【紅梅 06】大納言、匂宮に再び文を贈る 匂宮、なおも心解けず
これは昨日の御返りなれば見せたてまつる。「ねたげにものたまへるかな。あまりすきたる方にすすみたまへるを、ゆるしきこえずと聞きたまひて、右|大臣《おとど》、我らが見たてまつるには、いとものまめやかに御心をさめたまふこそをかしけれ。あだ人とせんに、足《た》らひたまへる御さまを、強《し》ひてまめだちたまはんも、見どころ少なくやならまし」などしりうごちて、今日も参らせたまふに、また、
「本《もと》つ香《か》のにほへる君が袖ふれば花もえならぬ名をや散らさむ
とすきずきしや。あなかしこ」と、まめやかに聞こえたまへり。まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに御心ときめきしたまひて、
花の香をにほはす宿にとめゆかばいろにめづとや人のとがめん
など、なほ心解けず答《いら》へたまへるを、心やましと思ひゐたまへり。
現代語訳
この手紙は昨日の御返事なので、大夫の君は大納言にお見せ申し上げる。(大納言)「憎らしげに申したものであるな。ご自分があまりに好色な方に傾いていらっしゃるのを、我々がお許し申し上げないとお聞きになって、右大臣(夕霧)や私たちが拝見する時は、実にまじめくさって、御気持ちを抑えていらっしゃるのはおかしいことであるよ。浮気性の人といっても十分なほどのご気性を、無理にまじめぶっていらっしゃるのも、はために感心できないものだろうに」など、陰口をおっしゃって、今日も若君を参内させられるついでに、また、
(大納言)「本つ香の……
(身に備わったよい香の匂う貴方の袖が触れれば、花もいいようもなくすばらしい名声を博することでしょう。貴方が娘の婿になってくれれば娘の名声も上がります)
と好色めいたことを申しました。恐縮なことで」と、まじめに申し上げられる。匂宮は、「中の君と自分との関係を、ほんとうの話に仕立てようというのか」と、気のりはしないものの、やはり御心がときめかれて、
(匂宮)花の香を……
(花の香を匂わせている宿を探して行ったら、色好みだと人があれこれ言うでしょう)
など、やはり気を許さずお答えになるのを、大納言は恨めしく思っていらっしゃる。
語句
■あまりすきたる方にすすみたまへる 前に「すいたる方にひかれたまへり、と世の人は思ひきこえたり」(【匂宮 07】)。 ■しりうごちて 「後う言つ」は陰口を言う。 ■本つ香の… 「本つ香」はもともと備わった香。「花」は中の君。 ■すきずきしや 我ながら色めかしい。おどけている、もしくは照れているか。 ■あなかしこ 「あなかしこし」り略。手紙の結び。 ■まことに言ひなさむ こうした手紙のやり取りなどで、自分と中の君の縁談が進んでいるように世間に印象づけて断りにくくするつもりかの意。 ■さすがに 中の君には興味がないとはいってもやはり結婚相手として自分が想定されているとなると胸がときめく。 ■花の香を… 上の句は前の大納言の歌「風のにほはす園の梅に」(【紅梅 04】)に対応。「宿」は中の君。「いろ」は紅梅の色と好色をかける。 ■心解けず 匂宮はまだ大納言を警戒している。そっちのペースに乗せられてなるものか、という気がある。