【匂宮 03】六条院の御方々のその後 夕霧の気遣い 源氏・紫の上亡き後の喪失感

さまざま集ひたまへりし御方々、泣く泣くつひにおはすべき住み処《か》どもに、みなおのおの移ろひたまひしに、花散里《はなちるさと》と聞こえしは、東《ひむがし》の院をぞ、御|処分《うぶんどころ》所にて渡りたまひにける。入道の宮は、三条宮におはします。今后《いまきさき》は内裏《うち》にのみさぶらひたまへば、院の内さびしく人少なになりにけるを、右大臣《みぎのおとど》、「人の上にて、いにしへの例《ためし》を見聞くにも、生ける限りの世に、心をとどめて造り占めたる人の家ゐのなごりなくうち棄てられて、世のならひも常なく見ゆるは、いとあはれに、はかなさ知らるるを、わが世にあらん限りだに、この院荒らさず、ほとりの大路《おほぢ》など人影|離《か》れはつまじう」と思しのたまはせて、丑寅《うしとら》の町に、かの一条宮を渡したてまつりたまひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住みたまひける。

二条院とて造り磨《みが》き、六条院の春の殿《おとど》とて世にののしりし玉の台《うてな》も、ただ一人《ひとり》の末のためなりけりと見えて、明石の御方は、あまたの宮たちの御|後見《うしろみ》をしつつ、あつかひきこえたまへり。大殿《おほいどの》は、いづ方の御事をも、昔の御心おきてのままに改めかはることなく、あまねき親心に仕うまつりたまふにも、対の上のかやうにてとまりたまへらましかば、いかばかり心を尽くして仕うまつり見えたてまつらまし、つひに、いささかも、とり分きてわが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて過ぎたまひにしことを、口惜しう飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ。

天《あめ》の下《した》の人、院を恋ひきこえぬなく、とにかくにつけても、世はただ火を消ちたるやうに、何ごともはえなき嘆きをせぬをりなかりけり。まして殿《との》の内《うち》の人々、御方々、宮たちなどはさらにも聞こえず、限りなき御ことをばさるものにて、またかの紫の御ありさまを心にしめつつ、よろづのことにつけて、思ひ出できこえたまはぬ時の間《ま》なし。春の花の盛りは、げに長からぬにしも、おぼえまさるものとなん。

現代語訳

かつて六条院と二条院にさまざまに集まっていらした御方々は、泣く泣く余生をお過ごしになるべき住処に、みなおのおのお移りになった。その中に、花散里と申し上げた御方は、二条院東院をご相続してお移りになった。

入道の宮(女三の宮)は、三条宮にいらっしゃる。今后(明石の中宮)は宮中にばかりお住まいでいらっしゃるので、六条院の内は寂しく人が少なくなってしまった。

それを、右大臣(夕霧)は、「他人の話として、昔の例を見聞きするにつけても、生きている間に、心を注いで、造り住んでいた家が、跡形もなくうち棄てられて、無常なる世のならいを目の前に見えるのは、とても悲しく、世のはかなさが実感されるものだが、せめて私が生きている間だけは、この六条院を荒らさず、隣接する大路なども人の姿が途絶えないようにしよう」とお思いになり、またそうおっしゃって、丑寅の町に、あの一条宮(落葉の宮)をお移し申されて、三条殿(雲居雁)と、一夜ごとに十五日ずつ、几帳面に通い住んでいらっしゃるのだった。

二条院といって造り磨き、六条院の春の御殿だといって世に誉れ高かった玉の御殿も、ただ一人の御方(明石の御方)のご子孫のためであったと見えて、明石の御方は、多くの宮たちのご後見をしつつ、お相手を申し上げていらっしゃる。大殿(夕霧)は、どの御方の御ことも、亡き父君のご意向どおり、その当時と何一つ変わることなく、すべての御方々に対して親のような御心でお仕え申し上げなさるにつけても、「対の上(紫の上)がこの御方々のように今生きていらしたなら、どれほど心を尽くしてお仕え申し上げ、お世話申し上げるところを御覧いだけただろう。ついに、ほんの少しも、とくにわが恋慕の情をお見知りいただける機会もないままに逝ってしまわれたことだ」と、残念にどこまでも悲しくお思い出し申し上げられる。

天下の人々は、院(源氏)をお慕い申し上げないことはなく、何かにつけて、世はただ火を消したように、何ごとも張り合いのないことを嘆かない折はないのだった。まして六条院・二条院の内の人々、御方々、宮たちなどは申し上げるまでもなく、どこまでも素晴らしかった院(源氏)の御言葉も、それはそれとして、またあの紫の上の御様子で心をいっぱいにしては、万事につけて、思い出し申し上げない時はない。春の花の盛りは、実際長くはないので、かえってもてはやされるのだ。

語句

■さまざまに集ひたまへりし御方々 六条院と二条院に集まっていた源氏の愛妾たち。 ■泣く泣く… 源氏の出家後はそれぞれの実家に帰った。 ■花散里 夕霧の養母。六条院夏の町に住んだ。 ■東の院 二条院東院。花散里はここの女主人(【澪標 04】【松風 01】)。 ■御処分所 源氏が出家したとき花散里が分配された。 ■三条宮 朱雀院より相続した御邸(【柏木 05】【鈴虫 04】)。 ■今后 今上帝の后。明石の中宮。冷泉院の秋好中宮に対して今后という。立后は十年前(【御法 02】)。 ■いにしへの例 源融の河原院、始皇帝の阿房宮、玄宗皇帝の華清宮など。 ■ほとりの大路 東の京極大路と南の六条大路。このあたりは当時、貴族の邸宅が少なく寂しかった。 ■はつまじう 下に「もてあつかはむ」などを補い読む。 ■丑寅の町 六条院東北の町。花散里がかつて住んでいた。夕霧もここで養育された。 ■一条宮 落葉の宮。夕霧が落葉の宮を無理やり手に入れるさまは夕霧巻に詳しい。 ■三条殿 雲居雁。夕霧巻で夕霧の浮気に腹を立てて実家に帰ったが、その後夕霧のもとに戻り落葉の宮のことも受け入れたらしい。 ■夜ごとに十五夜づつ 実直な夕霧らしいやり方。 ■うるはしう 「うるはし」はきちんとしている。端正だが原意。ここでは夕霧の色ごとの方面においても真面目であることをからからう作者の意図がある。 ■二条院 源氏の旧邸。 ■春の殿 源氏が紫の上とともに住んだ。 ■玉の台 「玉楼」を和語に訳したもの。「台」は高楼。 ■ただ一人の末のため 二条院には匂宮が、六条院南の町の東の対には女一の宮が住み、寝殿は二の宮が使用している。これらは皆明石の君の孫にあたる。よって二条院も六条院も明石の君の子孫のためにあるようなものだの意。 ■あまたの宮たち 明石の中宮腹の宮たち。 ■いづ方 明石の中宮、明石の君、花散里など。 ■昔の御心おきて 父君のご意向どおりに。 ■かやうにて 明石の君のように。 ■わが心寄せ 夕霧は野分の夜にたまたま紫の上の姿を見て(【野分 02】)以来、秘かに恋慕の情を抱いていた。しかし源氏に警戒されて紫の上にその気持を伝えることはできなかった。 ■火を消ちたるやうに 「仏、此ノ夜、滅度ノタマフコト、薪尽キテ火ノ滅ユルガ如シ」(法華経・序品)。源氏の死を釈迦の入滅になぞらえる。 ■はえなき嘆き 「はえ」は「映え」と「灰」を、「嘆き」は「投げ木」をかける。「灰」も「投げ木」も「火」の縁語。 ■御方々 明石の君、花散里など。 ■宮たち 秋好中宮、明石の中宮、二の宮、三の宮(匂宮)、女一の宮など。 ■春の花の盛りは 紫の上のことをこめた。 ■げに長からぬにしも 「残りなく散るぞめでたき桜花ありて世の中はてのう憂ければ」(古今・春下 読人しらず)などの歌を受ける。

朗読・解説:左大臣光永

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