【匂宮 08】薫、世をはかなみ、色恋に淡白

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中将は、世の中を深くあぢきなきものに思ひすましたる心なれば、なかなか心とどめて、行き離れがたき思ひや残らむなど思ふに、わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはんはつつましくなど思ひ棄てたまふ。さしあたりて、心にしむべき事のなきほど、さかしだつにやありけむ。人のゆるしなからん事などは、まして思ひよるべくもあらず。十九になりたまふ年、三位宰相《さむゐのさいしやう》にて、なほ中将も離れず。帝、后の御もてなしに、ただ人にては憚《はばか》りなきめでたき人のおぼえにてものしたまへど、心の中《うち》には、身を思ひ知る方ありて、ものあはれになどもありければ、心にまかせてはやりかなるすき事をさをさ好まず、よろづの事もてしづめつつ、おのづからおよすけたる心ざまを人にも知られたまへり。

三の宮の年にそへて心をくだきたまふめる院の姫宮の御あたりを見るにも、ひとつ院の内に明け暮れたち馴れたまへば、事にふれても、人のありさまを聞き見たてまつるに、「げにいとなべてならず、心にくくゆゑゆゑしき御もてなし限りなきを。同じくは、げにかやうならむ人を見んにこそ生ける限りの心ゆくべきつまなれ」と思ひながら、おほかたこそ隔つることなく思したれ、姫宮の御方ざまの隔ては、こよなくけ遠くならはさせたまふも、ことわりに、わづらはしければ、あながちにもまじらひ寄らず。もし心より外《ほか》の心もつかば、我も人もいとあしかるべきことと思ひ知りて、もの馴れ寄ることもなかりけり。

わが、かく、人にめでられんとなりたまへるありさまなれば、はかなくなげの言葉を散らしたまふあたりも、こよなくもて離るる心なくなびきやすなるほどに、おのづからなほざりの通ひ所もあまたになるを、人のためにことごとしくなどもてなさず、いとよく紛《まぎ》らはし、そこはかとなく情《なさけ》なからぬほどのなかなか心やましきを、思ひよれる人は、いざなはれつつ、三条宮に参り集まるはあまたあり。つれなきを見るも、苦しげなるわざなめれど、絶えなんよりはと、心細きに思ひわびて、さもあるまじき際《きは》の人々の、はかなき契りに頼みをかけたる多かり。さすがにいとなつかしう、見どころある人の御ありさまなれば、見る人みな心にはからるるやうにて見過ぐさる。

現代語訳

中将(薫)は、世の中を深くつまらないものと悟り澄ましたお気持ちなので、「なまじ女に執着すれば、未練が残ってこの世を離れがたい気持ちが残るだろう」などと思うので、面倒な思いをするような相手と関わるのは気が引けなどして断念していらっしゃる。さしあたって、心を奪われそうな事がない間は、悟ったようにふるまっていらっしゃるのだろう。親のゆるしのない色恋沙汰などは、なおさら思いつくはずもない。十九におなりの年、三位宰相で、そのまま近衛中将の地位も兼任していらっしゃる。帝(冷泉院)・后(秋好中宮)のご殊遇を得て、臣下としては誰に遠慮することもないほど目出度い人としての世間からの信望でいらしたが、心の中では、わが身の上を悟っているところがあって、憂鬱になることもあった。なので心にまかせて軽率な色恋沙汰などは少しも好まず、万事落ち着いていて、自然と、大人びているご気性を周囲の人からも知られていらした。

中将(薫)は、三の宮(匂宮)が年が重なるにつれて心をくだいていらっしゃるらしい冷泉院の姫宮(女一の宮)の御あたりを見るにつけても、同じ御殿(冷泉院)の内でその姫宮(女一の宮)と明け暮れいつもお出入りしていらっしゃるので、何かの機会ごとに、その人のありさまを見聞きし申し上げるにつけ、「なるほど、実に並々でない、奥ゆかしく、由緒ありげな御物腰は申し分がない。同じ結婚するなら、たしかに、ああした人と結婚するのこそ、一生の間、満足するきっかけともなろう」と思いながら、冷泉院は、大体においてこそ中将(薫)に対して隔てることなくお思いになっておられるが、姫君(女一の宮)の御方のところには隔てを置いて、たいそう遠くにいつも離していらっしゃる、それも道理であるし、また面倒でもあったので、むやみに近寄って交際はなさらない。もし予想外のけしからぬ気持ちでも起こったら、自分にとっても相手にとっても良くないことに違いないとわきまえて、世馴れたふうに近寄ることもないのだった。

中将(薫)は、自分が、こうして人にちやほやされるべく生まれついた人柄であるので、戯れの、いい加減な言葉をお散らしになる身分の低い女たちも、たいそう中将(薫)に惹きつけられ、なびきやすいということだから、自然と、かりそめの通い所も多くなる。だが中将は、そうした女のことをおおげさに扱ったりはせず、実によくやりすごして、それでいてはっきりと気持ちのない態度を取ることもない。それで女はかえって気をもまれるので、気のある女は、中将(薫)に惹きつけられては、三条宮に女房として参り集まるものは多くいるのだ。中将の自分に対するつれない態度を見るのも苦しそうなことだが、関係が絶えてしまうよりはと、心細く思いつめて、宮仕えなどする必要もないような身分の女たちで、はかない約束に頼みをかけている者が多いのである。そうはいってもやはり中将はとても優しく、見どころあるお人柄なので、関係を持つ女はみなわが心にだまされるようにして、ずるずると切れないまま日を過ごしていくことになるのである。

語句

■わづらはしき思ひあらむあたり 薫は出家のさまたげとなるような身分の高い娘との結婚は忌避する。だが身分の低い娘とのかりそめの恋愛は出家の妨げとならないので、楽しんでいる。 ■さかしだつにやありけむ 今は本気で心惹かれる相手がいないから、そんな悟りすましたような態度でいられるのだという作者の皮肉をこめる。 ■人のゆるしなからむ事 親の許しのない恋愛沙汰。 ■三位宰相 「宰相」は「参議」の唐名。 ■中将 近衛中将。参議兼近衛中将。宰相中将という。 ■帝、后 冷泉院と秋好中宮。 ■身を思ひ知る方 薫は自分が源氏の実の子ではなく柏木の子だとすでに気づいている。「かの過ぎたまひにけんも安からぬ思ひにむすぼほれてや」(【匂宮 05】)。 ■ものあはれになども 青年特有の憂鬱にとりつかれているの意。しかしそれは作者が「心にしむべき事のなきほど、さかしだつにやありけむ」と言うように、実体験をともなわない観念的な憂鬱にすぎない。 ■およすけたる 「およすく」は大人びる。老成する。 ■げにかやうならむ人を… 薫の独白は女一の宮の魅力をいちおう認めながらも自分は没頭しないという冷めた態度が見える。 ■つまなれ 「つま」は手がかり。きっかけ。糸口。 ■姫宮の御方ざまの隔て 冷泉院は女一の宮を薫に近づけないようにしている。 ■ことわりに 薫は冷泉院が女一の宮を自分に近づけないのは当然だし、そこをあえて関わりを持つのも煩わしいと思っている。どこか冷めた態度が見える。 ■心より外の心 女一の宮に対する懸想心。 ■なげの言葉 かりそめの言葉。いい加減なその場限りの言葉。 ■散らしたまふ 「言葉」の「葉」の縁で「散らす」という。 ■人のためにことごとしくなど… 薫は女房身分の女を特別に扱ったりしない。あくまでも行きずりの恋愛の対象として見る。 ■情なからぬほどの… 薫が冷淡な態度をとりもしないので、女は気をもまれる。「ひょっとしたら私に本気なのではないか」と。 ■いざなはれつつ 参考「いたづらにゆきては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ」(伊勢物語六十五段)。 ■三条宮 女三の宮の居所。 ■参り集まる 三条の宮の女房となって。 ■絶えなむよりは 下に「まされり」などを補い読む。 ■さもあるまじき際の人々 本来宮仕えなどしなくてもよい身分の高い女たちが、薫の気を引くためにあえて女房にまでなることをいう。 ■

朗読・解説:左大臣光永

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