも、処遇も、ありさまも、源氏の君のお若い頃のご評判やありさまよりも少したちまさっていらっしゃる。そうした世間の信望からだろうか、ひとつには格別にご立派に見えるのだった。三の宮(匂宮)は、紫の上が格別に御心をおかけになったので、二条院に住んでいらしゃる。東宮のことは、そのような高貴な御身分なので別格としても、帝と后とは、この宮(匂宮)をたいそうお可愛がり申されて、大切になさるので、宮中に住まわせていらしたが、それでも宮(匂宮)は、やはり心落ち着く旧邸(二条院)に住むことが多くていらしたのだ。御元服なさって後は兵部卿と申し上げる。

語句

■光隠れたまひにし後 前の幻巻で源氏は五十二歳の十二月を送った。翌年、源氏は嵯峨院にこもり出家し、まもなく没したらしい。幻巻から匂宮巻まで八年の空白がある。 ■御影 光源氏の姿と太陽をかける。 ■そこらの御末々 夕霧の子などをさす。 ■かたじけなし 臣下である源氏と冷泉院を同列に論ずるのは畏れ多い。 ■当代 今上帝。后は明石の中宮。 ■三の宮 今上帝の三の宮。匂宮。母は明石の中宮。十五歳。【若菜下 38】に出生の記事。 ■その同じ殿 六条院 匂宮は紫の上に養育された。 ■宮の若君 女三の宮腹の若君。薫。 ■げにいとなべてならぬ… なるほど世間の評判どおりすばらしいがの意。 ■いとまばゆき際にはおはせざるべし 源氏と子供時代と比べれば神がかった感じはない。あくまでも普通の人間として優れていると。 ■さる御仲らひ 源氏の子孫であるという血筋。 ■いにしへの御ひびき 源氏の若い頃は、母方の後見もなく、右大臣家からの圧迫もあったため、必ずしも評判が高くはなかった。 ■おぼえ 世間の人々からの信望。 ■紫の上の御心寄せ 紫の上は匂宮をことに可愛がり、成長したら二条院に住み桜と梅を賞美するよう匂宮に遺言した(【御法 05】【幻 05】)。 ■春宮 今上帝の第一皇子。明石の中宮腹。 ■さるやむごとなきものに… 東宮という尊い立場として特別扱いしたの意。 ■たまて 「たまひて」の音便無表記。 ■帝后 今上帝と明石の中宮。 ■古里 二条院。 ■御元服 親王の場合は十一歳から十七歳で行うのがふつう。 ■兵部卿 兵部省の長官。親王が任じられることが多い。実務は行わない。

朗読・解説:左大臣光永