【紅梅 05】匂宮と若君の男色関係 大納言に返歌

中宮の上《うへ》の御局より御|宿直所《とのゐどころ》に出でたまふほどなり。殿上人あまた御送りに参る中に見つけたまひて、「昨日は、などいととくはまかでにし。いつ参りつるぞ」などのたまふ。「とくまかではべりにし侮《くや》しさに、まだ内裏《うち》におはしますと人の申しつれば、急ぎ参りつるや」と、幼げなるものから馴れ聞こゆ。「内裏《うち》ならで、心やすき所にも時々は遊べかし。若き人どものそこはかとなく集まる所ぞ」とのたまふ。この君召し放ちて語らひたまへば、人々は近うも参らず、まかで散りなどして、しめやかになりぬれば、「春宮《とうぐう》には、暇《いとま》すこしゆるされにためりな。いと繁う思ほしまとはすめりしを、時とられて人わろかめり」とのたまへば、「まつはさせたまひしこそ苦しかりしか。御前にはしも」と聞こえさしてゐたれば、「我をば人げなしと思ひ離れたるとな。ことわりなり。されど安からずこそ。古めかしき同じ筋にて、東《ひむがし》と聞こゆなるは、あひ思ひたまひてんやと、忍びて語らひきこえよ」などのたまふついでに、この花を奉れば、うち笑《ゑ》みて、「恨みて後ならましかば」とて、うちも置かず御覧ず。枝のさま、花ぶさ、色も香も世の常ならず。「園に匂へる紅《くれなゐ》の、色にとられて香《か》なん白き梅には劣れると言ふめるを、いとかしこくとり並べても咲きけるかな」とて、御心とどめたまふ花なれば、かひありてもてはやしたまふ。

「今宵は宿直《とのゐ》なめり。やがてこなたにを」と召し籠めつれば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべくかうばしくて、け近く臥《ふ》せたまへるを、若き心地には、たぐひなくうれしくなつかしう思ひきこゆ。「この花の主《あるじ》は、など春宮にはうつろひたまはざりし」、「知らず。心知らむ人になどこそ、聞きはべりしか」など語りきこゆ。大納言の御心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれと聞きあはせたまへど、思ふ心は異《こと》にしみぬれば、この返り事、けざやかにものたまひやらず。つとめてこの君のまかづるに、なほざりなるやうにて、

花の香にさそはれぬべき身なりせば風のたよりを過ぐさましやは

さて、「なほ、今は、翁どもにさかしらせさせで、忍びやかに」とかへすがへすのたまひて。

この君も東《ひむがし》のをばやむごとなく睦《むつ》ましう思ひましたり。なかなか異方《ことかた》の姫君は、見えたまひなどして、例のはらからのさまなれど、童心地《わらはごこち》に、いと重《おも》りかにあらまほしうおはする心ばへをかひあるさまにて見たてまつらばや、と思ひ歩《あり》くに、春宮の御方のいとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じ事とは思ひながらいと飽かず口惜しければ、この宮をだにけ近くて見たてまつらばや、と思ひ歩《あり》くに、うれしき花のついでなり。

現代語訳

中宮(明石の中宮)が、上の御局から御宿直所《おとのいどころ》にご退出なさるご時分である。殿上人が数多く御送りなさる中に、宮(匂宮)は大夫の君をお見つけになって、(匂宮)「昨日は、どうしてひどく急いで退出したのか。今日はいつ宮中に参ったのか」などとおっしゃる。(大夫の君)「昨日はやく退出しましたことが悔やまれましたので、まだ宮さま(匂宮)が内裏にいらっしゃると人が申しましたので、急いで参ったのです」と幼なげではあるが物馴れた言い方で申し上げる。

(匂宮)「宮中ではなく、気軽なところ(二条院)にも時々は遊びにこい。若い人たちが何ということもなく集まる所であるぞ」とおっしゃる。宮(匂宮)が、この大夫の君を特別におそばに呼んで仲良く話しておられるので、見送りの殿上人たちは宮の近くにも参らず、散り散りに退出したりなどして、あたりがひっそりと静かになったので、(匂宮)「東宮からは、すこし暇をいただけるようだな。とても御心をかけていつも近くに置いていらっしゃるようだから、姉君にご寵愛を取られてしまって、決まりが悪いことだろう」とおっしゃると、(大夫の君)「東宮が私を身近にいつも置かれていたしたことこそ窮屈でした。宮さまの御前ならいいんですが…」と途中で申し上げるのをやめて座っているので、(匂宮)「大君は、私のことを一人前でないと思って見限ったのだね。もっともなことだ。しかしおもしろくないことではある。古めかしい同じ(皇族の)血筋で、東の御方と申し上げるという御方(宮の御方)は、私のことを思っていただけないかと、そっとご相談申し上げておくれ」などとおっしゃるついでに、大夫の君が宮(匂宮)に、この花(紅梅)を差し上げると、宮は微笑んで、「恨み言を言った後のお返しの文だったらつまらないが、そちらから送ってくれるとは嬉しいね」といって、いったん下に置きもせずに御覧になる。枝のさま、花房、色も香もそこいらのものと違っている。(匂宮)「園に色づく紅の紅梅は、その色に負けて、香は白い梅に劣っていると言うようだが、実に見事に色も香もどちらもすばらしく咲いたものだな」とおっしゃって、お好きな花なので、大納言がお贈りしたかいがあるように、その花を褒めていらっしゃる。

(匂宮)「今宵、君(大夫の君)は宿直のために参内したようだね。そのままこちらに泊まっていったらどうか」とおそばからお離しにならないので、大夫の君は、東宮にも参ることができない。宮は、花も恥ずかしがるだろうほどに香ばしく、そのおそばに大夫の君をお寝かせになったのを、大夫の君は、幼い気持ちには、類なくうれしく心惹かれるものと思い申し上げる。(匂宮)「この花の主(宮の御方)は、どうして東宮のもとに参内なさらなかったのだ」、(大夫の君)「知りません。花の情緒を解する人に差し上げたい、などと聞きました」などお話し申し上げる。宮は、大納言の御気持ちとしては、自分に娘を嫁がせたいらしいと、大夫の君の話をきいて思いあたられるが、自らが思う心は別のところにあるので、はっきりとはお返事をなさらない。あくる朝、この君(大夫の君)が退出する時、いい加減なようにして、

(匂宮)花の香に……

(花の香に誘われるようなわが身でございましたら、風のたよりを無視したりするものですか。私にはその気はございません)

それから、(匂宮)「やはり今夜は、老人たちに差し出がましいことはさせずに、こっそりと…」と返す返すおっしゃって…。

この若君(大夫の君)も、東の姫君(宮の御方)のことを、以前にもまして、大切に親しみ深く思っている。腹違いの姫君だから、かえって直接顔を合わせたりなどして、ふつうの姉弟のようであるが、子供心に、たいそう重々しく申し分ない姫君(宮の御方)のご気性を、かいのあるご身分にしてさしあげい、と心がけている。思って歩き回っている。それにつけても、東宮の御方(大君)がとても華やかにふるまっていらっしゃるにつけ、同じ姉妹ではあっても、この姫君(宮の御方)のことがひどく物足りなく、残念だったので、せめてこの宮(匂宮)をお取り持ちしたいものだ、と思いつめていたので、今回の花を届ける機会は、うれしいものだった。

語句

■上の御局 后や女御の清涼殿における控えの間。弘徽殿の上の御局と藤壺の上の御局がある。 ■宿直所 宮中における匂宮の居室。 ■まだ内裏におはしますと 前に大納言が大夫の君に「兵部卿宮内裏におはすなり」(【紅梅 04】)と言った。 ■内裏ならで… 公的な場である内裏だけでなく私邸である二条院にも来いと誘いをかけている。 ■人々 見送りの殿上人たち。 ■春宮には… 大夫の君は東宮からも寵愛されているが、姉である大君が東宮の后となったため寵愛を奪われたと、からかう。 ■時とられて 寵愛を奪われて。 ■御前にはしも 貴方の周囲に置いてくださるのなら光栄なのですが…といった意味を匂わせる。 ■安からず 匂宮は大納言の娘を手に入れたい。 ■古めかしき同じ筋 匂宮と宮の御方が、同じ皇室の血筋であることをいう。宮の御方の父は螢兵部卿宮であるので。 ■この花 大納言が大夫の君に託して匂宮にとどけさせた紅梅。 ■怨みて後ならましかば 怨み言(懸想文)をこちらから送った後であれば、返事がきたからといって単なる社交辞令かと思ってたいして嬉しくもないだろう。しかしそちらから送ってくれるのは嬉しい、の意。参考「うらみての後さへ人のつらからばいかにいひてか音をも泣かまし」(拾遺・恋五 読人しらず)。 ■紅の、色にとられて 「紅に色をばかへて梅の花香ぞことごとに匂はざりける」(後撰・春上 躬恒)。 ■とり並べても咲きけるかな 花も香もすばらしく咲いたものだの意。 ■御心とどめたまふ花 前に「春は梅の花園をながめたまひ、…」(【匂宮 07】)とあった。 ■かひありて 大納言が紅梅をさしあげたかいがあって。 ■やがてこなたにを 自室に誘い込む。「を」は強意。 ■け近く臥せたまふ 男色のさま。 ■うつろひたまはざりし 「花」の縁で「うつろふ」という。 ■知らず 子供らしくストレートに言い切る。 ■心知らむ人に 下に「見せむ」を補い読む。前に大納言が「知る人ぞ知る」(【紅梅 04】)と言っていた。 ■思ふべかめれ 係助詞「こそ」が省略された形。 ■思ふ心は異に 匂宮は中の君でなく宮の御方に惹かれている。 ■花の香に… 大納言からの「娘の中の君をいかがですか」の誘いをきっぱり断った。 ■翁ども 大納言たち。前に大納言自身が「翁」(【紅梅 03】)と称していた。 ■東のをばやむごとなく… 大夫の君は、自分が好きな匂宮が心惹かれる宮の御方だからかそ、いっそう親しくしたいと思う。 ■なかなか異方の姫君は 男子は腹違いの姉妹にはめったに顔合わせしないのに、かえって。 ■例の ふつうの。 ■かひあるさまにて 大夫の君は宮の御方を匂宮と結婚させたい。 ■思ひ歩く 「歩く」は「…てまわる」「あちこちで…する」の意。 ■同じ事とは思ひながら 大君も宮の御方もどちらも姉であることは同じと思いながら。 ■いと飽かず口惜しけれ 宮の御方が世に見出されずにすごしているのが。 ■この宮をだにけ近くて… 大夫の君はせめて宮の御方を匂宮と結婚させて身近で世話したい。 ■うれしき花のついで 大納言が紅梅を届けさせたのは嬉しい機会だったの意。

朗読・解説:左大臣光永