【紅梅 04】大納言、紅梅を若君にもたせて匂宮に送り、気を引こうとする

若君、内裏へ参らむと宿直姿《とのゐすがた》にて参りたまへる、わざとうるはしき角髪《みづら》よりもいとをかしく見えて、いみじくうつくしと思したり。麗景殿《れいけいでん》に御ことつけ聞こえたまふ。「譲りきこえて、今宵《こよひ》もえ参るまじく。悩ましくなど聞こえよ」とのたまひて、「笛すこし仕うまつれ。ともすれば御前の御遊びに召し出でらるる、かたはらいたしや。まだいと若き笛を」とうち笑《ゑ》みて、双調《さうでう》吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにておのづから物に合はするけなり。なほ掻《か》き合はせさせたまへ」と責めきこえたまへば、苦しと思したる気色ながら、爪弾《つまび》きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。皮《かは》笛ふつつかに馴れたる声して。

この東《ひむがし》のつまに、軒《のき》近き紅梅のいとおもしろく匂ひたるを見たまひて、「御前《おまへ》の花、心ばへありて見ゆめり。兵部卿宮内裏におはすなり。一枝《ひとえだ》折りてまゐれ。知る人ぞ知る」とて、「あはれ、光る源氏といはゆる御さかりの大将などにおはせしころ、童にてかやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。この宮たちを世人《よひと》もいとことに思ひきこえ、げに人にめでられんとなりたまへる御ありさまなれど、端《はし》が端にもおぼえたまはぬはなほたぐひあらじと、思ひきこえし心のなしにやありけん。おほかたにて思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、け近き人の後《おく》れたてまつりて生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそおぼえはべれ」など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらし、しをれたまふ。

ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。「いかがはせん。昔の恋しき御形見にはこの宮ばかりこそは。仏の隠れたまひけむ御なごりには、阿難《あなん》が光放ちけんを、二《ふた》たび出でたまへるかと疑ふさかしき聖《ひじり》のありけるを。闇にまどふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、

心ありて風のにほはす園の梅にまづ鶯のとはずやあるべき

と、紅《くれなゐ》の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙《ふところがみ》にとりまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。

現代語訳

若君(大夫の君)は、宮中へ参ろうとして宿直姿で大臣の前にお参りになる。ことさら美しく角髪を結った姿よりも髪をといたおかっぱ頭がかえってとても美しく見えて、大臣はたいそう可愛らしいと思っていらっしゃる。麗景殿にいらっしゃる北の方(真木柱)への御伝言を若君にお申し付けになる。(大納言)「貴女(真木柱)に女御(明石の女御)のお世話をお任せして、私は今宵も参ることができない。気分がすぐれないから、などと申し上げよ」と若君(大夫の君)におっしゃって、(大納言)「笛を少しおつとめしてくれ。何かというと帝の御前の管弦の御遊びに召し出されるのが、決まりの悪いことだ。まだひどくつたない笛であるのに」とほほ笑んで、双調をお吹かせになる。実に見事にお吹きになるので、(大納言)「そう悪くもないように上達しておりますのは、こちらあたりで知らず知らずのうちに貴女の奏でる楽器の音に合わせるからだったのですね。やはり合奏なさってください」とお促し申し上げるので、宮の御方は、困っている様子ではあるが、爪弾きして実にうまく音を合わせて、ほんの少し掻き鳴らされる。大納言は口笛を、太くしっかり馴れた声でお合わせになる。

この殿の東の端に、軒近くの紅梅がとてもきれいに色づいているのを大納言は御覧になって、(大納言)「この御庭前の花は、よい心がけがあればこそ、こんなにも美しく咲いているのでしょう。宮は内裏にいらっしゃるそうだ。一枝折ってさしあげなさい。梅の色も香りも『知る人ぞ知る』ものだから」とおっしゃって、(大納言)「ああ、光る源氏と言われた御盛りの大将などでいらしたころ、私はまだ子供で、今この子(大夫の君)が匂宮に馴れ親しんでいるように、大将(源氏)に馴れ親しんでいただきました。そのことこそは、時が経つにつれて恋しく思い出すのでございます。この宮たち(匂宮と薫)を世間の人も実に格別に思い申し上げ、まことに人に愛されるべくお生まれになったご様子ではあるが、それでも源氏の君の端の端とも思われないのは、やはり類もなく素晴らしい御方だったのだと、大将(源氏)のことを思い申し上げていた心がそう思わせるのだろうか。私のような世間並の者でさえ、大将(源氏)のことを思い出し申し上げるにつけ、気持ちがおさまることなく悲しいのだが、大将(源氏)に近しい人が後にお残り申されてあれこれ生きていらっしゃるのは、長生きする辛さも並大抵でないと思いますなあ」など、言葉に出して申されて、なんとなく悲しげに思いめぐらして、しょげかえっていらっしゃる。

こうした折も折だから我慢がおできにならなかったのだろうか、若君(大夫の君)に花を折らせて、急いで内裏へ参らせられる。(大納言)「とはいえどうしよう。昔の光るの君の恋しい御形見としては、この宮(匂宮)だけがいらっしゃる。仏陀がお隠れになった直後に、阿難尊者が光を放ったのを、仏陀が生き返られたのかと疑う賢い僧があったのというが。源氏の君を慕う心の闇を晴らすところとして、率直に申し上げてみよう」とおっしゃって、

(大納言)心ありて……

(貴方への気持ちがあって、風が匂いを運ぶ園の梅(中の君)に、真っ先に鶯(匂宮)が訪ねてこないということがありますか)

と、紅の紙に若々しく書いて、この君(大夫の君)の懐紙に紛れ込ませて、押したたんで送り出されたのを、君(大夫の君)は、子供心に、まことに宮(匂宮)と親しくさせていただきたいという気持ちがあるので、急いで宮中にお参りになった。

語句

■宿直姿 角髪を結わず、髪をときかける。 ■角髪 童子の髪型。額髪を両耳のほうへ流して束ねたもの。 ■麗景殿 東宮の女御となった大君が麗景殿を局としている。初出。 ■譲りきこえて 大納言が真木柱に中宮のお世話を一任する。 ■悩ましくなど 参内しない口実。大納言は真木柱のいない間に宮の御方に接近したい。 ■かたはらいたしや 宮の御方に聞こえるように息子の自慢をしている。 ■双調 雅楽の六調子の一。呂音に属する。春の調子とされる。 ■このわたりにて 宮の御方をおだてる。 ■物に合はする 「物」はここでは琵琶。 ■爪弾き 撥を使わず爪で弾く。 ■皮笛 口笛。 ■ふつつか 太いさま。 ■声して 下に「合わせたまふ」を補い読む。 ■この東のつまに 「この」は宮の御方の居所。寝殿の東。 ■兵部卿宮内裏におはすなり 梅花の香りから匂宮が連想された。 ■知る人ぞ知る 「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる」(古今・春上 紀友則)。 ■いはゆる 呼ばれた。「ゆる」は受け身の助動詞「ゆ」の連体形。 ■童にて 大納言は韻塞《いんふさぎ》の負態《まけわざ》のとき「高砂」を歌った(【賢木 32】)。 ■げに人にめでられんと 「わが、かく、人にめでられんとなりたまへるありさまなれば、…」(【匂宮 08】)。 ■端が端にもおぼえたまはぬ 匂宮と薫はいくらいいといっても、源氏に比べると遥かに劣るの意。 ■け近き人 源氏に近しい人。 ■おぼろけの 「おぼろけならぬ」と同意。並たいていではない。 ■いかがはせん 匂宮がいくら源氏の端の端にも思えないといっても、源氏の形見は匂宮だけなのだからやはり無視することはできない。 ■こそは 下に「おはすれ」などを補い読む。 ■仏の隠れたまひけむ御なごり 釈迦が涅槃に入った後、阿難尊者が高座にのぼると、その姿が釈迦のようだった。それで会衆は釈迦が生き返ったかと疑ったという『大智度巻』の記事。 ■阿難 釈迦の十大弟子の一人。 ■闇にまどふはるけ所に… 源氏を慕う心の闇を匂宮で晴らそうとする心。 ■聞こえをかさむ 「聞こえをかす」は「言ひをかす」の謙譲表現。率直に言う、の意か。 ■心ありて… 「梅」は中の君、「うぐひす」は匂宮。「花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふしるべにはやる」(古今・春上 紀友則)による。 ■若やぎ 若返った気分になって。 ■懐紙 たたんでふところに入れる紙。和歌を書くのによく使われる。

朗読・解説:左大臣光永