【匂宮 02】今上帝の皇子皇女たち 夕霧の娘たち

女一の宮は、六条院南の町の東《ひむがし》の対を、その世の御しつらひあらためずおはしまして、朝夕に恋ひ偲《しの》びきこえたまふ。二の宮も、同じ殿《おとど》の寝殿を時々の御休み所にしたまひて、梅壺を御|曹司《ざうし》にしたまひて、右の大殿《おほいどの》の中姫君《なかひめぎみ》を得たてまつりたまへり。次の坊《ばう》がねにて、いとおぼえことに重々しう、人柄もすくよかになんものしたまひける。

大殿《おほいどの》の御むすめは、いとあまたものしたまふ。大姫君は春宮に参りたまひて、またきしろふ人なきさまにてさぶらひたまふ。その次々、なほみなついでのままにこそはと世の人も思ひきこえ、后《きさい》の宮ものたまはすれど、この兵部卿宮はさしも思したらず、わが御心より起こらざらむことなどは、すさまじく思しぬべき御|気色《けしき》なめり。大臣《おとど》も、何かは、やうのものと、さのみうるはしうはと、しづめたまへど、またさる御気色あらむをばもて離れてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづききこえたまふ。六の君なん、そのころの、すこし我はと思ひのぼりたまへる親王《みこ》たち、上達部の御心尽くすくさはひにものしたまひける。

現代語訳

女一の宮は、六条院南の町の東の対を、紫の上が御存命の頃のお部屋のようすをそのまま変えないでいらして、朝夕に紫の上を恋い偲んでいらっしゃる。

二の宮も、同じ六条院の寝殿(六条院東の町の寝殿)を時々の御休み所になさって、宮中では梅壺を御局になさって、右の大殿(夕霧)の中姫君を北の方として迎えていらした。

この二の宮は次の東宮候補であって、帝のおぼえが格別に重々しく、人柄も実にすぐれていらっしゃるのだった。

大殿(夕霧)の御娘は、とても多くいらっしゃる。大姫君(長女)は春宮のもとにお輿入れなさって、他に競い合う人もない様子でお仕えしていらっしゃる。それに続く娘たちは、やはりみな年齢順に結婚していくのだろうと世間の人も思い申し上げ、后の宮(明石の中宮)もおっしゃるが、この兵部卿宮(匂宮)は必ずしもそこまでは思っていらっしゃらない。ご自分のお気持ちから出ていないことなどは、興味がないとお思いになるご様子のようだ。

大臣(夕霧)も、「どうして、同じように決まりきった形で順序よく結婚させなくても」と、落ち着いていらっしゃるが、また帝や中宮からそのようなご要望があれば、対処できるようにお考えになって、たいそう大切にお育て申していらっしゃる。六の君こそは、そのころの、すこしでも我こそはと自信を持っていらっしゃる親王たちや上達部が御心を尽くしていらっしゃる悩みの種でいらっしゃるのだった。

語句

■女一の宮 今上帝の第一皇女。明石の中宮腹。匂宮の姉。紫の上の養女(【若菜下 11】【夕霧 21】【御法 05】)。 ■南の町 紫の上が住んでいたところ。 ■二の宮 今上帝の第二皇子。明石の中宮腹。幼いころ源氏はこの皇子に音楽の才能を期待していた(【若菜下 19】)。 ■同じ殿の寝殿 六条院の東の町の寝殿。 ■梅壺 凝華舎。内裏の五舎の一。庭に梅が植えてあったため梅壺という。 ■右の大殿の中姫君 夕霧の次女。雲居雁腹。 ■坊がね 「坊予ね」。東宮候補。 ■大殿の御むすめ 夕霧の娘は雲居雁腹と藤典侍腹であわせて六人いる。 ■大姫君 【夕霧 36】には藤典侍腹とあるが【宿木 20】には雲居雁腹とある。雲居雁腹としたほうが自然。 ■きしろふ 競う・はりあう・争う。ここでは帝の寵愛を競う。 ■ついでのままに 東宮(一宮)は夕霧の大姫と、二の宮は中姫君と結婚しているので、三宮(匂宮)は三宮と結婚するであろうと。 ■やうのもの 類似の物。型通りに年齢順に結婚することをさす。 ■うるはしうは 自分の娘たちを年齢順に嫁がせる必要もあるまい。下に「もてなさむ」などを補い読む。 ■さる御気色あらむ 帝から皇子の嫁として娘がほしいと申し出がある場合を想定。 ■おもむけて 帝の申し出しだいでどうとでも動けるように配慮して。 ■六の君 藤典侍腹(【匂宮 09】)。

朗読・解説:左大臣光永