【橋姫 01】北の方、姫宮二人を出産するも逝去 八の宮、二人を養育

そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮《ふるみや》おはしけり。母方《ははかた》などもやむごとなくものしたまひて、筋ことなるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいとなごりなく、御|後見《うしろみ》などももの恨めしき心々にて、かたがたにつけて世を背き去りつつ、公私《おほやけわたくし》に拠《よ》りどころなくさし放たれたまへるやうなり。

北の方も、昔の大臣の御むすめなりける。あはれに心細く、親たちの思《おぼ》しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふにたとしへなきこと多かれど、深き御契りの二つなきばかりをうき世の慰めにて、かたみにまたなく頼みかはしたまへり。

年ごろ経《ふ》るに、御子ものしたまはで心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなる慰めに、いかでをかしからん児《ちご》もがな、と宮ぞ時々思しのたまひけるに、めづらしく女君のいとうつくしげなる生《む》まれたまへり。これを限りなくあはれと思ひかしづききこえたまふに、さしつづきけしきばみたまひて、このたびは男《をとこ》にてもなど思したるに、同じさまにてたひらかにはしたまひながら、いといたくわづらひて亡せたまひぬ。宮、あさましう思しまどふ。

「あり経《ふ》るにつけても、いとはしたなくたへがたきこと多かる世なれど、見棄てがたくあはれなる人の御ありさま心ざまにかけとどめらるる絆《ほだし》にてこそ、過ぐし来つれ。独《ひと》りとまりて、いとどすさまじくもあるべきかな。いはけなき人々をも、独りはぐくみたてむほど、限りある身にて、いとをこがましう人わうかるべきこと」と思したちて、本意《ほい》も遂げまほしうしたまひけれど、見ゆづる人なくて残しとどめむをいみじく思したゆたひつつ、年月も経《ふ》れば、おのおのおよすけまさりたまふさま容貌《かたち》のうつくしうあらまほしきを、明け暮れの御慰めにて、おのづからぞ過ぐしたまふ。

後《のち》に生《む》まれたまひし君をば、さぶらふ人々も、「いでや、をりふし心憂く」などうちつぶやきて、心に入れてもあつかひきこえざりけれど、限りのさまにて、何ごとも思しわかざりしほどながら、これをいと心苦しと思ひて、「ただ、この君をば形見に見たまひて、あはれと思せ」とばかり、ただ一言《ひとこと》なむ宮に聞こえおきたまひければ、前《さき》の世の契りもつらきをりふしなれど、さるべきにこそはありけめと、今はと見えしまでいとあはれと思ひてうしろめたげにのたまひしを、と思し出でつつ、この君をしもいとかなしうしたてまつりたまふ。容貌《かたち》なむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。姫君は、心ばせ静かによしある方にて、見る目もてなしも、気《け》高く心にくきさまぞしたまへる。いたはしくやむごとなき筋はまさりて、いづれをも、さまざまに思ひかしづききこえたまへど、かなはぬこと多く、年月《としつき》にそへて宮の内ものさびしくのみなりまさる。さぶらひし人も、たづきなき心地するにえ忍びあへず、次々に、従ひてまかで散りつつ、若君の御|乳母《めのと》も、さる騒ぎにはかばかしき人をしも選《え》りあへたまはざりければ、ほどにつけたる心浅さにて、幼きほどを見棄てたてまつりにければ、ただ宮ぞはぐくみたまふ。

さすがに広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかり昔に変らでいといたう荒れまさるを、つれづれとながめたまふ。家司《けいし》などもむねむねしき人もなかりければ、とり繕《つくろ》ふ人もなきままに、草青やかに茂り、軒のしのぶぞ所え顔に青みわたれる。をりをりにつけたる花|紅葉《もみぢ》の色をも香《か》をも、同じ心に見はやしたまひしにこそ慰むことも多かりけれ、いとどしくさびしく、よりつかん方《かた》なきままに、持仏《ぢぶつ》の御|飾《かざ》りばかりをわざとせさせたまひて、明け暮れ行ひたまふ。

かかる絆《ほだし》どもにかかづらふだに思ひの外《ほか》に口惜しう、わが心ながらもかなはざりける契りと思《おぼ》ゆるを、まいて、何にか世の人めいて今さらにとのみ、年月《としつき》にそへて世の中を思し離れつつ、心ばかりは聖《ひじり》になりはてたまひて、故君の亡せたまひにしこなたは、例の人のさまなる心ばへなど戯《たはぶ》れにても思し出でたまはざりけり。「などかさしも。別るるほどの悲しびは、また世にたぐひなきやうにのみこそは思《おぼ》ゆべかめれど、あり経《ふ》ればさのみやは。なほ世人《よひと》になずらふ御心づかひをしたまひて。いとかく見苦しくたづきなき宮の内も、おのづからもてなさるるわざもや」と人はもどききこえて、何くれとつきづきしく聞こえごつことも類《るい》にふれて多かれど、聞こしめし入れざりけり。

御|念誦《ねんず》の隙《ひま》々には、この君たちをもてあそび、やうやうおよすけたまへば、琴《こと》ならはし、碁打ち、偏《へん》つぎなどはかなき

現代語訳

そのころ、世間から忘れられていらつしゃる、年老いた宮がいらっしゃった。母方などもそれなりのご身分でいらして、将来は格別な扱いとなるだろというほどに帝からの寵愛などを受けていらしたが、時世が変わって、世の中から軽く扱われることになられたいきさつがあって、期待されていたご出世とはまったく程遠いこととなって、御後見の人々なども何となく恨めしいお気持ちで、それぞれの立場に応じて出家隠遁などしては、公私にわたって頼みとするあてもなく、世間から見放されていらっしゃるようすである。

北の方も、昔の大臣の御むすめであるのだった。つくづく心細く、親たちが将来を期待していらしたことなどお思い出しなさるにつけて、例えようもなく胸かきたてられることが多かったが、昔からの宮との御契りだけを辛い世の中の慰めとして、夫婦でお互いにこれ以上ないほど信頼しあっていらっしゃった。

語句

■そのころ 匂宮・紅梅・竹河の物語と並行して話が進んでいく。 ■世に数まへられたまはぬ 世の中から忘れられていること。 ■古宮 宇治の八の宮。桐壺帝の第八皇子。光源氏の異母弟(【橋姫 04】)。「かくてまた上野の宮とて古親王《ふるみこ》おはしましけり」(宇津保物語・俊蔭)。 ■筋ことなる 将来は春宮に立つべきと期待されていたということ。 ■時移りて 冷泉院が春宮に立ったことをいう。弘徽殿大后はこの八宮を春宮に取り立てようとしたがうまくいかなかった(【同上】)。 ■はしたなめられ 世の中から冷たい仕打ちを受けること。 ■御後見 八の宮を支援した者たち。期待した結果にならずにがっかり。 ■世を背き 官位を辞したり出家隠遁したりする。 ■思しおきて 八の宮が春宮に立たば北の方は将来の天皇后であるので、父方は期待していた。 ■

朗読・解説:左大臣光永