【紅梅 07】大納言と真木柱、匂宮のことを語らう

北の方まかでたまひて、内裏わたりの事のたまふついでに、「若君の、一夜宿直《ひとよとのゐ》して、まかり出でたりし匂ひの、いとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、宮のいと思ほし寄りて、兵部卿宮に近づききこえにけり、むべ我をばすさめたりと、気色とり、怨じたまへりしこそをかしかりしか。ここに、御消息やありし。さも見えざりしを」とのたまへば、「さかし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅いと盛りに見えしを、ただならで、折りて奉れたりしなり。移り香《が》はげにこそ心ことなれ。晴れまじらひしたまはん女などは、さはえしめぬかな。源中納言は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前《さき》の世の契りいかなりける報《むくい》にかと、ゆかしきことにこそあれ。同じ花の名なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などのめでたまふ、さることそかし」など、花によそへてもまづかけきこえたまふ。

現代語訳

北の方(真木柱)がお戻りになって、宮中のことをお話しになるついでに、(真木柱)「若君(大夫の君)が、一晩宿直して、退出した時の匂いが、とても香ばしかったのを、周囲の人は普通の香と思っていたのですが、宮(東宮)は、宮(匂宮)の移り香だと、すぐお気づきになって、『兵部卿宮(匂宮)にお近づき申し上げたのだな、道理で私を嫌がっていたわけだ』と様子を察して、お恨み言をおっしゃったのはおかしかったです。こちらから宮(匂宮)に、お手紙をさしあげたのですか。そのようには見えませんでしたが」とおっしゃると、(大納言)「そのとおり。梅の花をお愛でになる君なので、あちらの端の紅梅がたいそう花盛りに見えたのを、そのまま見過ごしにできずに、折って差し上げたのです。匂宮の移り香は、東宮がお気づきになられるのも無理はない、格別なものです。御所でお勤めの御婦人なども、あのように香を焚きしめたることはできません。源中納言(薫)は、あのように風流めいて香をお焚きしめになって匂わせることはなさらず、人柄こそが世に類なくすぐれていらっしゃるのです。不思議なことですが、前世の契のどのような報いだろうかと、興味を惹かれることです。同じ花の名であっても、梅は生まれ出た根がもうすでにすぐれているのですよ。この宮(匂宮)などが梅をお愛でになるのは、そういうことなのでしょう」など、花にたとえてもまず宮(匂宮)のことをお口に出して申し上げられる。

語句

■一夜宿直 「今宵は宿直なめり」(【紅梅 05】)。 ■まかり出でたりし匂ひ 「花も恥づかしく思ひぬべくかうばしくて、け近く臥せたまへるを」(【同上】)。 ■兵部卿宮に近づききこえ 東宮は大夫の君と男色関係にあったので、大夫の君が匂宮とも関係を持っていることに嫉妬する。 ■気色とり 様子を察して。 ■さも見えざりしを 大夫の君は懐紙の中に文を入れていたので真木柱は気づかなかった。 ■あなたのつまの 前に「この東のつまに、軒近き紅梅」(【紅梅 04】)とあった。 ■げに 東宮がお気づきになるのも無理もない。当然だ。 ■晴れまじらひ 宮中での交際をいうか。 ■前の世の契りいかなりける 薫の身体から発する芳香を前世からの契りと見る。 ■花によそへてもまづ 大納言は匂宮を婿にしたいと思っているので、何を話してもまず匂宮のことが出てくる。

朗読・解説:左大臣光永