【紅梅 03】大納言、継子の宮の御方に心惹かれる

殿は、つれづれなる心地して、西の御方は、ひとつにならひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。東《ひむがし》の姫君も、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、夜《よる》々は一所《ひとところ》に御|殿籠《とのごも》り、よろづの御事習ひ、はかなき御遊びわざをも、こなたを師のやうに思ひきこえてぞ誰も習ひ遊びたまひける。もの恥ぢを、世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかには、をさをささし向かひたてまつりたまはず、かたはなるまで、もてなしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、愛敬《あいぎやう》づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。かく内裏参りや何やとわが方ざまをのみ思ひいそぐやうなるも心苦しなど思して、「さるべからむさまに思し定めてのたまへ。同じこととこそは仕うまつらめ」と、母君にも聞こえたまひけれど、「さらにさやうの世づきたるさま思ひたつべきにもあらぬ気色なれば、なかなかならむ事は心苦しかるべし。御|宿世《すくせ》にまかせて、世にあらむかぎりは見たてまつらむ。後《のち》ぞあはれにうしろめたけれど、世を背く方にても、おのづから人わらへにあはつけき事なくて過ぐしたまはなん」などうち泣きて、御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こえたまふ。

いづれも分かず親がりたまへど、御|容貌《かたち》を見ばやとゆかしう思して、「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、人知れず、見えたまひぬべしやとのぞき歩《あり》きたまへど、絶えてかたそばをだにえ見たてまつりたまはず。「上おはせぬほどは、立ちかはりて参り来《く》べきを、うとうとしく思し分くる御気色なれば心憂くこそ」など聞こえて、御簾《みす》の前にゐたまへば、御|答《いら》へなどほのかに聞こえたまふ、御声けはひなどあてにをかしう、さま容貌《かたち》思ひやられて、あはれにおぼゆる人の御ありさまなり。わが御姫君たちを人に劣らじと思ひおごれど、「この君にえしもまさらずやあらむ。かかればこそ、世の中の広き内裏はわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふにまさる方もおのづからありぬべかめり」など、いとどいぶかしう思ひきこえたまふ。

「月ごろ何となくもの騒がしきほどに、御|琴《こと》の音《ね》をだにうけたまはらで久しうなりはべりにけり。西の方にはべる人は、琵琶《びは》を心に入れてはべる。さも、まねび取りつべくやおぼえはべらん。なまかたほにしたるに、聞きにくき物の音《ね》がらなり。同じくは御心とどめて教へさせたまへ。翁《おきな》は、とりたてて習ふ物はべらざりしかど、その昔《かみ》さかりなりし世に遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごとにもいとつきなうははべらざりしを、うちとけても遊ばさねど、時々うけたまはる御琵琶の音《ね》なむ昔《むかし》おぼえはべる。故六条院の御伝へにて、右|大臣《おとど》なん、このごろ世に残りたまへる。源中納言、兵部卿宮、何ごとにも昔の人に劣るまじういと契りことにものしたまふ人々にて、遊びの方はとり分きて心とどめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音《ばちおと》などなん、大臣《おとど》には及びたまはずと思ひたまふるを、この御|琴《こと》の音《ね》こそ、いとよくおぼえたまへれ。琵琶は、押手《おしで》しづやかなるをよきにするものなるに、柱《ぢう》さすほど、撥音のさま変りて、なまめかしう聞こえたるなん、女の御事にて、なかなかをかしかりける。いで遊ばさんや。御|琴《こと》まゐれ」とのたまふ。女房などは、隠れたてまつるもをさをさなし。いと若き上臈《じやうらふ》だつが、見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、「さぶらふ人さへかくもてなすが、安からぬ」と腹立ちたまふ。

現代語訳

大納言の御邸は、真木柱と大君が留守なので、所在のない気がして、西の御方(中の君)は、これまで大君といつも一緒にいらしたので、たいそう寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。東の姫君(宮の御方)も、お互いに他人行儀にはおふるまいにならないで、夜ごとに一つの所でお休みになり、万事の芸事をお習いになって、何ということもない御遊びごとも、この宮の御方を師のように思い申し上げて、大君も中の君も、音楽芸能など習っていらっしゃった。宮の御方は世間並み以上に人見知りをなさって、母である北の方(真木柱)にさえ、ちゃんと向かい合われることは滅多になく、異常なまでに、控えめにおふるまいになるが、ご気性や物腰は引っ込み思案というふうではなく、愛嬌がおありでいらっしゃることは、やはり、人よりすぐれていらっしゃる。大納言は、こうして大君の入内や何やと、ご自分の娘たちのことばかりを考え準備しているようなのも気の毒だなどとお思いになって、「しかるべき縁組を考え定めて、おっしゃいなさい。宮の御方の御ことは実子同然にお扱いしましょう」と、母君(真木柱)にも申し上げていらしたが、(真木柱)「宮の御方は、まったくそのような世間並みのことを思い立ちそうもない様子なので、かえって結婚させるのは心苦しいことになるでしょう。前世からの因縁のままに、私が生きていてる限りはお世話申し上げましょう。その後のことは気の毒で心配ですが、出家するにしても、ついつい世間の物笑いの種になるような軽薄なことはならさらずにお過ごしになってくださればと思います」などと泣いて、宮の御方のご気性が理想的であることを大納言に申し上げられる。

大納言は実子、継子の差別なく親らしくしていらっしゃるが、宮の御方のご容貌を見たいものだとご興味を抱かれて、(大納言)「お隠れになっていらっしゃるのが何と言っても残念なことで」と恨めしく思われるので、こっそりと、お姿をお見せにならないかと覗きまわっていらしたが、まったくちらりとも、宮の御方のお姿を拝見することがおできにならない。(大納言)「上(真木柱)がいらっしゃらない間は、かわりに私が世話をしようして参上しているのに、他人行儀に母上と私を分け隔てなさる様子なので残念です」など申し上げて、御簾の前に座っていらっしゃると、宮の御方は御答えなどかすかに申し上げられる。御声や物腰などは品があり美しく、顔立ち容貌が想像されて、心惹かれる宮の御方のご様子である。大納言は、わが御姫君たちのことを人に劣るまいと自慢に思っているが「この君(宮の御方)に、私の娘たちは及ばないのではないか。これだからこそ、世間づきあいの多い宮中は面倒なのだ。自分の娘こそ類なく素晴らしいと思っていても、それよりまさる人も当然あるだろうから」など、この姫君(宮の御方)のことを、もっと知りたいと思い申し上げられる。

(大納言)「ここのところ何かと忙しかったが、その間、御琴の音さえもお聞き申し上げないまま久しくなってしまいました。西の方にございます人(中の君)は、琵琶に身を入れております。ああまったく、練習すればできるようになるとでも思っているのでしょうか。琵琶は半端な技量では聞きづらい音色です。どうせ同じ屋根の下に住んでいらっしゃるのですから、ご贔屓くださって娘にお教えください。年寄りの私は、特にこれといって楽器を習ったことはございませんが、その昔の盛りの時代に管弦の遊びをたしなんでいたせいでしょうか、音色の良し悪しがわかる程度のわきまえは、どの楽器についてもそれほど取り付きようがないというわけではございませんでしたが、貴女は打ち解けて演奏してくださることもございませんが、時々お聴きする御琵琶の音がまさに、昔を思い出す音でございます。故六条院からのご伝授された御方としては、右大臣(夕霧)が、今も世に残っていらっしゃいます。源中納言(薫)、兵部卿宮(匂の宮)は、何ごとにおいても昔の人に劣らないような、まことに前世から格別に定められていらっしゃる方々で、音楽の方面はとりわけ心を入れていらっしゃいますが、少し手運びが弱々しい撥音が、右大臣(夕霧)には及なくていらっしゃると存じます。しかし貴女の御琴の音こそは、まことによく大臣の音に似ていると存じます。琵琶は、押手を静かにするのを良しとしますが、柱《じゅう》をすえると撥音のさまが変わって、優美に聞こえるのが、女の弾くものとして、かえって興をそそられます。さあ演奏していただきましょう。御琴を持ってきなさい」とおっしゃる。女房などは、大納言からお隠れ申し上げる者もほとんどいない。たいそう若い、身分の高い女房だけが、大納言に姿をお見せするまいと思って、心のままに奥に座っているので、(大納言)「お仕えしている女房たちまでも、こんなふうによそよそしく振る舞うのは、おだやかでない」と腹をお立てになる。

語句

■つれづれなる 大君も真木柱も留守だから。 ■御遊びわざ 碁・貝合せ・双六などの遊戯。 ■誰も 大君と中の君が。 ■もの恥ぢを… 以下、宮の御方の人柄を描写。記述に矛盾があり文章が乱れている。本人の作が不審。 ■わが方ざまをのみ… 大納言が実子(大君と中の君)のことだけに身を入れるのは継子である宮の御方に気の毒だという気持ち。 ■さるべからんさまに… しかるべき縁組のこと。 ■同じこととこそ 宮の御方を実子同様に思うということ。 ■なかなかならむ事は… 結婚するとかえって不幸になるの意。 ■御宿世にまかせて 宮の御方の前世からの因縁にまかせて。 ■世を背く方 自分の死後、宮の御方が出家することを想定していう。 ■うち泣きて 口ではそう言うものの娘が結婚もせず出家するではやはり親としては悲しい。 ■御心ばせの思ふやうなる 宮の御方の気性がすばらしいことを大納言に説いて、結婚相手を探してくれと求める。朱雀院が女三の宮の将来を心配して結婚相手をさがした条に酷似(【若菜上 06】)。 ■御容貌を見ばや 大納言はまだ宮の御方の素顔を見たことがないのである。真木柱の留守を幸い、好色心を起こす。 ■隠れたまふこそ 宮の御方は「母北の方にだに、さやかには、をさをささし向かひたてまつりたまはず」とあった。まして継父には対面しない。 ■立ちかはりて 母(真木柱)のかわりに自分が世話をしようの意。 ■思し分くる 母と父を区別すること。 ■わが御姫君たち 大君と中の君。 ■世の中の広き内裏 前も「内裏には中宮おはします」(【紅梅 02】)と大納言は大君の入内をためらっていた。 ■月ごろ何となくもの騒がしき 大君の東宮入内で忙しかった。 ■さも なんとまあ呆れたものだの意。 ■おぼえはべらん 本人は頑張れば琵琶を習得できると思っているが、そんな甘いものではないの意。 ■なまかたほ 「なま」は中途半端。「かたほ」は未熟。 ■教へさせたまへ 大納言は宮の御方へ、中の君への指導をお願いするという形で、ご機嫌をとる。 ■その昔さかりなりし世 源氏存命の頃をさす。 ■この御琴の音 「琵琶」は弦楽器全般をさす語。ここでは琵琶をさす。 ■おぼえたまへれ 「おぼゆ」は似ている。おもかげがある。 ■押手 柱の上を左手で押さえて弾く弾き方。 ■柱 琵琶の胴の上に立てて弦を支える部分。「さす」はそれを押さえて弦を調整すること。 ■御琴まゐれ 女房に呼びかけている。 ■隠れたてまつるも… 多くの女房は大納言に慣れていて大納言の眼の前に姿をあらわしている。 ■上臈たつ 身分の高い女房は物慣れしていないので大納言の前に姿をさらすのを恥ずかしがる。 ■腹立ちたまふ 大納言は女房を叱ることで宮の御方の打ち解けない態度を当てこする。

朗読・解説:左大臣光永