【御法 02】紫の上、二条院にて法華経千部の供養を行う

年ごろ、私《わたくし》の御|願《ぐわん》にて書かせたてまつりたまひける法華経千部《ほけきやうせんぶ》、急ぎて供養じたまふ。わが御|殿《との》と思す二条院にてぞしたまひける。七僧《しちそう》の法服《ほふぶく》など品々賜す。物の色、縫目《ぬひめ》よりはじめて、きよらなること限りなし。おほかた、何ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。ことごとしきさまにも聞こえたまはざりければ、くはしき事どもも知らせたまはざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひたまひける御心のほどなどを、院はいと限りなしと見たてまつりたまひて、ただおほかたの御しつらひ、何かの事ばかりをなん営ませたまひける。楽人《がくにん》、舞人《まひびと》などのことは、大将の君、とりわきて仕うまつりたまふ。

内裏《うち》、春宮《とうぐう》、后《きさい》の宮たちをはじめたてまつりて、御方々、ここかしこに御誦経《みずきやう》、捧物《ほうもち》などばかりのことをうちしたまふだにところせきに、まして、そのころ、この御いそぎを仕うまつらぬ所なければ、いとこちたき事どもあり。「いつのほどに、いとかくいろいろ思しまうけけん。げに、石上《いそのかみ》の世々|経《へ》たる御|願《ぐわん》にや」とぞ見えたる。花散里《はなちるさと》と聞こえし御方、明石なども渡りたまへり。南東《みなみひむがし》の戸を開けておはします。寝殿の西の塗籠《ぬりごめ》なりけり。北の廂《ひさし》に、方々の御|局《つぼね》どもは、障子《さうじ》ばかりを隔てつつしたり。

三月《やよひ》の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなどもうららかにものおもしろく、仏のおはすなる所のありさま遠からず思ひやられて、ことなる深き心もなき人さへ罪を失ひつべし。薪《たきぎ》こる讚談《さんだん》の声も、そこら集ひたる響き、おどろおどろしきを、うち休みて静まりたるほどだにあはれに思さるるを、まして、このころとなりては、何ごとにつけても心細くのみ思し知る。明石の御方に、三の宮して聞こえたまへる。

惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪尽きなんことの悲しさ

御返り、心細き筋は後《のち》の聞こえも心おくれたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。

薪こる思ひは今日をはじめにてこの世にねがふ法《のり》ぞはるけき

夜もすがら、尊きことにうちあはせたる鼓《つづみ》の声絶えずおもしろし。ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞《かすみ》の間《ま》より見えたる花のいろいろ、なほ春に心とまりぬべくにほひわたりて、百千鳥《ももちどり》の囀《さへづり》も笛の音《ね》に劣らぬ心地して、もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、陵王《りようわう》の舞ひて急《きふ》になるほどの末つ方の楽《がく》、はなやかににぎははしく聞こゆるに、皆人《みなひと》の脱ぎかけたる物のいろいろなども、もののをりからにをかしうのみ見ゆ。親王《みこ》たち、上達部《かむだちめ》の中にも、物の上手《じやうず》ども、手残さず遊びたまふ。上下《かみしも》心地よげに、興ある気色どもなるを見たまふにも、残りすくなしと身を思したる御心の中《うち》には、よろづの事あはれにおぼえたまふ。

昨日《きのふ》、例ならず起きゐたまへりしなごりにや、いと苦しうて臥《ふ》したまへり。年ごろかかる物のをりごとに、参り集《つど》ひ遊びたまふ人々の御|容貌《かたち》ありさまの、おのがじし才《ざえ》ども、琴笛《ことふえ》の音《ね》をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。まして、夏冬の時につけたる遊び戯《たはぶ》れにも、なまいどましき下《した》の心はおのづから立ちまじりもすらめど、さすがに情《なさけ》をかはしたまふ方々は、誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我|独《ひと》り行《ゆ》く方《へ》知らずなりなむを思しつづくる、いみじうあはれなり。

事はてて、おのがじし帰りたまひなんとするも、遠き別れめきて惜しまる。花散里の御方に、

絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

御返り、

結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも

やがて、このついでに、不断《ふだん》の読経《どきやう》、懺法《せんぼふ》など、たゆみなく尊き事どもをせさせたまふ。御|修法《ずほふ》は、ことなる験《しるし》も見えでほど経《へ》ぬれば、例の事になりて、うちはへさるべき所どころ寺寺にてぞせさせたまひける。

現代語訳

上(紫の上)は、ここ数年にわたって、ご自身の御願でお書かせになっていらっしゃった法華経千部を、急いで供養なさる。ご自身の御邸とお思いになっていらっしゃる二条院でそれをなさるのだった。七僧の法服などといった布施をそれぞれの人に応じてお与えになる。それらの色合い、縫目からはじめて、美しいことは限りがない。全般に、何事も、まことに立派に法会を営まれる。そうおおげさな事ともお知らせにならなかったので、院(源氏)は、上(紫の上)に詳しいことはお教えにならなかったのだが、女の御身でなさる事としては配慮が深く、仏の道にさえ通じているおたしなみのほどを、まことに限りなくすばらしいとお思い申し上げられて、院(源氏)はただ一般的なお世話、細々した用事だけをお手伝いなさるのだった。楽人、舞人などのことは、大将の君(夕霧)が、とくにお世話申される。

帝、東宮、后の宮たちをはじめ、御方々が、あちこちで御誦経、仏前への捧げ物などのお世話をなさる。それだけでも仰山なことなのに、まして、そのころ、御法会のご準備をお手伝い申し上げない方もいないので、ひどく騒がしいことが多かった。「いつ頃から、実にこんなに、いろいろとご準備なさったのだろう。まことに、前々からご準備されていた御願なのだな」と察せられる。花散里と申し上げた御方、明石などもおいでになった。上(紫の上)は、南と東の戸を開けて座っていらっしゃる。寝殿の西の塗籠なのであった。北の廂に、方々の局を、襖だけで隔てて、こしらえてある。

三月の十日なので、花盛りで、空のけしきなどもうららかに何となく風情があり、仏のいらっしゃるという西方極楽浄土のありさまも、これと遠くはないだろうと想像され、別段深い信心がない人さえ罪が消えてしまいそうである。薪の行道をする讚談の声も、そこらじゅうに集まっている響きがものものしいのを、声が中断して静まっているときでさえも、しみじみ胸を打つようにお思いになるのであるが、まして、死期の近いことをご自覚される今となっては、上(紫の上)は、何事につけても心細いとばかりご実感なさる。明石の御方に、三の宮(匂宮)を介して申し上げられる。

(紫の上)惜しからぬ……

(惜しくもないこの身ではありますが、今日を最後として薪が尽きて火が消えるように、寿命が尽きるのでしょう。それが悲しいことでございます)

御返事は、心細い筋のことを書くのは、気が利かない詠みぶりだと後で世間から言われるだろうから、無難にお詠みになったようだ。

(明石の君)薪こる……

(大昔から薪を切り、法華経を得たいという思いは今日のこの御法会がはじめですが、今生において仏法を得るまでの道のりははるかに遠いでしょう。貴女さまのご寿命もまだ長いでしょう)

一晩中、尊い仏事に合わせた鼓の音が絶えず鳴って風情がある。ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間から見えているさまざまな花、やはり春に心引かれるほかないと思えるほどに、美しく一面色づいて、さまざまな鳥のさえずりも笛の音に劣らぬ気がして、情緒深さもおもしろさも、これ以上はないと思われる、その時、陵王が舞って曲調が「急」になる時の終わりのほうの楽が、華やかににぎやかに聞こえる中、皆人が脱いで禄としてお与えになるお召し物の色とりどりなさまも、今の時にぴったりで、ひたすら趣深く見える。親王たち、上達部の中にも、音楽に心得のある人たちは、惜しげもなく披露していらっしゃる。上(紫の上)は、身分の上下をとわず気分がよさそうに、興深い様子であるのをご覧になるにつけても、残りの命が少ないとわが身をお思いである御心の中には、万事趣深いことにお思いになる。

語句

■法華経千部 法華経一部は八巻、二十八品。 ■わが御殿と思す 二条院は紫の上が成人した場所であり彼女の故郷である。正式に相続したかは不明だが紫の上自身はそうした意識でいる。前も「わが御わたくしの殿と思す二条院」(【若菜上 21】)とあった。 ■七僧 奉仕に当たる僧。講師、読師(経文などを読む)、三礼師(さんらいし。読経のはじめに三度礼拝する)、唄師(ばいし。経文や偈頌を唱詠する)、散華師(さんげし。花を散布して仏を供養する)、堂達師(どうだつし。導師・呪願師に経文・祈願文を伝達する)の七僧。 ■物の色 前の女三の宮の持仏開眼供養にも紫の上の用意した七僧の法服のありさまが語られている(【鈴虫 03】)。 ■知らせたまはざりけるに 源氏が紫の上に、ととる。紫の上が、源氏にととることもできよう。 ■女の御おきてにてはいたり深く 女である紫の上は法会の開催の仕方など知らないだろうに、の意。 ■后の宮 秋好中宮と明石の中宮。 ■御方々 源氏の愛妾たち。花散里や明石の君。 ■捧物 仏前への捧げ物。 ■石上の世々経たる 石上は奈良県天理市付近一帯。そこに布留という地があるので、「石上の」は「経る」の枕詞。 ■花散里 この呼称は【少女 34】以来。 ■明石 「明石」と呼び捨てなのは花散里との身分の違いをあらわす。 ■渡りたまへり 六条院から二条院へ。 ■南東の戸 寝殿の西の塗籠の南と東の戸。 ■仏のおはすなる所 極楽浄土。 ■薪こる  「薪こる」は薪をきこる。切る。薪の行道と呼ばれる儀式。「法華経をわが得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」の歌歌いながら行道する。行道は経を読みながら歩くこと。「薪こり」の歌は、千年にわたって「菓《このみ》ヲ採リ、水を汲ミ、薪ヲ拾ヒ(法華経・提婆達多品)。「薪及ビ菓・蓏《くさのみ》ヲ採ツテ」(同偈)国王が阿私仙に仕えたとあるのによる。 ■心細く 死期の近いことを実感するから。 ■三の宮 今上帝の三宮。匂宮。母は明石の中宮。 ■惜しからぬ… 「仏此夜滅度シタマフ、薪尽キテ火ノ滅《き》ユルガ如シ」(法華経・序品、偈)による。 ■薪こる… 「薪の行道」の儀式のおこりをふまえた歌。 ■霞の間より 「山ざくら霞の間よりほのかにも見て人こそ恋しかりけれ」(古今・恋一 貫之)。 ■なほ春に心とまりぬ 紫の上は春を好む(【薄雲 18】【少女 33】【胡蝶】)。春は紫の上の為人の象徴。 百千鳥 いろいろな鳥。歌語。「朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥の声もいとうららかなり」(【若菜上 19】)。 ■陵王 舞楽の曲名。仮面をつけて一人で舞う。羅陵王、蘭陵王とも。 ■急 序・破・急の急。テンポが速くなり終結になる部分。 ■皆人の脱ぎかけたる 法会に参会した人々が衣を脱いで楽人たちに禄として与える。

朗読・解説:左大臣光永